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こころを育む

前回、『こころの訓練』というお話をしました。
もし、まだ読まれてない方は下記を読んでいただき、この話の続きをご覧ください。

人の心とは、よく平穏を見失うもの。何かが自身に起きるとその事により心が動揺し平穏な心を保てなくなる。それは、時として心休まれない動揺にもなり病すことさえもある。その原因とは自身の心であり、平穏に戻る術を見失う事でそうせざる負えなくさせる。

「こころの訓練」の話では、鼓動を感じる事を話しました。その鼓動を感じる事こそ、我にかえる術だからです。

平穏とは

あなたなら「平穏」と聞くと、それが幸せな事なのか、そうでないのどちらに思われますか?

平穏を辞書で検索するとこう書いてありました。

変わったこともなく、おだやかなこと。また、そのさま。

辞典:Wrblio辞書「平穏」

たぶん。平穏を幸せな事に思われる方が多いのではないでしょうか。実際にそうだからです。

自分たちは、人生を歩む中で様々な出来事が起き自身の心を揺さぶります。その大半は不幸を感じております。それは、自身が望まない事だからそうなります。

幸せとは、普通に心が受け入れ易いこと。だから、心悩ますことがなく当たり前のように過ごしております。それはその都度実感することなく幸せを幸せと感じさせなくさせております。「自分って、なんでこんなに幸せで良いのか」なんて思っている人がほぼ居ないのも、そんな理由からです。

しかし、辛い思いは違います。
「自分はなんで、こんなに辛い思いをするのか」と不幸を自覚しております。それは、心が受け入れられない出来事だから気にするのです。

不幸な出来事は、自身の心に重くのし掛かり頭から離れなくなるからそうなるのです。

平穏の話から少し外れましたが、平穏とは不幸な事ではないから『幸せなこと』と思えるのです。

気づく余裕

”こころの訓練”の話では「こころに繋がる大切な鼓動を感じるをするかしないかにある」と云いました。鼓動は誰もが知っており脈で知り得ます。その脈は心の変化により早くも遅くも強くも弱くも感じる事ができます。ただ、感情的になった人が脈がどうなっているかを測る人は居ないのです。それは感情に囚われているから当たり前だが、普段でも脈を感じようとする人が居ないのも事実です。

何度も云いますが、心に繋がる”もの”は鼓動しかないのです。頭では感情に囚われ負(ふ)の思い(りゆう)ばかり考えてます。そんな頭では物事の整理すら出来るはずはありません。しかし、そんな状態でも心の中心にある気持ちからは鼓動を通じ自身にその状態を伝えているのです。鼓動により。今の自分が幸せなのかどうかを。。。

それに気づくのは「鼓動を知ろうとするかしないか」です。それができれば心は平穏に戻るチカラが働きます。”訓練あるのみ”には、鼓動を感じるために「気づく」を訓練し得るです。

それを時間が経てばとか。自分さえ我慢すればとか。相手の事ばかり考え自分を二の次にすればとか。などなど。平穏に戻すことを怠り先送りしていれば、それは自分の心に「嘘」をつかせてしまうのです。心はそんなことを望んでないのでは。。。

それでどうやって平穏の戻れるのか。知ってのとおり嘘には嘘を塗り重ねなければ自分を正当化できません。それは、自身の気持ちとはほど遠い結果とさせているだけです。

もし。自身の心が大切なら。
その心の中心にある気持ちと同じにならなければ平穏にはなれません。それに自分に嘘は通用しないのです。まず、自身の心を平穏にしてこそ、周りも幸せになれるのです。それは心の余裕をつくる理由になります。

こころを育む

平穏なことは「幸せなこと」と云いました。それは、心に幸せと云う「1」をつくることです。その1を”心の余裕”とも云いますが、その1があるから2にも3にも10にも1000にも増やせるのです。

0ではこころは育たないのです。
マイナスでは心を病すのです。

自身の心に平穏をつくるため自身の鼓動に「気づく」だけで準備はできるのです。どんなに感情的になっても、それに気づけば良いのです。それが心の余裕をつくり、後はその1を育むのです。その育み方は、誰もが既に知っているのです。ひとはその1をつくる術を知らなかっただけです。そうなれば、先の0やマイナスになるのは当たり前。

”誰もが既に知っている”とは、自身の心には”幸せ”な思い出(きおく)を持っていることです。それは、ひとそれぞれではありますが、幸せを感じる思い出(けいけん)を心に持っているはずです。それに沿い出来るのが自由(けんり)です。

自分たちには幸せになる権利があるように、自由はそれをするかしないかで変われるのです。

こころを育むには、既に知っている思い出を使いひとつ1つ幸せな事をする事にあります。幸せなことを楽しみするのが”こころを育む”みます。1つの楽しみが終わっても次の楽しみを企てられる自由があります。幾らでもこころを育む術は既に持っているのです。

それには”気づく”がとてもとても大切なのです。
心の中心にある”気持ち”に繋がる鼓動に気づくのです。

そのコツ

気づきがこころの余裕の1とするなら、それを2にするコツがある。それは気づきによって出来る2つ。

1つは一旦止まること
もう1つはそのまま進むこと

自分たちは「気づき」を得ると幸せかそうでないかが判ります。子供の頃から学んだ「信号が赤なら止まれ。青なら進め」は自分たちの心に記憶した基本です。何故、赤なら止まれなのか。それは、安全ではないからです。ならば青なら安全に進んで良いと判っているのです。それは経験となり、安全と云う幸せの記憶の1つです。

自分たちの心(きもち)は、幸せかそうでないかも判ってます。その”気づき”により、心が赤信号なのか青信号なのかも判ってます。ならば、不幸せならどうするか。一旦止まるしかないのです。そのまま進めばどんな災難があるか予測がつかないから止まるのです。それが酷ければ命さえ落とす災難と成りかねないからです。

安心して進めるのは、やはり幸せを感じている時となります。それが「気持ちのままに」進むことだからです。

子供の頃から習った道徳。
日本の義務教育にはこのようなこころを育む基本があるとぽち☆は感じます。知らず知らずに見に付いた育まれたこころが自分たちを幸せに導き人生を歩ませているのです。「おもてなし」はこの国の文化です。それは人の気持ちが根付いている証ですね。

おさらいです。
自身の気持ちに気づくことは、心に余裕をつくる「1」でした。それを倍にするには、気持ちに沿って出来ること「止まるか進むか」のどちらかが出来るのです。そのどちらも気持ちに沿った「今より幸せ」になり「2」を得るのです。(余談:「気づき」の気は気持ちの気、自分たちはそれすら忘れていたのかも知れませんね)

この「気づき」と「一旦止まるか。そのまま進むか」は、自身のこころに経験と安心を記憶できるのです。それが「こころの更なる育み」です。”こころの訓練”はここまでで十分です。誰にでも出来ることのはずです。

それができればこころの余裕も倍となり、その余裕を使うことで増やせるのです。

自分たちにはそれを10にも1000にも10000にもする自由な権利があります。それは、幸せな記憶(思い出)や幸せと感じえれそうな「やりたいこと」を予定(けいかく)するのです。予定は予定であって未定です。自分の気持ちに沿わないと感じたときは一旦止まって、その予定を未定とし次なる予定を企てるのです。それも自由というものです。

”気持ち”に沿わないときは、一旦止まれば見渡す余裕を作れます。そこには必ず幸せに感じる道(よてい)があるのです。それは「今より幸せ」な道となり、その繰り返しが”幸せな道”を次第に歩ませていると、また”気づける”のです。

(心のカタチより)

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