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高齢者相手に感情的になって”闇落ち”する前に、自分も相手も「ただの人間」だと思い出そう

高齢者介護において、介護サービスを提供する相手は当然ながら高齢者だ。

高齢者と言っても、一人一人異なる人間である。

受け答えに問題がない方もいれば、耳が遠かったり理解力が追い付かない方もいらっしゃる。手早く器用に物事を進められる方もいれば、動きがひどくゆっくりな方もいる。介助に応じるかは、その日・そのときの気分次第の方もいる。

それらに異なる高齢者対して、介護従事者は一人一人に合わせた介護サービスを提供する。

――― 一方、介護従事者も人間である。

朝から元気いっぱいのときもあれば、何となく体調が悪い日もあるし、気分が良い日もあれば、仕事が慌ただしくなるとイライラしてくることもある。

福祉におけるプロフェッショナルとは言え、介護従事者は聖人ではない。

いくらお客さんである高齢者に接するのが基本としても、介護サービスの最中に利用者から理不尽な言動を受けたり、なかなか介助に応じないとなると徐々に黒い感情が湧くことはある。

それを表に出さないのもプロフェッショナルであろうが、そのときの状況や自身のコンディションによっては、知らず知らずにイライラなどの黒い感情が態度に表れてしまう。

特に介護従事者が黒い感情になるのは「時間がかかるとき」だと思う。

―― 介護従事者が伝えていることを理解するまで時間がかかる。

―― 伝えた直後に忘れてしまうため、同じことを何度も言い時間がかかる。

―― 口の中の食べ物を飲み込まないなど、食事介助に時間がかかる

―― 歩行など1つ1つの動作がゆっくりで時間がかかる。

―― 介助に応じられるよう気分が乗るまでに時間がかかる。

このような状況になると、介護従事者の中には「もういい加減にしてよ!」という感情が漏れてしまうと、それが高齢者に向けられる。


「なんで分からないのさ!」

「さっきも言ったでしょう!」

「はいはい、早く飲み込んでね~!」

「もうちょっと早く歩いてちょーだい」

「嫌ならもう、このまま好きにすればいいよ!」


このように書いている私だって、このような場面になると心の中では「うわー、早くしてくれないかなぁ」と思うことは頻繁にある。介護施設では乱取りのように介助が続くこともあるし、会議や来客があると気持ちが焦る。

もちろん、それを言動として出すことはしない。それは利用者にそれを行ったところで無意味だし、時間をかけたほうが短期的にも長期的にも介護が円滑になることを知っているからだ。

しかし、介護従事者の中には、上記のような言動を声を荒げてする人を見かける。ときには、虐待に至る一歩手前として周囲が止めることもある。

このような話をすると、アンガーマネジメントなどの話になりがちだが、個人的な考えを述べるならば、個人の性格やメンタルよりも、高齢者介護における知識や技術不足、あるいは仕事の進め方そのものに原因があると思っている。

また、感情の矛先を向けている高齢者のことを、あまり知らないということも原因として挙げられる。

知識や技術をもってこれから介護サービスを提供する相手のことを知ると、その相手にとの関わり方や介助法が見えてくる。
そこが明確になっていれば、その日・そのときの仕事の進行も見えてくる。


そうすれば、焦って感情的になることは少なくなる。これは介護に限った話ではなく、ビジネス全般に言えることである。

また、焦ったところで以降の仕事が円滑に進むかと言えば、逆にグダグダになると思う。だとしたら、焦ったときこそ「ま、仕方ないか」と割り切って、その場で気持ちをリセットして目の前の介助に向き合ことが健全だ。


――― 福祉に携わっているからと言って聖人になる必要はない。

慈愛の精神で高齢者と向き合うことは大切であるが、あくまで仕事の範疇と割り切ったほうが良い。そのうえで1つ1つの対応を粛々と行うことがプロフェッショナルではないか。

そもそも、高齢者も人間であるので、介護従事者の思ったとおりにいかないのは当然である。むしろ、人間相手にコントロールしようとするのは無理だという事実も割り切ったほうが良いと思う。

別に高齢者と適当に関われと言っているわけではない。

大切なことは、介護を行う自分もまた人間であり、感情的になることはあると認めたうえで、黒い感情が湧いたら、いわゆる”闇落ち”する前に対処しておこうという話である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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