父のはなし


父という人間に対して、私はとにかく扱いというか接し方に困る。

昔はそれほどでもなかった気がするけど、私が3歳か4歳くらいの頃にラーメン屋さんを開業した頃からなんとなく父という存在がぼんやりしてる。
仕事に忙しくて家にはいないし、週に一回、木曜か火曜の休みも私は学校で夕飯をいっしょに摂るときしか顔を合わせない。
そんな生活がしばらく続いた頃、父が癌で倒れて、母がお店をしながら家事育児をして、経営難で貧乏になってボロボロになった。

夜、お母さんが運転する車に子ども3人乗せられて、海沿いをドライブした記憶がある。
どこに向かってたのか何かからの帰りだったのか、とにかく海沿いを走ってた。
当時のことを母に聞いてみたら、車ごと海に突っ込んで心中しようと何度も試みてたって言われて生きててよかったって思った。
生きててよかったって思ったけど、たぶん死んでても大丈夫だった。

その後まもなく父も病気から復活したけど、今度はいつ死ぬかわからんから俺すきなことやるって言い出してラーメン屋さんを畳んでお百姓に転身したわけだけど、こっからが母の2度目の地獄のはじまりで、ラーメン屋開業の借金を払い終えたと思ったら今度は工場を買うために、父がとんでもない額の借金してきた。

それから家族がなんとなくギクシャクしはじめて、私はとにかく自分の自由に使えるお金が欲しくて高校を中退して働いて、長姉も通信制の高校へ行きながら働いた。
次姉は大学を諦めて、私もとにかくとにかく働いて、そんな中、両親の夫婦間で諍いがたくさんあって母は県外に高飛びして父は3年くらい一人ぼっちだった。
私が20歳の頃なのに、そのときのことはあんまり覚えてない。
父に同情したか、母に同情したかもわからないけど、母が行ってすぐ、当時2歳の姪に七夕の笹を父が買ってきたのを覚えてる。
娘の私に笹を買ったのはもう遠い昔のことなのにな、って思った。
その翌日、父は私の大好物のナスを買ってきた。
そんなこと今までしなかったのにってちょっとおかしくなって、私は勝手に家を出て勝手に結婚して妊娠して出産した。
妊娠中、父が私と長姉と姪を連れてお弁当を買って海へ行って、そこで父に妊娠したことを言ったけど父になんと返事をされたか覚えてない。
とにかく私は緊張してた。もうすっかり、父との関わり方を忘れて10年以上経ってた。

出産した翌日、来院した父が「今まで見たなかで一番きれいな赤ちゃんだね」て言ってくれて、私はそれだけでこの子を産んでよかったって感激した。

けどまあだからといって父と仲良しこよしにもなれなくて、結婚出産も勝手にしたし、離婚も勝手にして事後報告もできず、父とまたいっしょに暮らしはじめた母を経由して会話してる状態がもう20年近くなる。

私はきっと父が苦手なんだって思い込んでたけど、この年齢になり離婚を経て、自分がめちゃくちゃ父似なんだって自覚した。
いつ死ぬかわからんし俺はすきなことやるよって言った父、めちゃわかる。
今の私が娘に迷惑かけることを承知の上で、それでも自分の決断と生き方に迷いがないことにうわぁって思わないこともないけどもう仕方ない。娘には頑張ってついてきて欲しい。
間違いなく私は父の血をしっかり受け継いでしまってる。

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