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琵琶湖サイクリング

「それにしても琵琶湖博物館は、なかなか見ごたえあった」フリーライターの西岡信二は、この日滋賀県にいた。ここは琵琶湖の東、逆三角形のような形をした烏丸半島の中。目の前は琵琶湖が広がっている。
「ちょうど対岸が今回の取材場所だった雄琴温泉あたりだな。あの琵琶湖大橋渡って来たんだ。やっぱり日本一大きい湖は違う。広いねえ」信二は周りに誰もいないことを良いことに同道と独り言をつぶやいた。

「ここは草津市かあ。草津と言えば俺的に群馬の温泉なんだけど、まあいい。あとは帰るだけだ。今からレンタカーを返して、帰ったらニコールの店には間に合うかな?」
 スマホで時刻を確認した信二は、名残惜しそうに琵琶湖を見る。琵琶湖の水は風が強いためだろうか? 岸辺にたたみかける波が強く感じた。もちろん海のそれとは比べ物にならないが、ときおり小さな白波がたつ。
 信二は思いっきり両手を伸ばして深呼吸をする。そして駐車場に向かって歩き始めた。

 するとその途中に自転車に乗ってすれ違う若者ふたり。楽しそうに信二の少し前を通り過ぎて行った。「お、自転車で楽しそう。中学生、いや高校生かな」信二は勝手に想像した。

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 信二が気にしたふたりは、湖からの風を受けて軽快に自転車を走らせている。「ねえ、拓海君やっぱり琵琶湖って湖ね」「え? 美羽何を言ってるの。今更」
「いや、分ってるわよ。けど何というか、見た目海なのに風に潮を感じないの」
「ああ、そう言われればそうだ。淡水だからかな、ちょっど泥っぽい匂いがするな。去年の夏に行った霞が浦と同じ。これが淡水の香りか」

 幼馴染のふたり。高校が別々になるタイミングで、ふたりは正式に恋人同士になった。今回琵琶湖まで来た理由は、京都にいる美羽の親族がある目的のために集まる。
 それは昨日のうちに終わり、美羽とその家族は京都で宿泊した。その翌日である今日は美羽だけ別行動。 

そしてそのタイミングをつかって琵琶湖にて拓海が合流したのだ。
「美羽の従姉が琵琶湖の研究者なんだよな」「そう、だから琵琶湖博物館紹介してもらったの。それで行って見たらすごく良かったでしょ」
「おう、良かった。400万年前からある湖が移動したとか、昔。琵琶湖に象とかワニがいたなんて信じられないけどな。今そんなのが琵琶湖にいたらこんな自転車に乗ってられないわ、ハハハハハ!」
 拓海は笑いながら自転車をゆっくり漕ぐ。左右の足を交互に押し出すようにして、ペダルを回転させて進む。別にこんなことは日常の生活で何事もなくやっている。だがいつもと違い、遠く離れた旅先で漕ぐ自転車は、不思議と非日常。
 普段とは全く違う開放的な空間が広がっている。かつて近淡海などと呼ばれていた巨大な琵琶湖を、すぐ近くで感じながらのサイクリングは、一味も二味も違った。

「私は生きた水族館のところかな。ホンモロコ、ニゴロブナ、コアユ、それからビワコオオナマズ。あの大きな湖にはすごいのがいるんだなあなんてね」
 最初は琵琶湖の色に合わせたかのような、淡いブルーのスカートを履いていた美羽。
 ところがレンタルサイクルでは無理と知っていたのか、わざわざ駅のトイレで用意していたデニムパンツに履き替えた。
 そんなこともあり、楽しそうにゆっくりと自転車を味わっている。拓海はそんな美羽に合わせながらゆっくりとしたスピードで走らせていた。
「そうだよな。海の水族館と比べると地味だけど、海のほうは見慣れているからたまにはいいよ。古い生活の事とか屋外の森を歩くのとかも良かった」

「あ、あそこに道の駅がある。お土産買いましょうよ」美羽が遠くに視線を向けて声を発した。拓海はすかさず大きく頷く。道の駅はちょうど烏丸半島を出たところにあった。道の駅に到着すると自転車を止める。
 さっそく中に入った。ショップ内をゆっくりと見渡していくが、途中からふたりともつまらなそうな表情。
「肉とか野菜とか米とかそんなのばっかり」「美羽、これってちょっと違うよな」
「あ、ふなずし。こういうの博物館でも見た」美羽のテンションが少し上がる。「へえ、やっぱり売っているんだ。湖の魚かあ」それは拓海も同じであった。

 こうしてふたりは名物の鮒ずしを見る。魚を発酵させて作られた琵琶湖名物の珍味。魚の形を留めながら白っぽいミイラのようになって、丸のまま販売しているもの。
 あるいは適当な大きさにスライスして、断面のオレンジ色が見えるものを販売していた。

 だがしばらくして値札がふたりの視線に入ったかと思えば、すぐにその場を離れた。
「あんなに高いのか!」「桁が違うみたいね。拓海君もう帰ろうか」
 ふたりは肩を落としてその場を離れる。すると香水のアロマがふたりの鼻に入った思うと、先ほどの鮒ずしを買うバッチリメイクをした20歳代の女性がいた。
 彼女は丸のままの鮒ずしのほか、コアユやホンモロコのつくだ煮などを買っている。
 美羽はそれをちらりと視線で追いかけながら「私はまだ大人じゃないのね」と感じた。

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「お土産って結構高いね」「うん、僕たちには早いのかな。こういうのって」ふたりは少し残念そうに自転車に戻る。そしてゆっくりと漕ぎ出して道の駅を後にした。
「でも今日は楽しかった。わざわざ琵琶湖まで迎えに来てくれて」美羽は笑顔。
「ああ、まあな。おかげで遠くまで来れた。美羽の家族は」「うん、今日先に帰ったから大丈夫。だからふたりで帰えれるわ」
 美羽の言葉に、拓海は心の中で喜んだ。

「そうだ美羽。今日の思い出を、お土産にしよう」「そうね、いい思い出になる。それでこれからお互いバイトしてお金貯めようね」
「おう、それで今度道の駅に来たら、予算気にせず思いっきりお土産買おう」美羽は嬉しそうにうなづいた。

 こうしてふたりは駅に向かってサイクリング。のどかな田園が広がる、近江平野を走り抜けるのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 487/1000

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