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すっぽりと記憶が抜け落ちた日々。~精神病院の診察室に行ったらしい~

記憶にはないけれど、わたしの躁状態は、嵐のようにやってきて、あらゆるものを破壊していった。

途切れ途切れの記憶から

かすかに残る記憶によると、わたしは精神病院(今の精神科病院)に入院することになったようだ。

というのも、

本棚の本を部屋中に投げながら何かを叫び続けたり、外に飛び出して誰かの名前を叫びながら歩き回ったり、道路に大の字になって寝転んだり。

とにかく人を困らせた、らしい。

ひとりでワーワーとわめき続けるわたしの声を受話器越しに聞いた主治医は慌てて飛んできて、太い注射器を取り出した、らしい。

注射で眠っている間に、わたしを入院させると主治医が母に話し、母から連絡を受けた父がレンタカーを借りて帰ってきた。

翌日は朝から紹介された病院に行った。

やっぱりこの子おかしいわ

なぜか病院に行った時のことは少し記憶にある。

病院の入り口に立ったわたしに男の子が話しかけてきた。話をしていたら、しばらくして、

やっぱりこの子おかしいわ、と言われた。

すると、男の子の母親が来て、

何言うてるの、あんたもおかしいやろ、と言ってどこかに去った。

おかしな人が来る場所らしい。

診察室に呼ばれて親に連れられて入った、らしい。

診察の結果、入院が決まった、らしい。

理由はわからないけれど、しばらくレンタカーの中で待っているように言われて、看護師さん(当時は看護婦さん)に連れられて車に戻った。

幻を見たと思われているが

助手席に座っていると、コンコンと窓を叩く音がした。

見るとおじさんが立っていた。

窓を開けるとおじさんは、

こんなとこ、来たらあかんで。

真剣な顔をしてわたしに言った。

これ、と言っておじさんは缶コーヒーをくれた。

おじさんが去って行くのを見ながらわたしは缶コーヒーを飲み干した。

お砂糖の入っているコーヒーを飲んだのは久しぶりだったけれど、おいしいと思った。

でも、あれ以来、同じラベルの缶コーヒーを飲めなくなった。

このおじさんの存在を親は信じなかった。もちろん主治医も、この話を聞いた友達も信じなかった。

けれど、ほとんどない記憶の中で、くっきりと覚えているのだから、わたしにとってはこれは真実だったとしか思えない。事実ではなく。

入院はいややと言って

お昼ご飯を食べてから入院することになったのでわたしたちは、父の車でわたしが一人暮らしをしていた家に行った。

まだ解約していなかったからだ。

母がどこからか、そばの乾麺を発見してきた。

この時にわたしは入院したくないと言った、らしい。

再び病院に戻って、診察室に入った。

するとわたしは、窓際の一段高くなっている部分に飛び乗って、憲法前文を暗唱し始めたという。

後にこの話を聞いて驚いた。

憲法前文を覚えようとしたことは一度もなかったからだ。もちろん今もまったく覚えていない。

「全く覚えていない」とは、あまり大きな声で言えることではないが。

結果、わたしは入院しなくていいという判断をされて、帰宅した。

主治医は「入院しないとどんなことになっても知りませんよ」と言った、らしい。

この時に母は、

「親がみないで誰がみるんですかっ!」と主治医に言ったらしい。

かくてこの母はいわゆる「キチガイ」になってしまった我が子の面倒を自宅でみることとなった。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。




地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)