さとう けーた

新卒から編集者/編集仕事で培った「読む・聴く・考える・話す・書く」にまつわる学びや知見…

さとう けーた

新卒から編集者/編集仕事で培った「読む・聴く・考える・話す・書く」にまつわる学びや知見を発信/【経歴】編集プロダクションで書籍の編集→某IT企業で広報誌の編集→ベンチャー企業でWEBメディアやアプリのプロデューサー→教育ドメインの会社でウェブメディアの編集長

マガジン

  • コミュニケーションの探求

    よりよいコミュニケーションとは何かを日々考えます。

  • ひびのこと

    その日その日で感じたことはや考えたことを雑多に記録。

最近の記事

考えるための文章。

文章を、考えるために書く。 noteに文章を書くのは、ちゃんとした文章にしなきゃいけないと考えていたが、人に伝えることはいったんおいておいて、自分が考えるために書いてみてもいいのでは?と思うようになった。 伝えるための文章を書こうとすると、 ・読者は誰か? ・メッセージは何か? ・どんな構成にするか? ・おかしな日本語はないか? など考慮しなければいけないことも多く、筆が止まってしまう。 読者を想定するとすれば、書いている瞬間の自分自身であり、書くことによって自分の頭の

    • 自分勝手な「読む」を手放す

      コミュニケーションのすれ違いについて思いを巡らせているなかで、ひさびさに石黒圭先生の著書『「読む」技術―速読・精読・味読の力をつける』の冒頭を読んでいたら、以下の文を見つけた。 僕たちは文章を前にすると「みんな同じように読んでいる」と思い込みがちだが、実際は人によって読み方が違っているらしい。アウトプットがある書くときの文体に比べて、アウトプットに直結しない読体はたしかに見過ごされやすい。 たとえば何かを読んでレポートを書いたとしても、レポートの内容がおかしかったとしても

      • 「品質」を定義できているか?

        朝一で次の文章を目にして、考えたことを書いておく。 「語彙」を獲得することで世界の解像度が上がり、思考の精度も上がる。その語彙を獲得するために読書をすることは重要だという主旨にも大いに賛同するが、今回参考になったのは「品質」の定義。 品質とは、「対象に本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」とある。 僕は普段、コンテンツの編集業務に従事しているが、コンテンツをつくる領域では「クオリティが低い」「もう少しクオリティを上げてほしい」というような言い方をされるこ

        • 「無駄」を決めるのは誰か?

          無駄。むだ。ムダ。 僕は、「無駄」っていう言葉が苦手だ。 なぜ苦手か?を考える前提として、その定義を確認しておきたい。 辞書を引くとこう書いてある。 「役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。」(デジタル大辞泉) 役に立たないこと、それをしただけのかいがないことは、「無駄」というわけだ。 自分がやっていること、誰かがやっていることを取り上げて、「せっかくやったのに無駄だった」「そんなことやっても無駄だ」なんて言ったり、言われたりする。

        考えるための文章。

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        • コミュニケーションの探求
          1本
        • ひびのこと
          8本

        記事

          名聞なき名文論

          ふと思い出して、昔のブログを探したらまだあった。社会人になりたてのころ綴ったものだ。 せっかくなので転載。 ✳︎✳︎✳︎ 名文とは、何か。 辞書的にいえば、 「論旨がだれにでもよく分かり、しかも訴える力の強い文章」(新明解国語辞典-第3版/三省堂より) となる。 文章の基本が、「達意」すなわち、言わんとすることの伝達である以上、 それが名文の条件であることは、至極もっともなことである。 ただ、そうではない名文というのも存在する。 詩のように、言わんとしていることは

          名聞なき名文論

          ヒトの行動原理は「不安定さ」なのかもしれない

          ヒトは生存本能として「安定」を求めるようにできている、のではないだろうか。 たとえば、未知のことやよくわからないことに出くわしたとき、避けるか逃げるかしてそれから離れることで「安定」させようとする。 また、未知のものがずっとあり続ける場合は、それが何かを既存の知識と比較しながら「意味づけ」ようとする。意味をあたえることで未知のものは既知となり、「安定」する。 ホメオスタシスや現状維持バイアス、コンフォートゾーンなどは、「安定」化の現れなのだと思う。 安定していればヒトは

          ヒトの行動原理は「不安定さ」なのかもしれない

          コミュニケーションのズレは「前提」のズレかもしれない

          人とコミュニケーションをとるとき、「前提」を共有することがとても大事だと思ってる。 結構、これが抜け落ちてることって多い気がしてるんです。 「前提」って何っていうと、「判断」の基準となる知識や文化的背景みたいなものと考えてください。 どんなに言葉を尽くしても、前提があわないばっかりに平行線をたどることってよくあって、これがすりあわせできていれば、仕事の生産性ってもっと上がると思うんです。 わかりやすいかわかんないけど、天気に関するコミュニケーションを例にとってみま

          コミュニケーションのズレは「前提」のズレかもしれない

          好きだと思ったことを「好きだ」といい、好きじゃないと思ったことを「苦手だな」と言う。誰の意見も挟まず、自分の感じたままにまず表明すること。 その積み重ねだけが「私」をつくるのだと思う。

          好きだと思ったことを「好きだ」といい、好きじゃないと思ったことを「苦手だな」と言う。誰の意見も挟まず、自分の感じたままにまず表明すること。 その積み重ねだけが「私」をつくるのだと思う。

          『世界をつくった6つの革命の物語』でガラスから始まる技術が光ファイバーにいたる流れを読み、「インターネットはガラス」なんだと思った。インターネットが空気のように当たり前になり、それをベースにARやVR、IoT、ブロックチェーンなどが生まれていく。今まさにそういう時代なんだ。

          『世界をつくった6つの革命の物語』でガラスから始まる技術が光ファイバーにいたる流れを読み、「インターネットはガラス」なんだと思った。インターネットが空気のように当たり前になり、それをベースにARやVR、IoT、ブロックチェーンなどが生まれていく。今まさにそういう時代なんだ。

          「文化」は、国単位とか地域単位で語られることが多いけど、もはや「個人」単位で文化があるととらえたほうがよい。つまり、僕であれば「さとうけーたという文化」を内包しているということ。 そうなると他者との対話はそれだけで「異文化交流」になり、前提が違うというマインドになれる。

          「文化」は、国単位とか地域単位で語られることが多いけど、もはや「個人」単位で文化があるととらえたほうがよい。つまり、僕であれば「さとうけーたという文化」を内包しているということ。 そうなると他者との対話はそれだけで「異文化交流」になり、前提が違うというマインドになれる。

          なにかを美しい、おもしろい、善いと感じるとき、先に理由があるわけではない。先にその感覚がある。 そしてそれを表明し、その上でなぜ美しい、おもしろい、善いと感じたのかを言語化し探って行く。 理由がなくては、美しい、おもしろい、善いとは言えないなんてつまらないことはやめよう。

          なにかを美しい、おもしろい、善いと感じるとき、先に理由があるわけではない。先にその感覚がある。 そしてそれを表明し、その上でなぜ美しい、おもしろい、善いと感じたのかを言語化し探って行く。 理由がなくては、美しい、おもしろい、善いとは言えないなんてつまらないことはやめよう。

          「学校の勉強は意味がない」という人は「学校の勉強=評価されるアウトプット」と考えがちだけど、本来は「勉強=試行錯誤するプロセス」で考える必要がある。他者はアウトプットで評価するのでそこに主眼を置くけど、勉強は自己成長のためにあるのだから、自分が成長するプロセスこそ大事にしたい。

          「学校の勉強は意味がない」という人は「学校の勉強=評価されるアウトプット」と考えがちだけど、本来は「勉強=試行錯誤するプロセス」で考える必要がある。他者はアウトプットで評価するのでそこに主眼を置くけど、勉強は自己成長のためにあるのだから、自分が成長するプロセスこそ大事にしたい。

          「一貫性が大事」と「変化することが大事」とは真逆のことを言っているようだけど、どちらも俯瞰してみると「木の幹は変わらない(けど枝葉は変わるもの)」と「(幹は変わらないけど)枝葉は移り変わるべき」と言ってる場合がある。 受け手はその本質を見ないと振り回されることになる。

          「一貫性が大事」と「変化することが大事」とは真逆のことを言っているようだけど、どちらも俯瞰してみると「木の幹は変わらない(けど枝葉は変わるもの)」と「(幹は変わらないけど)枝葉は移り変わるべき」と言ってる場合がある。 受け手はその本質を見ないと振り回されることになる。

          「合理的」とは「目的に合って無駄がない状態」を指すわけだから、「何かが無駄にあたるかは「目的」次第。 で、目的にもグラデーションがあり、近視眼的な目的にとらわれたヒトと、大局的な目的で合理性を判断しているヒトとでは会話が噛み合わない。どちらも合理的であろうとしているのに。

          「合理的」とは「目的に合って無駄がない状態」を指すわけだから、「何かが無駄にあたるかは「目的」次第。 で、目的にもグラデーションがあり、近視眼的な目的にとらわれたヒトと、大局的な目的で合理性を判断しているヒトとでは会話が噛み合わない。どちらも合理的であろうとしているのに。

          ‪相手の言葉の解釈につまづいたら‬ ‪①意図を汲み取って自己解決する‬ ‪②どう解釈するのが適切か質問する‬ ‪①は相手の気づきを奪い、②は面倒だけど成長機会につながると気づいた。「問う」ことで言葉のアウトプット精度を高める機会になる。①は結局表面的に円滑そうなだけ。‬

          ‪相手の言葉の解釈につまづいたら‬ ‪①意図を汲み取って自己解決する‬ ‪②どう解釈するのが適切か質問する‬ ‪①は相手の気づきを奪い、②は面倒だけど成長機会につながると気づいた。「問う」ことで言葉のアウトプット精度を高める機会になる。①は結局表面的に円滑そうなだけ。‬

          説明するときは「わかりやすさ」は正義なんだけど、説明を受けるときに「わかりやすさ」に慣れすぎたら危険。「わかりやすい」は、自分で咀嚼せずに相手が咀嚼しやすくしてくれた状態。 それに慣れた人が歯ごたえありすぎる説明受けたらマジ理解不能で、咀嚼するのにあご痛めたり歯が粉砕したりする。

          説明するときは「わかりやすさ」は正義なんだけど、説明を受けるときに「わかりやすさ」に慣れすぎたら危険。「わかりやすい」は、自分で咀嚼せずに相手が咀嚼しやすくしてくれた状態。 それに慣れた人が歯ごたえありすぎる説明受けたらマジ理解不能で、咀嚼するのにあご痛めたり歯が粉砕したりする。