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白馬・姫川の天神露天風呂 6.26

「ヒメカワ温泉なんとなく良いわ」「ああ、ほんと良いネタだよ姫川は。同じ温泉が県境を境に新潟と長野に分かれているんだからな」
 フリーライターの西岡信二は、久しぶりに恋人でクラフトビールの店の店長である、フィリピン人ニコールサントスと現地でレンタカーを利用したドライブデート。と言っても信二の仕事ついでである。

 この日の信二の仕事は姫川温泉の取材であった。この温泉の名前の由来は姫川と呼ばれる清流。長野県白馬村の親海湿原を源流に、県を越えて新潟県の糸魚川から日本海に流れている。
 そして両県の境目では姫川がその県境を隔てている地域があった。川の東側が長野、西側が新潟である。その県境を流れている途中に温泉が湧き出ており、東側と西側に温泉地があるのが姫川温泉なのだ。

「川を隔てているけど、微妙に泉質が違うのもよかったな。新潟県側がナトリウム塩化物 ・ 炭酸水素塩泉で、長野側がナトリウム、カルシウム、炭酸水素塩、塩化物泉なんだってな」
 ハンドルを握る信二は、とりあえず今回のミッションが終わったこと。それに加えて横にニコールがいるためか、やけにテンションが高く、また多くを語る。
「でも小さかったわね。宿の数も少ないし」「ああ、県境をまたいだ温泉とかでないと先ずいかないかな。それよりこんなときに君とスケジュールがあったことが本当に感謝だ」
 助手席のニコールは思わず運転している信二を見つめる。そして少し顔を赤らめた。

ーーー
 ふたりを乗せた車は国道148号線を南下する。並行して姫川とJR大糸線が並んでいた。一本の国道の周りは緑に覆われていて田園地帯もわずかにみられるが、主に山がせり出している。地形によって川を渡る橋があり、線路が近づいたり離れたりを繰り返していた。

「今から行くところはおまけ。姫川の名前がついたもうひとつの温泉。これは仕事じゃ無いから思いっきり遊ぼうな」
「それにしても、今回はうまくお互いの都合つけられたわ。最近バラバラなことが多くて、私が仕事しているときにいつも現地の写真送ってくるし」助手席からの風景を見ながらニコールの愚痴。
「しょうがないよ。お互いの仕事を頑張るしか」信二は対照的に楽しそう。「冬だったら雪山でスキーをするのにはちょうど良いけどな。まあこの色もいいか」緑色をした白馬の山々を見ながら今にも鼻歌を歌いだしそうな信二。もちろんそんな様子でも目線は常に前と左右、そして後方が見えるミラーを交互に眺めながら細心の注意を払って運転していた。

「雪ねぇ。見た目は美しいけど、実際触ったら冷たくてあまり好きじゃないわ」「そうだよな。マニラあたりじゃ雪とか無縁だろうし」
「それにしてもこの時期だと、雪が降らないというより、少し暑いくらいね」今日は天気がいい。外から助手席に入り込む日差しをニコールは気にした。
「まあな。でも日本の夏は年々暑くなる。そのうちマニラより暑くなるんじゃないか」

 そんな会話を楽しむふたり。やがて白馬駅を越えたところで信二は声を出す。「あっ、もうすぐだよ」といって車のウインカーを出すと、国道から離れる。そして姫川を越えて坂道を上がっていく。
「うぁあ、きれい」ニコールは思わず歓声を上げる。坂の横では開けたところに広がる田園が見えた。その先には優雅に連なる山々。そしてその上を眺めれば、綿あめのような大きさが違う雲が数個ほど見えた。それらが眩しいほど明るい青空の中でゆったり浮かんでいる。

「さ、ついた白馬姫川温泉・天神の湯だ」
 信二はそう言いながら駐車場に車を止めた。「ここホテルなのね」「そう。日帰りでも入れるんだ。さ、いこう」
 こうしてふたりは施設の中に入っていく。「泉質がナトリウム塩化物温泉か、県境側とそれほど違いはないな」信二はプライベートでも温泉については真剣にみる。泉質、PH、泉温などチェックした。
「でも信二、天神って菅原道真のことよね。ここ関係あるのかしら?」ニコールの質問に信二が振り返る。
「ああ、そうだ。うーん確かに。どうなんだろう」信二は首をかしげた。これが仕事なら真剣に探す必要がある。だがもう仕事が終わったプライベート。信二にとって泉質などの温泉そのものは気になるが、ネーミングについては正直興味が薄い。
「またわかったら調べとくよ」そう言って、お互い男女の脱衣所に吸い込まれた。

ーーーーー

 脱衣所で着替えて、浴室に入る。最初に内湯があり、その外に露天風呂があった。時間はお昼過ぎということもあり幸いにも他の客がいない。半ば貸し切りとばかりにかかり湯をした。そしてまずは内湯で体を温める。
 しばらくして、いよいよここの名物である露天風呂に向かう。
「ホゥ」露天に出た瞬間思わず声が出た。開放的な露天風呂の目の前に広がるのは北アルプスの山々。途中の車の中で見た山は新緑の色をしていたが、ここはさらに高い山が見渡せた。すでに夏だというのに山ノ谷の部分にはうっすらと白いものが見える。「万年雪!」誰もいないことを良いことに声を出した。
 そんな絶景を見ながら湯につかる。お湯の温度はちょうどよい。それ以上に開放的な露天風呂。時折心地よい風が肌を直撃する。こうしてゆっくりと肩まで湯につけていく。すでに内湯で体を慣らしているため、スムーズに肩まで湯につかった。
 湯船からは白い湯気が立っている。ときが経つのを忘れてしまいそうなひととき、静かに絶景と湯を楽しんだ。

ーーーーー
「信二どうだった」信二が男湯から出たときには、すでにニコールが待っている。「ああ絶景だったねえ。まあお湯としてはあんなものだろう」解説しながらも顔の表情が緩んでいる信二。
「あ、信二待っている間天神の意味調べたんだけどわからなかった。でも」「でも?」「今日6月26日は、京都で菅原道真の祟りらしい落雷があった日らしいの。だから雷記念日だって」
「そう、え!」信二は思わず外を見る。幸いにも雷雲がくる気配はない。
「本当は、この後ビールとかいいんだけど。それは無理ね」ニコールは残念そうに小声になった。
「まあな。でも今の心境、クラフトビールじゃだめだ」
「何それ、そんなこと言ってないんだけど」ニコールがやや不機嫌。
「いや違う。この車、駅に返してから飲もう。えっとこのあたりの地ビールおすすめないかな」と言いながらスマホを触る信二であった。



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シリーズ 日々掌編短編小説 521/1000

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