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誰が一番大変か選手権は誰も幸せにはならない…と思う

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。

いろいろ世知辛い世の中。
みなさんも、日々懸命に生きているひと。
みなさん、毎日お疲れ様です。


日常の中で大変なこと、苦しいことはいろいろあると思います。
それを誰かと共有することで、少しほっとしたり、新しい発見がある…そんな経験をされた方もいらっしゃると思います。

その中で起こりやすい…というか、図らずとも起きやすいといいましょうか、それがタイトルにある【誰が一番大変か選手権】です。


読んで字のごとく、「自分のほうが大変だ(だった)!」と相手と争ってしまうことです。



ものごとをどう解釈するかは私たちの価値です。
そしてどう感じるかもそれぞれに個人差があります。
同じ出来事でも、苦痛を感じる強度や濃度には違いがあります。

どんな状況にしろ、誰かが「これはしんどかったのよね」となっているときに、「そのくらいでー」や、「私の時(以前)は○○だった」、「私なんて今こんなことに困っていて…」とやってしまうと、とってもスムーズに【誰が一番大変か選手権】に進んでしまうように感じませんか?


「じゃあ嫌でも聞けってことか」とか、「ちゃんと対応しろってことか」と思われる方もいるかもしれませんが、そういうことではありません。
先ほど書いたようなこと(そのくらいで・・・など)が自分の中でよぎったら、「この話を聴いていると自分がしんどいな」って一旦立ち止まってみませんかということをお伝えしたいのです。

立場上、誰かの困りごとを聴かなければならない人もいると思います。
自分自身が疲れていて、ちょっと今は難しいと感じる人もいます。
そもそもこうした話を聴くことは苦手って人もいます。

その時の自分が、「どこまでなら無理がないか」を基準にして対応をしてもらいたいなというのが私の意見です。


この選手権が開催されるときは、必ず誰かがしんどくなりすぎています。
そういう意味で、開催したところで誰も幸せにはなりません。


私たちに必要なことは、自分のことも相手のことも大切にして、できないことは断ることであったり、お互いの無理のないところを提案することだと思います。
誰かが無理をすることや、過度な負担を背負うことはちょっと…ね。


個人的には、誰かやどこかが無理をしたり、過度な負担を抱えることでまわることをよしとしていません。むしろそんなのはまわっていないよりダメじゃんって感じています。


最終的には、【あなたも一生懸命、私も一生懸命】になると、お互いそんなにしんどくならないですかね。【お互いにお疲れ様】もあるかな。


選手権が開催されてもそうなったらいいんですけれど、選手権が開催されると絶対ここにたどり着けないんですよね。
ただ、私が知らないだけかもしれないので「選手権開催してもどうにかなった!」という方は是非お知らせいただけるとありがたいです。



ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。





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