近代食文化研究会
記事一覧
亡くなった動物を食べまくった、動物園の名物園長による食味ランキング
東洋経済オンライン記事、公開しました。
大正の終わりから昭和のはじめにかけて、亡くなった動物を「味見」していた天王寺動物園。
名物園長による食味ランキング最下位はアオウミガメ、さて一位は?
ハンバーグの歴史番外編(後編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか
かつてアメリカの国民食であったハンバーグ・ステーキとホットドッグ。しかしながら現在では、その地位をハンバーガーとピザにゆずってしまいました。
ハンバーグ・ステーキからハンバーガーへ、ホットドッグからピザへの主役交代は、1980年代以降に起こった現象と思われます。
1968年から77年にかけて、アメリカの食生活と健康問題を検討する上院特別委員会United States Senate Selec
ハンバーグの歴史番外編(前編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
日本の国民的洋食ハンバーグは、アメリカにその起源があります。アメリカにおいてもかつては、国民食といえるほどにハンバーグ・ステーキが愛されていたのです。
カメラマンの名取洋之助は、1936年にフォーチュン誌の企画でアメリカ横断撮影旅行に挑みます。その道中の食事は“普段はだいたいハンバーグ・ステーキかホットドッグ”とい
ハンバーグの歴史その10 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(後編)(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。
アメリカ料理
ハンバーグの歴史その9 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(前編)(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。
アメリカ料理
ハンバーグの歴史その8 団塊の世代の誕生と食生活改善運動(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。
そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。
アメリカ
ハンバーグの歴史その7 1962年に国民的洋食となったハンバーグ・ステーキ(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
アメリカ料理ハンバーグ・ステーキは、1950年代にメンチボール(イギリス由来)にとってかわり、日本の洋食における挽肉料理の代表になります。
1918(大正7)年生まれの紙芝居作家/風俗研究家・加太こうじの
ハンバーグの歴史その6 戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピ分析(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
「ハンバーグの歴史その4~5」では、戦前のアメリカの料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピの特徴を抽出しました。
今回は戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピと、アメリカのそれとを比較して
ハンバーグの歴史その5 戦前のアメリカにおけるハンバーグ・ステーキの特徴(後編)(東洋経済オンライン記事補足)
前編の続きです
特徴5.手作りソースではなく、卓上のケチャップや(ウスター)ソースで味付けスプレッドシート「戦前のアメリカハンバーグレシピ集」の「調味料/ソース」列にある通り、アメリカのハンバーグ・ステーキは塩胡椒・バターのみというシンプルな味付けが中心でした。フランス料理のように手作りソースを作ってかける、ということはしなかったようです。
例外が1904年の海軍レシピ『General Mes