秋雨の日曜

窓を開けて眠ることができるほどすっかり気温も下がって秋を感じる。雨が降って、その雨音の激しさで目が醒めた。とでも書いてみたいけれど、網戸から流れ込んでくるのは雨に濡れた道路を走る車の走行音。絶え間なく、昼間近くの時間は車が流れる。雨もどうやらほとんど終わったように小雨がそぼふるほどになっていた。

今年の10月は、と書きたいけれど、どうやら私の1年間のリズムは秋になると動き出すらしいことがなんとなくわかってきていて、今年も例に漏れず動き出そうとしている。どうして秋なんだろう。わからない。けれど、春が嫌いなことは確か。夏はもってのほか。でも春の嫌いと夏の嫌いは性質が違う。春は精神的に、夏は肉体的に、嫌いだ。

暖かくなって動き出す、世間が浮足立つ春が嫌い。押し付けがましいのだ。

年々暑さが増し、夜でないと外に行く気も起きない夏が嫌い。

毎年気づいたら終わってしまう秋、すべてがちょうどいい。調和が取れていると感じる。意欲が増す。雨降りの日さえ心地良い。夏と秋の変わり目のころ、まだ体が夏仕様になっているときに感じる秋と、もう冬を間近に感じる秋の楽しみ方が違うことも良い。紅葉の前と後、色づき葉が落ちていく街路樹の生活を感じることができるのは秋だけ。毎日通る道に植わっている何本の木は人の目を楽しませるためにわざわざ欅だとか銀杏だとかが植えられているからだけれど、桜より遥かに好きだ。桜が植わっている道は怖い。

冬は特別。秋も敵わない冬だけの魅力がある。
寒いこと、私にはそれがどうしようもなく魅力になってしまう。
だから秋が好きと言える。

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