見出し画像

”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第1話「成り行き任せの告白編」

私の人生は突飛な行動であふれている。

南アフリカ共和国への駐在期間中に結婚したことも、私の行き当たりばったりな人生を象徴するエピソードの一つだ。

結婚を切り出すまでの間、実際に妻に会ったのは1回だけ。にもかかわらず、日本に住む妻に「南アフリカに来ませんか?」などと結婚を持ちかけてしまった。

しかも、じっくり話すようになってから結婚を決意するまでに要した期間はわずか2週間。その間、妻とのコミュニケーション方法はラインのビデオ通話だった。それでいて、妻は本当に南アフリカに来てくれたのである。

今回、1万3千キロ離れた場所に住んでいた我々夫婦が、どのように結婚するに至ったかをお話ししたい。

第一印象は「どこにでもいるアクティブ人間」

妻と出会ったのは、2021年の年初の冬。海外赴任を数か月後に控えていた。数回お世話になったランニングサークルに、たまたま妻が参加していたのだった。

身長150cmと小柄で、少々丸っこいフォルム。黒目がちな瞳は、小学生の時に実家で飼っていたハムスターを思わせた。

声はやや鼻にかかった感じで、集団の中ではかき消されてしまうくらいの大きさだった。しかも、自分から話しかけることはなく、他人の話に簡単に反応する程度。内気な私でさせ心配になるほど、か弱く見えた。

しかし、妻と話してみると、そんな印象とは大きくかけ離れた人間であることが分かった。

当時妻は、ある大手企業の情報システム子会社に勤務していて、何度も海外拠点に出張していた。また、趣味であるヨガのトレーニングを受けるべくニューヨークにまで足を延ばすなど、実はかなりアクティブな人間だったのだ。

彼女の控え目な印象と大胆な行動とのギャップに惹かれ、私も学生時代の留学やこれまでに経験した海外出張の話で応えた。そして、少し変わった彼女の生き方が面白く感じられ、連絡先を交換した。

しかし、これ以降、妻と連絡をとることはなかった。この時、海外赴任の準備が忙しかったのもあるが、私にとって彼女の印象は”ただアクティブな人”という枠を出ず、東京ではさほど珍しくないタイプの人間だと思った。

藁をもつかむ思いで果たした”再会”

そんな我々が再び顔を合わせたのは、私の海外赴任から数か月後の2021年7月だった。

日本本社から出向してきた私は、当時、子会社の経理システムを入れ替えるというミッションに取り組んでいた。

ほぼ野放し状態だった現地子会社は、30年近くも同じシステムを使い続けていたのだ。本社にはシステムに詳しい人材が皆無なうえ、現地スタッフからは「なぜわざわざコストをかけてまで入れ替えを行うのか」と反発にあっていた。会計もシステムも、ほぼ知識ゼロだった私は、自分で一から調べていかなければならなかった。

はっきりとした方向性を打ち出せず、相談した日本のある友人には「雲をつかむような話ですね」などと皮肉られる始末。いったい、このタスクをどう片づければいいのだろうか。

途方に暮れていた私は、これまで出会ってきた人たちの記憶を必死に辿り、ある女性にすがりついた。その相手は、海外拠点のシステム管理に携わったことがある妻だった。

(海外赴任当初の住まいから見たケープタウンの風景)

妻には半年近く連絡を取っていなかったが、こんな状況では恥も外聞もない。思い切って助けを求めた私を、彼女は快く受け入れてくれた。そして、通話の日。

「お久しぶりですね。その後、いかがですか?」
時間を作ってくれたことに対するお礼の言葉に続けて、私は彼女に近況を訊ねた。

私には、ある不安があった。それは、「もし彼女が押しに弱い人間で、断り切れずに私のお願いに応じてくれたのであればどうしよう」という心配だった。そんな可能性を拭えずにいた私は、どのように会話を運ぶべきか分からずにいた。

しかし、そんな私の心の内を知ってか知らずか、重苦しい雰囲気を切り裂くかのように、妻が声を弾ませて言った。

「南アフリカについて調べましたよ。すっごく遠いところにあるんですね」

この一言で、緊張でカチカチだった私の心は、電子レンジで温めたバニラアイスかのごとく、一気に解け出した。 妻は嫌々通話に応じてくれたわけではないことが、分かったからだ。

実は、これまで多くの人に海外赴任の話をしたが、南アフリカについて調べてくれたのは彼女だけだった。日本から飛行機で乗り継ぎ時間を合わせて24時間を超える遠さのせいか、「遊びに来てよ」という私の冗談にさえ乗っかってくれる人がいなかった。(実は、私も赴任するまで現地に興味がなかったのだが。)

思い返せば、彼女は海外に住むことが夢だと言っていた。私が現地で撮った景色の写真を見せると、彼女の表情が一段と明るくなるのが分かった。

南アフリカに興味を持ってくれる人がいたという、驚きの事実があまりにもうれしく、私はこれまでにないほどに饒舌になっていた。結局、この時の会話は海外生活の話題に終始し、システムどころではなくなってしまった。

わずか2週間の間で打ち解けていった理由

2回目以降、妻とはほぼ毎日ビデオ通話をし、お互いの仕事や趣味の話で盛り上がった。

仕事に関して言えば、当時の私は、自分の体験をフラットに話せる人がほとんどいなかった。

もちろん、日本本社には海外赴任経験者が数名いたものの、彼らが身を置いていた”古き良き時代”とは大きな差があるような気がして、自分が現地で直面している”今”を伝えるのがはばかられた。(もちろん、会社の経営や事業運営に関し必要な情報は定期的に報告していたが。)

一方、自社の海外拠点事情に明るかった妻は、そんな私の立場を理解し、真剣に話に耳を傾けてくれた。しかも、彼女は自ら自分のキャリアを切り拓いてきたストーリーをいくつも持ち合わせていて、その一つ一つには、私を力づけるのに十分すぎるエネルギーを持ち合わせていた。

また、彼女と会話を重ねていく中で、あることに気がついた。それは、彼女のアクティブさは、自分が信じたものに突き進んでいこうとする信念から生まれている、ということだ。

現に、彼女は自分が「好きなもの」や「やりたいこと」を追い求め、これまで、様々なことに挑戦してきたのだった。

入社後、がむしゃらに働き続けたこと。

自分のキャリアに疑問を持ち始めて以来、高校時代に憧れていたファッションの専門学校に通い続けたこと。

ある時ヨガに魅了され、アメリカまでトレーニングを受けに行ったこと。

その姿は、過去に日本語教師やキャリアカウンセラーの養成講座に通ったり、はたまたオンライン英会話を受けたり、と進むべき道を探して迷走し続けてきた自分と重ねて見えた。

そしてこの時すでに、妻は将来自分のヨガスタジオを持つべく、会社に勤務しながら、プライベートのヨガ指導を行っていた。

(彼女が挑戦していく様子について話を聞くのが、こんなに面白いとは思わなかった。彼女は、これからどんな道を進んでいくのだろう。)

底がない妻の魅力に憑りつかれた私は、もはや彼女の熱狂的なファンと化していた。

もっと彼女の話を引き出したいと思い、私は仕事や趣味のランニング以外にも、転職回数の多さや過去に犯してきた失敗の数々など、自分が引け目に感じていたことも素直に打ち明けるようになった。

その結果、我々はお互いを知ることに、ますます時間をかけるようになっていった。日本と南アフリカの時差は7時間。ある日は、妻の会社の昼休みの時間にあわせて私が朝5時に起床した。またある日は、私の帰宅時間に合わせて彼女が夜0時まで起きていてくれた。

思わず口走った”プロポーズ”の言葉

そして、久々の”再会”から2週間が経過したある日のビデオ通話。妻との会話の中で、ふと私の中にこんな思いが姿を現した。

(これほど個性的で信念がある人をこのまま放っておくわけにはいかない。後悔したくない。)

私は、突如生まれたこの思いの熱が冷めてしまわないようにと、これまでの会話の流れをぶった切り、こう言葉にして妻に差し出した。「(妻)さんみたいな人と付き合えると楽しいのに」

 妻は笑みを浮かべて、私が投げ込んだボールをすかさず返した。「この年になると結婚前提じゃないと付き合えないよ」

結婚という言葉を耳にした瞬間は、ずいぶん急な話に思えたが、一方で、彼女の立場としてはもっともだとも感じた。今自分は、30代半ばを迎えた女性に対し、超遠距離であるにもかかわらず交際を持ちかけている。

この時点で妻の答えは「イエス」か「ノー」かのどちらに転ぶか分からなかったが、彼女を逃して自分を悔いる羽目になるかもしれないことを考えると、結婚に応じる価値はある。

加えて、思いがけずこんな考えが頭をよぎった。

(海外赴任中に結婚するカップルって世の中にどのくらいいるのだろう?どうせなら、誰も経験したことがない結婚生活を送ってみたい。)

私は赴任してきたばかりなので、本帰国はまだまだ先のこと。であれば、彼女に南アフリカに来てもらうのが現実的な選択だ。

「なら、結婚して南アフリカに来たらいいんじゃない?」
私は、自分の気持ちを隠すことなく伝えた。

勤務先を転々とした私と異なり、彼女は一つの職場でもがき続け、自分なりの”出口”を探し続けてきた。それゆえ、彼女ならたとえ海外にいても、自分のやりたいことを追い求めることができる、という確信があった。

「えっ、いいの!?行く行く!」
妻は二つ返事で応じてくれた。

私が交際を持ちかけてからというもの、ややきつくこわばっていた彼女の表情が、分厚い雨雲から太陽が現れたかのごとく、明るく晴れ渡っていくのが分かった。

一方の私も、両肩の緊張が自然と解けていく感じがした。これ以上ない返事が得られて、うれしかったことはうれしかったのだが、それよりも妻を逃さずに済んだ安堵感のほうが大きかった。

このようにして、世に稀に見る、成り行きまかせの「プロポーズ」が成立した。しかもビデオ通話で。

この後、11月に日本に一時帰国した私は、妻とリアルに再会を果たし、結婚へ突き進んでいった。私が彼女の新たな一面を知り、衝撃を受けることになるとは、南アフリカにいる時点では知る由もなかった。

(第2話につづく)

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?