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10代の時間の意味

 10代。10歳から19歳までの10年間。いろんなことがあったし、「コドモ」なりにいろんなことを感じて考えてきた。「オトナ」になった(かもしれない)今よりずっと敏感に。

大嫌いだった小中学校:みんな「何者」かになりたかった

 小学校は大嫌いだった。中学も嫌いだった。「みんな」と同じことができなかった。したくもなかった。全校集会に行くためにみんなで2列に並んでクラスごとに整然と行進することとか、揃いの制服や体育着、靴を身につけることとか、休みのたびに雑巾を縫うこととか。

 訳も分からずシカトされたこともあったし、乱暴者の男の子にお気に入りのペンケースを壊されたりしたこともあった。負けん気が強く、思ったことは言わないと気が済まない性格が、周りの癇に障ったのかもしれない。

 私自身がいじめられた訳ではないけれど、いじめは小学校でも中学校でもあって、いじめっ子たちはやりたい放題で傍若無人だった。いじめっ子たちは自分の自信のなさを、誰かをいじめている「強い自分」で埋めたがっているように見えた。そしてそれが「かっこいい」と思っていたのかもしれない。そういう子たちを最高にダサいな、と思っていたけれど、いじめっ子たちをそうやって蔑んでいた私も、「状況が俯瞰できるオトナな私」にきっと酔っていた。

念願の高校入学:楽しかったけれど、いつも不安だった

 高校に進学したときは本当にうれしかった。小中は否応無く決まった地域の子たちが集められて、自分には何の選択権もなかったけれど、高校は自分の興味のある高校に念願叶って行けたから。集まった子たちも小中より興味関心だとかが似ていて、そういう環境で勉強したいことが勉強できて、文化祭や体育祭も思いっきり楽しめて。

 そんな風に楽しかった高校生活だけれど、しんどいときもあった。それは将来のことを考えるとき。私は、その高校に入ることが小学校のときからずっと夢で、そのあとのことは何も考えていなかった。進学したいのか就職したいのか、そもそもどこに進学できるのか就職できるのか…。

 結局、私は地元を離れ大学に進学する道を選んだ。高校は推薦入学だったので、大学受験は私にとって人生初めての大きな挑戦だった。母は、推薦入試を許してくれず、「本気で行きたいならちゃんと一般入試で」と言われていたので、とにかく勉強した。

揺れ動いていた高校時代:泣くことだってあった

 私は滅多に泣かない子どもだったけれど、高校時代、勉強関連で泣いたことが3回だけある。1回目は苦手な数学の宿題が終わらなかったとき。

「自分はなんてバカなんだろう」

 わからないし終わらないし、ぼろぼろ泣きながら宿題をした。

 2回目は高3の冬、受験の追い込みの時期。雪の中をぶるぶる震えながら登校する道すがら、高校近くの近所の人が何気なく「あら、いってらっしゃい」と言ってくれたとき。たぶんいろんな意味でぬくもりに飢えていたのだろう。その一言がやたら心にしみて、私は涙目になりながら「いってきます」と答えた。

 3回目は、大学の合格発表の日。当時私の家ではネットが繋げなかったので、高校の職員室で私は合格発表を見ることになった。志望大学のホームページを開き、自分の番号を見つけた瞬間、涙があふれて止まらなかった。先生たちは合格がうれしくて泣いているのだと思っただろうけれど、そうじゃなかった。

 もちろんうれしかったけれど、「合格してしまった」という気持ちの方が強かった。それまで18年間ずっと同じ街で生まれ育って、がむしゃらに勉強してきて。大学に合格した瞬間、私は思った。

「私、本当にもうこの街を出て行くんだ」

 地元が嫌いなわけでも離れたかったわけでもない。ただ、興味の向いた先が外にあっただけ。そして「外に出る」ということが現実になった瞬間、私は泣いた。うれしかったけれど、不安や怖さの方が強かった。

地元を出て:衝撃だらけの大学生活と一人暮らし

 大学に進学した私は、初めて地元を離れ一人暮らしを始めた。食事も洗濯も掃除も全部自分でやらなくてはいけない。授業は自分で必修と任意科目を組み合わせて登録しなければならない。スーパーや郵便局がどこにあるかもわからない。頼れる人もいない。アルバイトをするのも初めて。どうやったら物事がうまく運ぶのか皆目見当もつかない。

「こんな街、だいきらい」

 大学に入学して1ヶ月後のゴールデンウィーク、私は逃げ帰るように実家に戻った。今となってはそれすら懐かしい。結局時とともに大学で友人や先輩・後輩もでき、20歳になる頃には大学生活を楽しんでいる自分がいた。大学時代を過ごした街は、間違いなく私の第二の故郷だ。

10代の時間の意味

 振り返って見れば10代は激動の10年間だった。何と言っても「初めて」のことが多すぎる。家族以外の人たちとの集団生活も、勉強も、恋愛も…。いくつになっても「初めて」のことはあるけれど、10代は特に。だからこそいつも力加減がわからずに夢中になったり悩んだり。そのおかげで今があるとも言える。

 私が会社を辞めたとき、ある上司がこんな言葉をくれた。今、10代の方にもそうでない方にも、そして改めて自分自身にもこの言葉を贈ろうと思う。

「今まで良いことも、大変なこともたくさん経験されたと思いますが、どんな経験も、いつか何かの役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。でも無意味なことはないと思います。」

 意味は後付けだっていい。でも無意味なことはない。これは「だから、ツライ思いもどんどんした方がいい!」ということでは決してないけれど。

 大丈夫。今いる世界だけがすべてではないから。


ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。