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【短歌と和歌と、時々俳句】28 鶴

 今日は長谷川櫂の『日めくり 四季のうた』(中公新書 2010)から2月末日の句を読みました。

  去りかねてまだ二千羽の鶴残る(暉峻桐雨)

 暉峻(てるおか)は本名を康隆と言います。早稲田大学で近世の文学を研究した国文学者でした。鹿児島出身の俳人でもありました。だから長谷川はこの句の鶴を「出水平野の鶴だろう。北へ帰る季節なのになごり惜しいのか帰らずにいる。その心の綾が『去りかねて』。」と評しています。出水のツル観察センターは3月の第2週まで開所しているそうですから、2月末ならまだ本当に残っているのかもしれません。

 鶴は和歌にも俳句にも詠まれています。その白さや舞う姿、立ち姿を歌う句や歌に僕の好きなものが多いようです。

  浦遠く舟をかすめて飛ぶ鶴のつばさに白き波の上の月(三条西実隆)

 こちらは室町時代の終わりごろに活躍したお公家さんの歌。夜、月光の中を白く飛ぶ鶴に、白い波。何とも美しい幻想です。

  鶴舞ふや日は金色の雲を得て(杉田久女)

 杉田は昭和の俳人。鹿児島出身だからこの人の鶴も出水の鶴なのかも知れません。朝の鮮烈な光の中で舞う鶴は群れがふさわしい気がします。

  一輪と呼ぶべく立てる鶴にして夕闇の中に莟(つぼみ)のごとし(佐佐木幸綱)

 佐佐木は現在85歳。俵万智などが所属する短歌結社『心の花』の主催です。上の句では咲き誇る花のように立つ鶴にアップで迫る。下の句では急に視点を遠ざけ景色を広く取り、鶴を莟の小ささに喩えてみせる。その揺さぶりには不安が掻き立てられませんか。

  鶴やいずこ首を曲げたる受験生(ぼく)

 なんてね。


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