くまぐら@大人になっても不登校

30代/男性 地方の国立大学卒業後、お笑い芸人になったものの挫折。 その後、一念発起し…

くまぐら@大人になっても不登校

30代/男性 地方の国立大学卒業後、お笑い芸人になったものの挫折。 その後、一念発起し、地方公務員として社会復帰を果たすが、うつ病になり休職。 自分に合った働き方が分からず迷走中。

マガジン

  • 国立大卒業後、お笑い養成所入って、芸人になったけど挫折した話

    国立大学卒業後、お笑い養成所に入って芸人になったものの挫折しました。 その過程を憶えている限り克明に、時にはお笑いの裏事情を挟みつつ記事にしております。 質問も受け付けております。こんなことを書いてほしいというものもあれば、僕の経験内で記述できることはしていきます。 できれば、皆様の意見も合わせて、記事を作っていきたいです!!

  • 昔々、不登校を矯正された少年がいました

    私は小学校の時、不登校でした。 不登校になってから、また学校に行くまでの経緯をエッセイ形式で投稿していきます。

最近の記事

餅の思い出

 年末になると、僕の家ではいつも祖父と祖母が餅をついていた。  僕は毎年つきたての餅を食べるのをとても楽しみにしており、つきたての餅に、祖母が小豆から作ったあんこを包んで食べると絶品だった。  僕は、この餅つきが好きだった。つきたての餅が美味しいからという理由からだけではない。なぜならそれは、祖父と祖母が年末だけに行う特別な行事だったからだ。  年間を通して祖父母が餅つきを行うのは年末だけだ。僕は12月に入ると待ち切れなくなり、何度も祖父母に餅つきの日をたずねる。僕はその日

    • シェルター

       僕にはシェルターが必要だ。どんな攻撃からも身を守れる完全無欠のシェルターが。とかくこの世は害悪に満ち満ちている。  外部からの影響を遮断すれば、僕は内側からむくむくと生長していく。そして、生長して僕からはみ出た余分な部分を切り取って、それを売って生計を立てたい。  シェルターはつるりとした卵型だ。内装は全面木目調にして、暖色系の明かりにしよう。内側からはちゃんとカギができるようにしておかなければいけない。  シェルターの中は本で埋めつくそう。何回も読んでいるお気に入り

      • 裏切り者

        自分を裏切る  僕は今までどれだけ自分を裏切ってきただろう。自分の夢を希望を期待を。自分だけではない、周りの人間もずいぶんと裏切ってきた。  そのとき、そのときに自分に正直に生きていこうと人生の判断を下してきたはずだった。しかし、のちに振り返りよくよく考えてみると、僕は自分を裏切ったんだという感覚が残る。僕はまともに自分の方向を定めるできない。結婚し子どもを作り、家を建て、もうどうにもできない状況に僕は来てしまった。 「お前は逃げているだけだ」と父はいう。 「あなたの考え

        • ダックスフンド

          昔のこと  僕が小学校にあがるかあがらないかそのくらいのときに、2匹のダックスフンドを飼っていた。2匹は親子の関係で、母親はローリー、息子ビックという名前だった。どちらも黒色のダックスフンドだった。  しかし、ビックは僕が5才くらいのときに近所の山で毒ヘビに噛まれて死んでしまった。ビックはまだ1、2才くらいだったと思う。  だから、僕の記憶に残ってるのは主に母親のローリーのほうだ。ローリーは家の外の犬小屋で飼っていた。今から30年くらい前の話だから、当時は犬を家の中で飼うと

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        • 国立大卒業後、お笑い養成所入って、芸人になったけど挫折した話
          11本
        • 昔々、不登校を矯正された少年がいました
          16本

        記事

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その5

          かき氷食べる 今日の体調は悪かった。しかし、奥さんがかき氷を食べに行くことを前日から楽しみにしていたので、同行することに。  そのかき氷屋さんは自家製シロップが売りだった。  僕は一番オススメの桃のシロップにミルクを追加したものを食べた。食欲はあまりなかったのだが、1番の小さいサイズを頼んだので美味しく完食できた。  シロップには果肉が入っているため、その食感がアクセントになり、終始シャリシャリしがちなかき氷を飽きることなく食べることができた。  また、シロップを上から掛

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その5

          お笑い芸人辞めた人間の手記 その1

          面白くなければ人間じゃない 僕は一生懸命、僕なりに一生懸命お笑いを続けてきた。結果は芳しくなかったが、それなりに良い線はいっていたと思う。NSCではAクラスになんとか入ることができたし、卒業後も良い戦いを繰り広げてきた。  しかし、オフィシャルな評価を得ることがなかなかできなかった。タイミングもあるだろうし、辞めるのが早かったのかもしれない。  4年と少しというのが僕としてお笑いを続ける年数の限界だった。27歳になっていた僕はそのままお笑いに身を埋める覚悟が足らなかったの

          お笑い芸人辞めた人間の手記 その1

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その10〜クラス分け〜

          コントから漫才へ ハトの学校としての初めてのネタ見せでコントを披露し高評価を得た僕達は、その後もコント作りに精を出した。  しかし、2つ目のネタも3つ目のネタも面白いネタを全く作ることができず、ネタ見せの講師からの評価もあまり良くなかった。  いきなりスランプになってしまったのだ。アイデアを振り絞るために即興コントをしてみたりしたが、何も良いアイデアは生まれなかった。  そして、僕達はコントをすることを諦めた。諦めて漫才をすることにした。  僕がボケをやろうとしたのだが、相

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その10〜クラス分け〜

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その9〜初めてのネタ見せ〜

          コンビ名を決める ※これから出てくるコンビ名や名前はフィクションであり、実際の個人や団体とは一切関係ありません。ただ、話の内容は事実に基づいております。  コンビ名の決め方は色々ある。  よくあるものだと、お互いの名前や名字を引っ付けたり、コンビ名に「ん」が入ってたら売れるという縁起をかついで(ダウンタウン、バナナマン等)決めたりする。  お互いの好きなものを組み合わせて決めるというのもよくある。  僕達はというと、お互いの嫌いなものを組み合わせて「ハトの学校」というコン

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その9〜初めてのネタ見せ〜

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その8〜相方みつかる〜

          相方がいない 養成所に単身で入った僕は当然相方がいなかった。いなかったから、ネタ見せの授業はもっぱら自己紹介か一発ギャグをしていた。  そんな調子ではなかなか相方は見つからなかった。  しかし、同じクラスで仲の良い友達は何人かできた。クラス単位で授業を受けるので、当たり前のことであるが。 相方探しの会 そんな中、相方探しの会という催しが養成所主催で行われた。  相方のいない僕はもちろん参加した。  どのような会かというと、皆で大喜利をしたり、自己紹介をしたりして、相方を見

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その8〜相方みつかる〜

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その4

          診察の日 今日は精神科の受診日だった。朝の不調を訴えたところ、薬の量が調整される。  カウンセリングでは、臨床心理士さんと楽しく会話をする。最近『老子』にハマっている話をした。  妻と息子と一緒にイオンに行く。  今話題のヨギボーを試した。楕円柱のクッションによりかかると、一瞬にしてソファの形に変わったのに驚いた。  ただ、3万円は高すぎると思う。 躁鬱 『躁鬱大学』という本を買った。内容を読む。  どうやら自分のことらしい。  さっそく神田橋語録を入手して読み漁る。  

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その4

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その7〜アルバイトはじめました〜

          売れない芸人といえば 売れない芸人といえばなんといってもアルバイトであろう。僕も例に漏れず様々なアルバイトを経験した。  大阪に来て一番始めにやったのはレンタルビデオ店のアルバイトである。なぜそこで働こうかと思ったかというと、家から一番近かったからである。  しかし、店長が最低だった。 店長 入って2ヶ月ほど経ったある日のこと。僕はレジのレシートの横に赤いラインが入ったので交換しようとした。仕事などでレジをしたことがある人は知っていると思うが、これが出たらレシートがあと少

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その7〜アルバイトはじめました〜

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その3

          収穫 夏野菜を収穫した。トウモロコシ、トマト、ナス、キュウリ。  去年から実家の畑で始めた家庭菜園。やっぱり収穫するときが一番楽しい。  夏野菜は成長スピードが早いから、収穫時期に注意しないといけない。特にキュウリ。1日放って置くだけでおばけキュウリになってしまう。  成長が早く目が離せないところは、我が息子に似ている。  毎日一緒にいるのに、実感できるほどの速さで成長していく。離乳食もどんどん食べるようになってきた。飼い猫が走っているのをみると喜ぶ。出す声もだんだん複雑に

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その3

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その2

          朝の体調不良 今日は朝から頭が重くぼんやりした。気が進まないまま、朝ごはんをとるとすぐに寝室に戻りうつ伏せになる。  しんどくて眠ることもできず、じっとしていると、妻のあやし声と子の笑い声が聴こえてくる。  自分だけ取り残された感じがして、少し寂しくなる。  僕も常に自然な笑顔で息子と接したい。しんどい時はいつも無理に笑顔を作っている。  僕の作り笑顔に、息子は無邪気な笑顔を返してくる。その時がいつもたまらなく辛くなる。  早く普通の体調に戻りたいと思う。 家の打ち合わせ

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その2

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その6〜生活費を切り詰めろ〜

          一人暮らしを始める 僕は、大阪のお笑い養成所に入り大阪で一人暮らしを始めた。  お笑いに時間を使いたかったので、バイトをする時間はできるだけ削りたかった。だから、生活費を極限まで切り詰めた。 電気代 水道代は毎月2000円で使い放題だったので、削るとすれば電気代とガス代だった。  電気代を削るために目を付けたのは照明だった。  僕が住んでいたマンションは築30年以上なのにもかかわらず、照明がシャンデリアのような見た目で、白熱電球が5個も使用してあった。これはものすごく電気

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その6〜生活費を切り詰めろ〜

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その1

          離乳食  今日の体調はまずまず。  朝7時に起床したものの、頭がぼんやりするので二度寝をする。11時に再び起床。リビングに入ると6ヶ月の長男が笑顔でお出迎え。  赤ちゃんは無垢な存在だと再認識する。そんな存在に僕の鬱々とした気持ちを移すわけにはいかない。  僕は無理に笑顔をつくると、明るい声で子供の名前を呼ぶ。すると、長男はさらにニコリとし、声を上げて笑う。本当によく笑う息子である。  僕が寝ている間に離乳食の練習は終わっていた。ここ2日程朝の離乳食練習を見ていないのが残念

          うつで休職中なのに、子育てしてます。その1

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その5〜大学を辞める!?〜

          追い詰められる  お笑い芸人になると決めてから急に学業に興味を失った僕は、配属された研究室に徐々に行かなくなっていった。  大学4年生のときには、卒論の中間報告の日には行くものの、その日以外はほとんど自宅で過ごしていたので、半分引きこもりのような生活をしていた。  当然、卒論の研究は全く進んでいなかった。だから、研究室に行くたびに担当の教授からは厳しい言葉を掛けられた。  また、サークルから疎外され、就活隠れ蓑作戦(その4参照)も失敗続きだったので、僕の心はどんどんヤサグ

          国立大学卒業後、お笑い養成所に入って、芸人になったけど挫折した話 その5〜大学を辞める!?〜