いつか墓標になるまで_候補2

【短編小説】いつか墓標になるまで

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 廃道には長短さまざまな雑草がはびこり、枯れ枝や枯れ葉でおおわれてケモノ道のような状態になっているので、彼は道をまちがえていないか何度も確認しなければならなかった。目ざしている祖父の故郷は目と鼻のさきにせまっている。それなのに山奥に進み続ける内に舗装された道が恋しくなり、徐々に後悔の念が深まるのであった。彼はなんとか自分を叱咤激励しながら草木をかきわけていった。
 あなだらけの老木のトンネルを抜けると平原に出た。泥と砂にまみれて赤茶けたあぜ道が見える。ありし日は集落の貴重な糧を生んだのであろう田畑は雑多な植物に占領され、あぜ道で区切られていなければ田畑とはわかりそうにないほど荒れている。
 あぜ道にさしかかると獲物がかかるのを待ちかまえていたかのようにヤマビルが靴にはりつき、裾のすきまから侵入しようと紐状の体をうねらせる。よくよく確かめれば三匹も食いついていた。一匹ずつ慎重にひきはなして田畑のかなたに放る。そうして手荒い歓迎を受けて辟易したところへ、今度は草むらからほこりのように舞いあがったユスリカが大きな柱となり、まっしぐらに彼をとりかこんだ。彼はあわてて手拭いをとりだしてユスリカの群れを追い払った。密集する羽虫の集団をまくのは生易しいことではなかった。
 めずらしいニンゲンのにおいを嗅ぎつけた虫たちがあつまりだしているのに気づいた彼は、あぜ道の分岐点にきたところで近場の木造家屋に駆け寄って、衣服に付着したクモの巣や羽虫を払い落とした。ヤマビルが靴に侵入していないことを確認したのち、あらためて集落を見わたした。田畑の跡地に沿ってツタにからまれた廃屋が立ちならんでおり、草木とともにひっそりと息づいている。
 彼は水筒の水で喉をうるおして、日陰をつくっている朽ちた平屋を見あげた。おおきめの屋根はゆがみながらも屋根としての役割を果たしている。そのかわり窓枠がくずれて家全体がかたむいていた。すきまが生じると雨風の侵入をゆるし、より浸食をはやめることになる。彼は三年以内に倒壊すると予想した。どこの家屋も似たようなありさまで、くずれるときには呼吸を合わせるようにいっせいに瓦礫になりそうである。そのなかで比較的損傷のすくない廃屋を見つけると、彼は水筒のふたをしめて額に浮かぶ汗をぬぐいながら近寄った。微風が鼻をかすめたとたんむせかえるような異臭を感じる。ゴミのにおいを想起させるが、公道からはなれた山中にとりのこされた廃村までゴミを捨てにくる人物がいないのか、集落のどこを見まわしても投棄物は見あたらない。
 家屋の玄関口にまわりこむと異臭はさらにつよまった。彼がはがれた壁の一部を踏みしめるとバサバサと紙の束がちらばるような音が暗い家屋に鳴りひびき、一羽のドバトが窓辺におりた。懐中電灯をつける。陥没した床にそびえる糞の山があらわれた。彼はハンカチで口と鼻をおおって、家のなかに懐中電灯を走らせた。家具類はあらかた持ちはこばれていたが、重量のある箪笥や冷蔵庫はのこされていた。赤茶色の染み、緑色のカビ、灰色の埃。時間のながれは無慈悲な色彩を古い家具にあたえていた。奥には仏間とおぼしき部屋がある。彼は板の間にあがろうとして、靴底で傷んだ板を踏み抜きそうになる。彼は無傷でかえることを優先して、うしろ髪を引かれる思いで探索をあきらめた。玄関口を入念にしらべても以前の住居者を知る手がかりは得られなかった。当然ながら表札も綺麗にはがされていた。
 彼は小道のわきに小規模の棚田を見つけると、ハンカチを敷いて腰をおろした。高低差のゆるやかな棚田は草花の集積地となり、巨大な鉢を階段状にならべたような景観を呈している。彼は風になびく草花をながめながらカーゴパンツのポケットから手帳をとりだした。裾のよごれをはたき落としたとき、ふくらはぎがパンパンに張っているのがわかった。舗装されなくなってひさしい悪路は運動不足の足にこたえた。棚田付近の家はあらかた倒壊している。しかし、どの家もかろうじて玄関扉は原形をとどめていた。崩壊した住居跡にたちはだかるとびらは墓標のようで、とびらがたちならぶようすは墓場のようである。残骸をまきちらしながら傾斜をすべりおち、棚田のはるか下方で見る影もなくつぶれている家もある。彼は棚田からおりようとしたが、足場がぬかるんで危険なためあきらめざるを得なかった。
 彼は集落の入口にもどると、あぜ道から雑草におおわれた虫だらけの畑に踏みこんだ。頭上を飛びまわる蚊柱にうんざりし、裾に引っかかる葉針をとるのに苦心惨憺しながら畑を抜けると、数棟の平屋がならぶせまい路地に出た。棚田近辺の壊滅的な状態にくらべて建物の損傷は軽微で、壁一面コケむしてツタでがんじがらめにされながらも、往年の生活感をそこはかとなくにおわせていた。玄関は食虫植物のように大口をあけたままカビくさい空気を吐きだしていた。他家とおなじく表札ははがされている。けれども玄関枠に小石かなにかで文字がきざまれており、それがまぎれもなく自分の苗字であることを認めると目的地に到着した安堵からため息をついた。
 わずかな日光をたよりに廊下をのぞきこむ。突然板の折れる音がなり、彼は声をあげておどろく。音のほうにふりかえると畳敷きの部屋で人らしきものが畳を踏み抜いたのか床にたおれたままうめき声をあげていた。彼は自分は危害をくわえるものではないから大丈夫だと声をかけたのち、あばれて怪我をしたら大変だからおとなしくしているよう説得しながらくさりかけた板の間をおそるおそる歩いていく。案の定、浮浪者とおぼしき男が畳に半身をめりこませてうごけなくなっていた。彼は敷居に足をかけ、慎重に浮浪者をかかえあげて板の間に引き寄せた。浮浪者は自由の身になるなりころがるように屋外に飛びだし、戸口からあからさまに警戒の視線をむける。扇状にひろがった髭、脂ぎったながいざんばら髪、ひろうなりぬすむなりしたのであろうチェック柄のシャツとボロボロのジーンズは彼の体格にはおおきすぎて丈も裾もあまり、何重にもまきあげている。随所に正体のわからない染みがついている。異様な風貌ではあるが、それよりも彼を動揺させたのは尋常ならざる体臭だった。生ゴミを思わせる猛烈な悪臭に彼は顔をしかめずにいられなかった。
 浮浪者は、あんただれだ、警察のもんか、なにしにきたんだ、と黄色い歯をむきだして怒鳴った。彼は誤解をとこうと両手をひろげておだやかに語りかける。おどろかせて申しわけありません、わたしは祖父母の故郷を見るためおとずれた旅行者です。浮浪者は怪訝そうに眉をひそめる。祖父母ってだれだ、ここには住んでるのはおれだけだ。彼は相手を刺激しないように肯定する。祖父母はこの集落から移住するまでこの家で暮らしていたのです。それがどうした、ここはおれの家だ。そうですね、あくまで祖父母がくらしていたのは何十年もむかしのはなしですから、わたしは祖父母が生活していた痕跡を確認できれば満足であなたを追いだしたりするつもりはありません、すこしだけ家のなかを見せてもらえればすぐにかえります。ざんばら髪からのぞく浮浪者の瞳は殺意の色に染まっていた。不安をあおると攻撃されかねないと危惧した彼は財布から五百円玉をぬきとり浮浪者にさしだした。浮浪者は怪訝そうに五百円玉と彼の顔を見くらべた。やがてフンと鼻を鳴らして五百円玉をつかみとると、見たいんならさっさと見ろ、とジーンズのポケットにしまいながらながら玄関口にすわりこんだ。彼はふたたび板の間にあがる。背中に突きささる視線には用心をおこたらなかった。
 座敷の荒廃ぶりはすさまじかった。畳が腐食してふやけた紙切れのように波打ち、朽ちた床板が大口をあけていた。床下をのぞいてみると散乱するイ草が視界に入った。垂木に布をかけたような惨状なので部屋中に落としあながあると考えなければならなかった。浮浪者がはまりこんだ場所には胎児を連想させる凹みができていた。転倒したさい垂木ごと破壊したようで座敷にゆがみが生じていた。床下まで抜けおちていたら建物が倒壊していたかも知れない。彼は顔に脂汗をにじませたまま損傷の軽い垂木をわたって、となりの仏間に向かった。けれども床が抜け落ちているせいで敷居からさきに進めなかった。床下には床板と垂木の残骸のほか、残留物とおぼしき道具が散らばっていた。彼は木製の小箱に目をとめ、慎重に手をのばしてひろう。小箱は染みだらけで本来の色がわからないくらい老朽化していた。ふたをあけると年代物のけん玉やメンコやベーゴマといった玩具が入っていた。塗装が剥げたけん玉は枯れ木のようなありさまで、メンコは色あせて柄がわからず、ベーゴマに至っては錆まみれでさわる気が起こらなかった。けん玉を指でなぞるとけん軸に掘られた文字に気づく。玄関わきの文字とおなじ稚拙な筆跡できざまれた平仮名の文字は、まぎれもなく祖父の名前だった。
 彼がけん玉に記された名前を見つめていると、おぼつかない足どりですがたをあらわした浮浪者が貪欲そうな目つきで彼の手もとをのぞきこんだ。ところが一円にもなりそうにない古びた玩具に興をそがれたのか、落胆の色をうかべて戸口に引きかえした。そのあいだも彼はけん玉に記された祖父の名前を指でなぞりつづけ、玄関わきにきざみつけられた苗字と、思い出の品物にきざまれた名前にあらわれている祖父の堅固な意思を読みとることに腐心した。けん軸から祖父の手のぬくもりを感じとる。
 玄関さきであぐらをかく浮浪者が彼に声をかける。そのけん玉はじいさんのか。彼はけん軸をにぎりしめたまま肯定する。こんなところに置いておいたっていつか土に埋まっちまう、せっかくだからそいつは持ってけ、それからそろそろ一雨くるぞ、はやいところさがすもんさがしてかえってくれ、この辺にはもう雨やどりできる家なんてほとんどないからな。浮浪者は無愛想にまくしたてて痰を吐く。
 けん玉を鞄に入れて平屋を出ると、湿気を帯びた空気が喉につまり、草木や土のくさみが鼻をついた。耳をすませば遠雷もきこえる。浮浪者が予言したとおり集落に雨粒がおちようとしていた。
「あの戸が見えるか。畑の向こうにあるぶっこわれた家だ」
 浮浪者はあぜ道の向こうにある倒壊した平屋を指さした。こわれた建築材料が乱雑に投棄されたようなありさまで往年のおもかげはつゆほども見あたらないが、崩壊をまぬがれた玄関枠が鳥居のようにたたずんでいるようすを目のあたりにして、彼は怪訝な面持ちのまま首をかしげた。棚田方面で見かけた光景に酷似している。表情から彼の疑念を見ぬいた浮浪者はフンと鼻を鳴らして、あの家だけじゃなくてどの家もおなじなんだ、と口をとがらせながら語る。
「家がくずれるところを何度も見たよ。どういうわけかどこも玄関だけのこるんだ。気持ちわるいだろう。きっとこの家がつぶれても玄関だけはのこるぞ。まるで墓だ。この集落は墓だらけだ。最後には墓しかのこらないんだろうよ。なんとなくむかし住んでた連中がいまも出入りしてるみたいで、落ちつかないったらありゃしない」
 苦虫を噛みつぶしたような顔で愚痴をこぼす浮浪者のかたわらで、彼は集落の随所にたたずむ墓標をながめながら格別の感慨にひたっていた。おそかれはやかれすべての家屋が残骸になるだろう。しかし語り部のごとく集落の歴史を物語る墓標があるかぎり、繁茂する草木に飲みこまれようとも祖父が生きてきた証が消えることはないという、淡い希望を抱いたのである。頬につめたい感触を覚える。いつの間にか厚い雨雲が空一面にひろがって、小さな雨粒を落としはじめていた。


※2017年脱稿・同年改稿

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