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【となりの家のはなし③】家族の風景~母のこと(上)~

前回、私を構成する要素の重要分子である家族、中でも父の事をお話しました。今回は、その父の行動にあおりを受ける母のお話をします。娘と母親ってどうしてもつながりが深いので、お話が上中下に分かれそうです。どうか見捨てずに読んでほしいと願っておりますが・・。
ちなみに父の恐怖政治っぷりは、となりの家のはなし②にて。

今は仲もいいし、母から笑顔も出るようなりました。それは母というより娘の祖母として見ているし、何より当時の母親の気持ちや苦労が理解できるようになったからでしょうね。でも私が娘の立場だった時の母の印象はというと「いつも不機嫌で笑わない人」、嫌いすぎて、同級生やったら絶対友達になってへんわとすら思ってました。

私、繊細なもんで、大人の不機嫌オーラアンテナが感度抜群ですので、怒られるようなことさしないいい子で過ごしていました。それもあって母から叱られた記憶は、小学校の時に黙ってゲームセンターに行ったときぐらいで、理由としてはごもっともです。あ、そういえば、近くの駄菓子屋で1000円で売ってた、昆虫採集セットを買って帰ったときは死ぬほど怒られたな…。これは理由がいまだにわからん。

だって、団地の上層階に住んでいた小学校低学年の時。ある雨降りの日に、父からタバコ買ってこいという命が下り(世代バレそう)任務を遂行しました。その時葉っぱにいたナメクジを「殻を失えたかわいそうなカタツムリ」と思い込んだ私は、親に見せようと傘の取っ手に乗せて、意気揚々と家に帰りました。「みて、殻ないけどカタツムリ!」と褒められる気満々で告げたのですが・・「何それ気持ち悪い!」といって、見せて2秒でベランダから捨てられる悲劇。
そんな人が、なぜ昆虫採集セットで怒ったんでしょう。本人にも聞いたけど、覚えてないらしい。

あ、そういえば思い出しついで・・・。私の住んでる町には、現ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスの2軍グラウンドと寮がありました。幼稚園で漢字が読めない私は、「量の名前なんて読むん」と母に聞いたところ、「ハゲタカ寮やで」と真顔で教えられました。
のちに、雑談の中で「南海ホークスの寮、ハゲタカ寮やったっけ」というと「なに言うてんの、ワシタカ寮やんか」と普通に訂正され・・・。なんであの時真顔でウソをついたのか、これも本人に聞いても忘れたと。

長くなったので今日はこの辺で、続きはまた明日・・・。

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