[インタビュー]日本の舞台芸術2020年代~2030を聞く①

日本の舞台芸術界で活躍するキーパーソンに、2020年代、あるいは「2030年」を見据えた未来について、森山直人と竹宮華美が聞き手となって行うインタビュー・シリーズです。
ゲスト①:相馬千秋(NPO法人芸術公社代表理事。アートプロデューサー)
2021年2月3日実施(文字起こし:松岡咲子)


 森山(以下、NM) このサイトでは、日本の舞台芸術関係者のインタビューを、台湾と日本の読者に発信していくことになりました。第1回として、今日は相馬千秋さんに、お話しをうかがいます。相馬さんは、いまさら紹介するまでもありませんが、2010年代における日本のパフォーミング・アーツを牽引なさった最も重要なプロデューサーのおひとりです。

ところで、雑誌「舞台芸術」20号で、〈2020年以後の舞台芸術〉という特集を組んだことがありました。台湾の人たちは、この記事に興味を示してくれて、お互いにとっての「これからの10年」についてのヴィジョンを交換してみよう、ということになりました。相馬さんには、この号の座談会(注:実施日は2016年8月19日)にパネリストとして参加していただきましたね。とはいえ、いきなり「これからの10年」というのも唐突なので、今のことから話していきましょうか。たとえば、このコロナ禍については、どうご覧になっていますか?

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(Zoomインタビュー左から森山直人、相馬千秋、竹宮華美)

相馬(以下、CS) コロナ禍はあらゆる「集まり」にとって大変な状況を作りましたね。ただ、気を付けないといけないのは、これは別に演劇やアートだけに起こっていることではなくて、社会のあらゆるところに関係していることだということです。だから、それを「自分たちだけの特殊な状況」という風にとらえない努力は、けっこう重要ではないか、と思っています。演劇やアートも、もちろん打撃を受けているわけですけれど、でもそこで我々が元々持っている役割とか得意な部分を、この状況を乗り越えていくために生かすべきだろう、と心から思っています。

演劇は、基本的に「集まる」芸術です。それなのに「集まることができない」わけですが、でも、ふりかえれば歴史上、そういうことはよくあったわけです。パンデミック以前、我々は様々な交通手段を使って気軽に遠くからも集まれることに慣れていた。だから、いざパンデミックが起こって「物理的に集まるって大変なんだ」ということを、再確認させてもらったいい機会でもあるのかな、と。世界中のどんな作品でも飛行機代を払えば消費できるという状況を体験してきて、私自身もその一員だったわけです。そのことを反省というか、あらためて考察すべきタイミングでもあったと思います。

NM:たしかに2010年代は「LCC時代」で、みんな飛行機に乗りまくっていましたね。ところで、相馬さんの2010年代を振り返ってみると、まずは、なんといっても2009年から13年にかけての「フェスティバル/トーキョー(F/T)」のプログラム・ディレクターのお仕事がありました。ここでのキュレーションは、日本の現代演劇全体の流れを変えたと言っても過言ではないと思います。世界の最先端のポストドラマ演劇を紹介するという大きな方向性は、その後に17年からスタートしたシアターコモンズ 、そしてそのベースになっている芸術公社の活動、あいちトリエンナーレ(2019年度パフォーミングアーツ部門キュレーター)にも受け継がれていますし、「r:ead」のような国際的な議論のプラットフォームを作ることもなさっていた。2010年代は、相馬千秋なしには語れない10年間だったと思います。

そして、同時にまた日本の文脈で忘れることができないのは、この10年が、〈3.11〉後、震災後の10年間でもあったということですが、それに関しても、相馬さんは、芸術公社で「みちのく巡礼アートキャンプ」という企画を実現された。ちなみに東日本大震災は、台湾の人々からたくさんの支援をいただいたという意味でも記憶に残る出来事でした。――いろいろなことがありましたが、相馬さんご自身は、この2010年代をどう振り返っていらっしゃいますか?

CS:F/Tもそうなんですけど、2000年からの20年間は、日本において、「国際的なプラットフォーム」をいかに世界標準として機能させるかが大きな課題でした。鈴木忠志さんが1980年代に始めた「利賀演劇フェスティバル」をのぞくと、2000年当時の日本にはほとんどなかった。つまり、今までなかったものをつくることが重要で、その扉を大きく開けることはできたのではないかと思います。幸いなことに、その後になると、たとえばKYOTO EXPERIMENT(KEX)ができたり、TPAM(現YPAM)がアジアにフォーカスするなど、複数の扉が開かれたこともよかったと思います。そのことで、日本と日本以外の地域の演劇交流と、それによる差異の顕在化が確実に起こったのではないでしょうか。

もちろん、そのことが今、どういう作用反作用をもたらしているのか、ということの価値判断を、短い時間でするのは難しい。でも、ひとつ言えるのは、そういうプラットフォーム自体は、「LCC」のようなインフラに支えられていた、ということ。しかも、そういう「LCC時代」は、たしかに一部のアーティストやプロデューサーにはよかったけれど、果たしてローカルなオーディエンスが、どれだけコミットできていただろうか。――そう考えてみると、案外一部の人の話に限定されていたかもしれない。その意味では、今このコロナをきっかけに、もう一度、劇場や演劇がもともと持っている役割である、ローカルなところに根ざしていってもいいはずですね。
これは私の想像に過ぎませんが、今後は、この世界的なパンデミックをきっかけに、移動を前提とする創作やフェスティバルのあり方が変わっていくと思います。もはや物理的に移動しなくても、今日のこのインタビューのように、オンラインで情報のやりとりができるようになっているときに、もっと目の前のリアルなオーディエンスや、都市とか地域に根ざしていく創作や活動がベースになっていくんじゃないかなという気はしています。そして、今度はそれをベースにしながら、いかに他者、他所に開かれていくか。さらにはその開き方の方法を、どうアップデートできるのか。そういうところに、これからの10年はかかっている気がしていますね。
振り返ってみると、たしかにこの10年間、いろいろな活動をしてきたのですが、私としては「世界標準のプラットフォームを作る」ことは、たんに世界に開くだけではなく、むしろローカルなものを世界とパラレルに対峙させることが大事で、そのことを通じて「ローカルを耕したい」ということでした。その「ローカル」というのは、F/Tでいえば、「アジア」や「東京」だったし、日本のインディペンデントなアートシーンであったりもしました。そういう部分の活性化には、確かに貢献できたかもしれません。とはいえ、業界全体を見回した時に何か根本的に新しいことが起きたのかどうかということになると、起きてない可能性が高い。だからこそコロナで一旦、大きな中断が入ったことは、いいことだと私は思っています。

それからもうひとつの重要な文脈として、いわゆる「東京2020」があります。そもそもF/Tも、東京五輪招致に向けての文化プログラムの拡充の一環として始められたわけです。それがコロナ禍によって、一部の人たちの期待とはまったく違った方向に向かわざるを得なかった。そして、オリンピックを建前に様々な文化政策が展開され、未遂のまま終わりを迎えたわけですが、そのことが、これからの10年にどういう影を落とすのか・・・。

NM:そうですね。

CS:雑誌『舞台芸術』の座談会も、もともとそういう視野での議論だったし。

NM:そうなんです。ちなみに、台湾の舞台関係者が、この時の『舞台芸術』を読んで、みんな「日本の人って悲観的ですね」っていう話になったそうです(笑)。

CS:なりますよね。

NM:それから、さきほどおっしゃったように、「何か根本的な変化があったのかどうか」という問題ですね。

CS:やっぱり私としては、自分がモノを作る人間として、時代の何をとらえて何を表現していくか、ということに注力したいという思いがすごくあります。プロデューサーにもいろんなタイプがいますが、私はやはり作る側の人間なんだと思います。
  
そういう立場からいうと、私にとってこの10年間で一番大きかったのは、やはり震災でした。震災で再認識されたのは、本人の意識や生い立ちと関係なく、人はあるとき突然死ぬ、ということ。そしてそこに何か選択的な理由はないという、極めて実存的な問題でした。一方で、我々が生きている「今」という空間と時間が、物質的な地盤も含めて極めて不安定なものの上に成り立っている、という避け難い事実。そういうことが明らかになったのにもかかわらず、無理矢理オリンピックに向けた時計に強制同期させられながら、走り続けなくてはならなかった。この10年はそれで騙し騙しやってきたわけです。
ただ、その引き裂かれた矛盾に対する違和感は、社会の多くの人も感じているはずで、それをアートのような方法を通じて指摘した人もいれば、政治的な方法で指摘した人もいる。そして、この社会全体を覆う閉塞感と、あいトリで顕在化した問題は、相互に繋がっていると思います。あいトリの実行委員長であった愛知県の大村知事のリコール署名が、実は偽造だった問題も話題になりましたが、そこには、数としてはそんなに多くないけれども、そういうすごく限定された情報に翻弄されている人たちの顔が見えてくる。そして、それをもたらしている原因の根本的なところには「格差」があるのではないか。「情報格差」、「経済格差」、「地域格差」の拡大が、いわゆる「電凸」のような極端に視野の狭い行動に繋がっているんじゃないかと思います。
だからこそアートは、そうした社会のなかで誰に向けて、何をすればいいのか。例えば「シアターコモンズ」のチケットパスポートは7,800円です。つまりそこに来る人は、基本的にその価値を承認している人に限定されている、ということになります。また、シアターコモンズを共催している東京都・港区は、世帯の平均年収が1000万円を超えていて税収も多い地域です。そう考えると、シアターコモンズのようなアートイベントは、社会のごく一部の「勝ち組」の人たちだけが享受できる文化芸術の公共性でしかない、という批判も甘んじて受けねばなりません。
しかもいま、コロナで格差はますます広がっています。生存自体が脅かされている、という層も増えている。そういう人たちは高額なエンタメに支出する余力がないというだけではなく、先端的なアートが提示する問題さえ白々しいと思ってしまうかもしれない。「アートなんかよりも、単純に社会保障をちゃんとして、生きる権利をもっと充実させるべき」というような言説は、最近はよりシビアに考えるようになりました。

NM:まさにその通りですね。
一方、若い世代という点で言うと、僕自身は、最近やっぱりBLACK LIVES MATTER関連で出てくる人たちや、その世代の表現者が気になっています。そういうものを同時代的に生きている日本の15歳から25歳ぐらいの人たちが、これからの10年をどのように生きていくことになるのだろうか。たとえば、数年前にPort Bの高山明さんがやっていた『ワーグナー・プロジェクト』では、若いラッパーの人たちがたくさん参加していましたね。私自身も最近知ったのですが、韓国出身の日本留学生ラッパーのMoment Joonとか、黒人と日本人のハーフで日本語ネイティヴのラッパーである「なみちえ」さんの表現など、非常に面白い世界が、若い人たちには出てきている。そういう世代についてはいかがですか。

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高山明『ワーグナー・プロジェクト』2017 Photo: Naoya Hatakeyama

CS:『ワーグナー・プロジェクト』にかかわっていた彼らのような人たちには、すごく期待したいですね。
ただ、そもそも芸術や芸能は、「逆境」や「辺境」から生まれるもので、それは今も昔も変わらない。そう考えると、今の辺境がどこにあるのかを肌感覚で掴んでくるのがアーティストなので、高山さんのHIPHOPに対する着眼は、まさにそれが「辺境の声」を聞く装置として有効だということを感覚的に掴んでいるということだと思うんです。実際に、ラップをやっている子達と接してみるとみんな凄く切実だし、ヒリヒリしているし、考えているし、礼儀正しい。どういう表現であれ、その時代の一番ヒリヒリする部分を掴めるような方法ってあるはずで、そのことと今のコロナの「集まれないこと」とが重なっていった時、どういうものが出てくるのかということには、とても関心があります。

それにしても、コロナは1年では収束せず、いまなお続いています。このことは、若い人達の心身にいったいどんな影響を与えるのか。私の世代は、ロスト・ジェネレーションとはいえ、いろんなところに行けて、濃厚接触しまくりながら活動できてきた世代です。一方今の若い人たちは、コロナ禍で定着した距離感や人間関係の作り方をデフォルトとして活動するのかもしれない。彼らが今後、それをどういう表現に結びつけていくのかにはとても関心があります。

私自身は、シアターコモンズ’21で、「VR演劇」という表現手法に舵を切りました。そもそもコロナ禍で、私が代表を務める芸術公社が劇場運営者でなかったことは不幸中の幸いでした。芸術公社のようなインディペンデントの良いところは、劇場の空間を使わないで自由に発想できることです。経営的にはすごく大変な面もあるけれども、小さい規模の実験ができる。たとえ「劇場」空間を3年間あけられなかったとしても、「演劇の知恵」はいろいろな形で活用できるでしょ、ということを、自分の役割として今は示していかないといけないな、と思っています。
シアターコモンズ’21で集中的に制作・発表したのが、4つのVR演劇でした。これは基本的に、お客さん一人一人が体験をして、演者がいない。一応、リアルな会場には来てもらうけれども、オンラインの鑑賞でもある程度の体験の疑似体験はできる設計にしている。演劇の「メインストリーム」の側の人たちにしてみれば、「こんなのは演劇じゃない」とか、「ただのゲームだ」って言うかもしれないけれども、これからの時代、はたしてライブがいいっていうことを言っているだけでいいのだろうか。コロナ禍から回復してももう人々はかつてほど移動しない時代になるかもしれない。「生身でライブに来ることができる人」だけを相手にするだけでなく、距離を複数化する必要がある。それを可能にする技術としてのVR・ARは、今こそ開発すべきじゃないかな、と考えています。

NM:これからの舞台芸術に、それが必要なんだ、と。

CS:このインタビューは台湾の方も読んでくださるそうですが、台湾のような国だともっと切実だと思うんです。コモンズ21で上演したツァイ・ミンリャンのVR作品は、HTCと言う台湾のメーカーが開発したものです。この会社は、スマホをはじめとする電子機器の一流メーカーなんですけど、VR部門にも力を入れていて、そこがコミッションしてこの作品は成立しています。そもそも台湾には VR専用シアターもあって、世界的に見てもVR技術とその普及が進んでいる。台湾が近年推し進めてきた文化政策の中でも、特に成果あげている部分だと思いますね。

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ツァイ・ミンリャン『蘭若寺の住人』2020 Photo: Shun Sato

NM:数年前に、シアターコモンズの立ち上げの時に私が面白いなと思ったのは、その時、相馬さんは、外見的には一種のフェスティバルであるにもかかわらず、あえて「劇場をつくる」という言い方をしていらっしゃいましたよね。その時の「劇場」とは、有形劇場ではなく無形劇場、つまり形のない劇場、というコンセプトだったように思います。1980年代後半以後の日本では、「形ある劇場」の新設ばかりにこだわってきた感がありますが、相馬さんは、それとは反対のコンセプトを打ち出し、そこに新しいテクノロジーの可能性としてのVR演劇を接続しようとなさっているように思います。

CS:私自身は、幸か不幸かインディペンデントであるという自由を武器に、新しいコロナ時代のコモンズをつくるべく、私なりに戦っているつもりです。そうやっていると、まるで運気が上がるみたいに、海外のアーティストやプロデューサーが共感してくれるんですよ(笑)。たとえば、コモンズ21で作品を創ってもらったスザンネ・ケネディという重要な演出家がいます。コロナで一切海外から作品も作家も呼べない。それでも、誰の作品を一番みたいかと考えたら、スザンネの作品が今一番見たい、と思えた。それで、本人にそのことを相談したら、二つ返事でぜひやりたい、と。彼女は、「ポストヒューマン時代の演劇」について思考している人で、この世界の全てがバーチャルリアリティではないか、という仮説から出発しています。そういう世界認識の作家とクリエーションができるというのはすごくエキサイティングなことで、今後も、そういう作家たちと組んで、新しいコモンズの在り方を示していきたいと思っています。
別の言い方でいうと、「演劇そのものがバーチャルリアリティだ」ということは、あるレベルにおいてはすでに合意形成できると思うんです。全てのフィクションを現実に重ねていくメディアであるという意味で、演劇とバーチャルリアリティは、とても親和性が高い。演劇こそがバーチャルリアリティを体現する古くて新しいメディアなんだ、ということをしっかり見せる必要がある。私が昨年以来のコロナ禍で残念だったと思うのは、多くの劇場が単にリアル上演したものを配信したじゃないですか。・・・もちろん時間がなかったとか、色々事情はあるにせよ、そういうものだったらやっぱりリアルを観た方がいいに決まっているって話にしかならない。そういう地点から、一歩も二歩も踏み出していくものをやっていかないといけないタイミングなんじゃないかと思いますね。

NM:すこし別の質問に移りたいのですが、2010年代後半を通じておやりになってきたみちのくアート巡礼についてもうかがいたいです。

CS:はい。2014年にF/Tを退職した後に、シアターコモンズを2017年から始めるまでは、主にアジアでの「r:eadレジデンス・東アジア・ダイアローグ」と東北での「みちのくアート巡礼キャンプ」の両輪で、芸術公社の基盤を作っていきました。その2つが自分にとって1番耕すべき問いを含む地域だったからです。みちのくに関して言うと2015~18年度、20年度の計5回やってます。ツアー型のワークショップ企画で、「巡礼」という宗教的身振りを引用しながら、土地と人と関係性を結んでいくモデル自体はとてもうまく機能したと思います。ツアーしながら巡っていくという意味では、r:eadも同じですね。若手のアーティストが主に参加してくれるんですけど、この5回を振り返ってみると、その後東北や全国各地で活躍しているアーティストも少なくありません。その若い作家たちが、震災当時は当事者性が強すぎたり、逆に遠すぎたりして言葉にできなかったことを、10年を経て企画や作品まで昇華させられるようになったという手応は、かなりありました。
それで2020年もまた福島で開催したんですが、コロナ禍の真っ最中での開催で、今度は逆に、東京から行く私たちが差別される側になったという忘れ難い経験もしました。現地の受け入れ側から、事業の直前になって、来ないで欲しい、来てもバスから降りないで欲しい、という要請がありました。ほとんど人も住んでいないような僻地なのに、調整してくれている区役所関係の方に迷惑がかかる、という話でした。

またその震災から10年経った時、被災や原発事故をめぐるナラティブが、もう一度権力の力によって書き換えられてしまったことも感じました。例えば「廃炉資料館」という施設が双葉町にオープンしていました。これは東京電力がつくった施設で、「わたしたちはこんな事故を起こしました。申し訳ございません、でも私たちは技術の力で廃炉に向けてこんなふうに進んで作業しています」という物語が発信されている。訪問者は有無を言わさず全員シアターに案内され、そこでものものしい雰囲気の中、女性の社員の方が出てきて、いきなりふかぶかと頭を下げて「この度は申し訳ございませんでした。」っていって謝るんですよ。だけど、その謝っている人は、実は地元の人です。彼女は双葉町出身の人で東電に雇用されている。被害者が加害者を演じさせられているわけです。で、誰一人としてその場に、東電の本社の人はいない。

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みちのくアート巡礼キャンプ Photo: Riken Komatsu

NM:それがシアターとして、シアトリカルに行われている。

CS:これが一番衝撃でした。弱い人たちが常にそういうきつい役割を演じさせられる。この構造自体は震災から10年たっても全く変わらない、変えられない。でも一方で、それじゃあ私たちが今東京に暮らしていて、震災のことを想起するかって言うと、もうほとんどできないことになっている。ものすごい距離ができてしまった。私がみちのくでやってることはとても小さなアクションですが、ほかでもない私自身が、忘れずに震災のことをいつでも再稼働できる状態に保っていくためにやっている面もあるな、と思っています。
もう一つ印象的だったのは、このプロジェクトに富岡町の役場の方が参加してくれていたことです。彼女はまだ20代前半で、震災のときは15歳、中学3年生だったそうです。とにかく信じられないくらいしっかりしている子で、現地ツアーを自ら企画し富岡町を案内してくれました。その際、突然何もない更地の横にバスを停めさせて、「ここが私の家です」って言ったんですね。そこは、解体されてしまった彼女の自宅跡だったんです。そうやって、当時子供たった人たちが、社会のなかで震災を語り直す立場になってきている。彼らは、親の世代にとってはあまりに当事者性が強すぎて語れなかったことを、少し距離をおいて堂々と語れるようになっているという変化も感じました。そういう変化を5年、10年と継続的に体験し続けていくことが、自分や自分の周りにいるアーティストやスタッフにとっても重要なことなので、これは淡々と続けていきたいなと思っています。

HT:お話を聞きながら、いろんなことを考えていました。少し文脈から外れるかもしれませんが、このコロナ禍が起こしたこととして、インターネットで発信される情報や学びの場が増えて、どこにいても場合によっては時間も気にせずに、世界規模でいろいろなジャンルや業種を飛び越えた活動を意欲さえあれば知れる機会が増えたことがあると感じています。そのことにより、自分たちが今まで信じていたこと、教えられてきたことがもしかしたら別の角度から考えると、必ずしも真実ではなく、また固定概念の中での話だったかもしれないということに気づき、疑問を持てる状況が生まれました。さらにそれをきちんと言語化して発信することにより、同じ考え方だけではなく、違う考え方の人と対話することがやりやすくなりました。特にアクティブに反応しているのが2000年に生まれた20歳代の若い世代で、彼・彼女たちは、アートや商業的といったカテゴライズの垣根を飛び越えるような発想をもって活動する人たちも増えてきたような気がしています。少し上の世代の私や、さらに上の世代はこういった場や機会を決して絶やさないようにすることが重要ではないかと考えています。

相馬さんにひとつ質問があります。今までのお仕事の中で、誰に何を届けたいと思いながらずっと活動をされてきましたか。また、それがどのような影響をもたらしたとご自身で思っていらっしゃいますか。もちろんその企画ごとで目指すところの違いはあると思うのですが、いかがでしょうか。

CS:そうですね。企画ごとにそれぞれの対象は違うので一概には言えませんが、あえて言うなら、結果として、その作品やその企画に出会って人生が変わりましたとか、生きることが出来ましたって言ってくれる人が、いままでにも結構いて、特に若い人であったりすると、それはとても嬉しいなと思います。「みちのく巡礼キャンプ」は毎回みんなそういう反応ですし、あとF/T時代でも、例えば地点の『光のない。』を見て演劇を始めてしまったという人が今やKEXに登場するアーティストになったり、高山明さんのツアーパフォーマンスを経験してアーティストになることを決意したという若手アーティストもいます。
それが10~20年経って、次のその表現者たちを作っているっていう実感がようやく20年ぐらい続けてきて手応えを非常に感じますね。この間、美術家の久保ガエタンさんにお会いした時に「僕です。相馬さん、2007年にラビア・ムルエの『これが全てエイプリルフールだったなら、とナンシーは』を西巣鴨の体育館で観て、相馬さんに話しかけた高校生です。そのときに相馬さんは僕に名刺をくれて、その時の名刺今でも持っています。」って当時の私の名刺を見せてくれて。私はそこまで一人一人のお客さん覚えられていないのですが、でもこの人の人生に少しは影響を与えたのかなと。そういう人が10年経って立派なアーティストとして活躍している姿を見ると端的に嬉しいですね。私は作家じゃないから、きっかけを作っているにすぎないのですが、それは、かつて私がダムタイプを見て、こういう仕事をやりたいと強く思った時のような、強烈な印象を若い人に植え付けていることでもある。これからも、この舞台を見たことによって生きていけるとか、そういうレベルで人々の何か糧になっていければいいなと思います。



相馬千秋

NPO法人芸術公社代表理事。アートプロデューサー。演劇、現代美術、社会関与型アート、VR/ARテクノロジーを用いたメディアアートなど、領域横断的な同時代芸術のキュレーション、プロデュースを専門としている。過去20年にわたり日本、アジア、欧州で多数の企画をディレクション。その代表的なものは、フェスティバル/トーキョー初代プログラム・ディレクター(2009-2013)、あいちトリエンナーレ2019および国際芸術祭あいち2022パフォーミングアーツ部門キュレーター、シアターコモンズ実行委員長兼ディレクター(2017-現在)、豊岡演劇祭2021総合プロデューサーなど。2015年フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受章、2021年芸術選奨(芸術振興部門・新人賞)受賞。立教大学現代心理学部映像身体学科特任准教授(2016-2021)を経て、2021年より東京藝術大学大学院美術研究科准教授(グローバルアートプラクティス専攻)。2023年にドイツのフランクフルト・オッフェンバッハで開催される世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023のプログラム・ディレクターも務める。

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