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のりを手に入れる 第744話・2.6

「おい、のりがないんだ!ちょっと買ってきてくれ」「わかりました。すぐに!」店主にそう言われた太一は、慌てて出かける準備をする。

 太一は老舗の茶の専門店で働いていた。この店で特に売り上げが多いのは抹茶。「実家を継ぐために抹茶を極めたい」と、かねてから太一は願っていた。太一の実家は老舗の和菓子屋だが、最近は洋菓子も取り扱っている。いずれにせよ抹茶はどちらの菓子にも使える人気のアイテム。
「抹茶を少しでも知るために2・3年頑張ろう」と思った太一は、1ヵ月ほど前、つまり今年からからこの店で働いていたのだ。

 茶の専門店では一番の若手である太一は、店主から雑用を言いつけられることが多い。だからこのときも店主に「のりを買ってこい」と言われたということだ。ちなみに一般的な茶を販売しているお店では海苔も販売している。「茶」と「海苔」は、専門的管理や保存方法が似ているだけでなく、茶の生産時期(春から秋)と海苔の生産時期(秋から春)にズレがあるなどの理由も加わって、両方を扱うことが多いともいわれているからだ。
 だが太一のいる茶専門店では元々海苔を扱わなかった。だが近年になって客から「海苔は扱ってないの?」との問い合わせが増えてきている。そのようないきさつから、現店主の時代に海苔の販売も始めたという。

 あわただしく、店を出た太一。店から歩いて10分くらいのところに海苔の卸専門店がある。いつもここで、ある程度まとまった量の海苔を卸で仕入れているが、ここで太一に疑問が沸き起こった。「あれ、何で俺に?」太一は定期的に仕入れている海苔を、なぜ自分に買いにに行くように店主が言い出したのか、頭の中で疑問がわく。

「思ったより海苔が売れたのかな。俺が見る限りはそんな感じじゃなかったけどな。それとも在庫がない? いやそれも......」とつぶやきながら、卸の前まで来たときに、次の疑問だ。「あ、海苔の種類聞くの忘れた」店主は海苔としか言わず、いったい何の海苔を買えと言ったのかわからない。
 このときに電話かなにかで「何の海苔ですか?」と確認すればよかったが、そのときの太一にそういうことが頭からすっ飛んでいた。

 逆に太一はひらめく。「佃煮海苔を買ってきてほしいというのかもしれない」と。太一の店では、いわゆる板状になった「焼き海苔」系だけを扱っていて佃煮海苔は扱っていない。
 つまり店主がプライベートで使うものだと思い込んだ太一は、佃煮海苔を1瓶購入した。
「あの人はこの銘柄が好きなのを知っているからな」太一は安心した表情で店を後にする。

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「はい、買ってきました」店主に買ってきた佃煮海苔を元気よく見せる太一。店主は袋から見た佃煮海苔を見て、突然表情が険しくなる。「おまえ!これ違うぞ、のりはのりでも、接着するほうののりを買ってきて欲しかったんだ!」と、強い口調で怒鳴られた。

「え、のりって糊のこと! す、すみません」太一は顔色を変えて頭を下げる。ここで少し落ち込んだが、意外にも店主はすぐに機嫌を直す。
「いや、佃煮海苔もちょうど切れかかっていたから、これはこれでよい。ワシも言い方が悪かったな。もう気にしなくてもよろしい。では改めて買ってきてくれるかのう」

 それを聞いた太一は、少し安心したのか全身から鳥肌のような痺れを感じつつ「わかりました!」と再び元気な声を出すと再び店を出ていくのだった。


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