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人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-第1話「無茶だと言われたよスタート編」

「東京から名古屋まで走り続けるなんて無理でしょ」

あるランニング仲間に言われた言葉が頭をよぎった時、私は三島へ向け箱根峠を下っていた。

一歩踏み出すたびに、左の足首には電流のような衝撃が流れた。これまで経験したことがない痛みに思わず顔をしかめ、背中からは脂汗が噴き出ていた。

この時、スタートして3日目。東京駅から走り始めて120㎞ほど離れたところにいた。ゴールの名古屋までは最短でも230kmは離れている。このままでは名古屋どころか、中間地点に到達することさえも厳しい。

無謀な走り旅を思いついた自分を責めようとしているこの間も、次の一歩を踏み出さなければならない。

ここからが新しい人生の門出を祝う旅の、本当の始まりだった。

人生の転機にバカバカしいことをやりたい

私は、ランニング歴6年の鈍足ランナーだ。
(自己ベストはフルマラソンでは3時間51分、100㎞マラソンでは11時間46分。)

この走り旅を思いついたのは今年の4月。当時私は、日系企業から南アフリカ共和国の子会社に海外赴任していた。

地元・鹿児島の大学を卒業後、私は20代で4回転職を経験した。そして、過去の反省から自分を見つめ直した結果、5社目の勤務先では7年半お世話になり、その間に現地責任者として海外子会社に派遣されるに至った。

(※私の自己紹介記事です。)

ただ、海外にいた今年の4月の時点では、子会社の経営環境を踏まえて現地でできることは、大方やりつくしたと考えていた。それ故、私は帰国後に会社を退職し、ライターとして独立しようと準備をしていたのだった。

20代で何度も転職を繰り返すほど行き当たりばったりの人生を歩んできた私なので、「7年半もお世話になった会社を辞めるなんて頭がおかしい」と思った人もいるに違いない。しかし、「組織の中ではどうしても”自分”が流されてしまう。自分の軸に従って仕事がしたい」と感じた私は、もう一度環境を変えたいと人生の方向転換を思い立った。

今回で5回目の退職となると、もう何度会社を辞めようが”普通”のキャリアには戻れない。半ば捨て鉢になって、新たな人生の門出にふさわしい挑戦がしたいと考えたところ、今回の走り旅を思いついた。

「無茶だ」と言われながらも”走り旅”を決意した理由

ちなみに、なぜ”走って”旅をしたのかというと、走ることには私の人生を一変させるほど重要な意味を持っていたからだ。

私は鈍足ではあるが、6年間ランニングを続けてきた。走り続けてきたおかげで生活リズムが安定し、努力を積み重ねていくという体験が得られた。それゆえ、5社目の会社では、これまでより長く勤務できたと考えている。

ところで、「名古屋 東京 走る」とgoogleで検索しても、私が見た限りでは、出てくるのはロードバイク(自転車)で移動した人たちの記録だけだった。新幹線で移動すれば2時間もかからないのに、わざわざ走って名古屋まで移動するなどというバカバカしいことをやる人間はいないはず。

googleマップを見ながらそんなことを考える度に、私は自宅で一人ニヤニヤしていたのだった。

(※今回のルートです。)

とはいっても、これまでの3倍以上の距離を走れるかは想像がつかなかった。そのため、これまで走ったことのある最長距離の100㎞の半分である50㎞を目安に、名古屋までの350㎞を1週間かけて走ることにした。また、不測の事態が起きた時にはリタイアしやすいよう、JR東海道線に沿って走るルートを選んだ。

この計画を打ち明けた友人は、案の定、全員驚き呆れたようだった。彼らの中には背中を押してくれる人もいれば、「長距離を何日間も走り続けるなんてどうかしている。無茶だ」とハナから否定する人もいた。

そして、妻も例外に漏れず呆れかえっていたが、「物好きもここまできたか」といわんばかりに微笑んで、私の長期不在を許可してくれた。

ウォーミングアップ!?の2日連続フルマラソン(1日目:東京~2日目:箱根湯本/ 96.9km)

10月11日の朝、私は東京都台東区の仮住まいを出た。

気象庁の観測史上最高と言われた夏の暑さは、いくぶん勢いを潜めたものの、ここ最近は、季節の変わり目特有の不安定な天気が続いていた。

冬になれば背負う荷物が増えてしまうことから、退職前の有給休暇消化期間に入り次第、できるだけ早いタイミングで走りたかった。一方、10月下旬には新居への転居が控えていたため、この挑戦を遅らせることもできなかった。

いつまでも各地の週間天気予報を眺めているわけにはいかない、と前日の夜に出発を決めた。

主な荷物となる替えのランニングパンツとTシャツのセット、ウィンドブレーカー、7日分のテーピング、そして携帯電話の充電器をザックに詰める。そして、当日の朝、冷蔵庫を片付けて家を出た。

台東区蔵前からJR線を乗り継いで、午前11時に東京駅に到着。丸の内北口に出た。この日の天気は晴れ。少々雲が見えていたものの、走る分には問題なかった。

(東京駅は平日にもかかわらず人で埋め尽くされていた)

駅舎のバックにおどけて写真を撮る外国人観光客のカップル、丸の内のビル群を指さしながら歩く若い女性たち、植え込みに腰かけて電話をするサラリーマン。駅舎前の広場は多くの人で混み合っていた。

私は人がいないスペースに移動し、ザックの紐を絞め直した。それから、ランニングウォッチのGPS信号が捕捉されたのを確認し、ゆっくりとその場から走り出した。

ビル群に守られて、影の中を颯爽と走る。降り注ぐ太陽の光の強さは10月になっても衰えないが、日陰に入るとさすがに涼しい。日比谷交差点から、国道1号線に合流。ここから長い旅が始まる。

この距離だと普段のジョギングと変わらないので、まだ身体は軽い。

スタートから17km地点の午後1時半に多摩川を渡り、神奈川県川崎市に入った。午後3時すぎに横浜駅を通過。ここからは箱根駅伝とほぼ同じルートを辿ることになる。

(神奈川県川崎市にて撮影。名古屋どころか静岡でさえ遠い。)

保土ヶ谷区を過ぎると、箱根駅伝のエース区間である”華の2区”の難所・権田坂に差し掛かった。頭の中で箱根駅伝の実況風に自分を鼓舞しながら、1km以上にわたる坂をゆっくりと上っていく。

午後5時過ぎ、日の入りのタイミングでちょうどこの日の目的地・戸塚駅に到着した。この日の走行距離は42.6㎞だった。

この距離はフルマラソン1本分に相当するが、まだ1日目。明日以降身体にどんな反応が出るか想像がつかないが、まずは初日を無事に終えることできた。

(※1日目の走行データです。)

2日目は朝8時前に戸塚駅を出た。駅へ吸い込まれていくサラリーマンや学生たちに逆らい、湘南方面を目指す。

走り始めこそ脚が重かったが、アドレナリンが出るのかしばらく経つと身体が軽くなっていくのを感じた。

スタートから15kmで海岸線に到着。ここから小田原方面へ向け西に進む。降り注ぐ日差しを受けて輝く茅ケ崎の海を左に見ながら、まっすぐ伸びる道を進んでいく。

(茅ヶ崎海岸の道)

それから相模湾に沿って走ること30㎞、小田原駅周辺に到着。さらに、本日のゴールである箱根湯本駅へ向かう。

箱根湯本駅には16時前に到着したが、日没までまだ時間があったので、明日進む予定だった箱根の坂を、時間の限り上ることにした。

湯本駅のそばを流れる早川からとめどなく放出されるマイナスイオンに誘われ、箱根旧街道に入った。

(箱根にはいつ来ても癒される!)

日没まであと一時間。極力体力を使わないようにと、50m走っては歩くのを繰り返し、坂の中間地点にあるバス停でフィニッシュ。

2日連続でフルマラソン分の距離を走るなどということは初めての体験だったが、今のところ身体は問題なく動いている。

ところが、静岡県に入った3日目。身体にあるトラブルが起きた。ここからが長い旅の本当の始まりだった。
(第2話へ続く)

(※2日目の走行データです。)

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