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復活の金管楽器

「今日は大けがから復活した大樹君が、ここで復活するのね」白髪染めでブラウンに染めたパーマ姿をした皇帝貴族の女主人は、そう呟きながら長いつけまつげが付いた目をを何度か瞬きした。
「そうじゃ。確か一年前じゃな。大樹が初めて人前でトランペットの演奏をしたのは」とゆったりと語るのは伊豆茂。
 ここは彼の行きつけで、昭和レトロの香が残る喫茶店・皇帝貴族のカウンター席である。店内は21世紀のカフェとは明らかに違う濃厚な調度品が並び、天井のシャンデリアなど、全体的にゴージャスな雰囲気がある店内。ソファーを覆うビロードも心地よい肌ざわり。そしてどことなく薄暗い。
 さらに最近ようやく分煙をするようになったためか、本来禁煙席であるにもかかわらず、たばこのにおいが充満していた。

 くしくも1年前の6月6日、茂の孫・大樹が初めてトランペットの演奏をした場所でもあるのだ。
「覚えておるぞ、あの時と同じロールケーキじゃな」「そうね1年前に逆戻りしたみたいで。でも1年前よりケーキ作りの腕上げたんだけど」
 茂は女主人に勧めらえて注文し、目の前に登場したロールケーキにフォークを接触させた。そのままケーキを切り裂くように引き下ろし、分離した部分をフォークの先に突き刺して引き上げる。そして口を開けてその中に放り込んだ。
「うん、うまい。1年前の味は忘れてしまったが、たぶん腕が上がっているじゃろう」茂は嬉しそうに両あごの筋肉を動かした。

 直後にハンドドリップのコーヒーがカウンターの上に置かれる。茂はコーヒーの香りを目をつぶって嗅ぐ。そしてそのまま口に含む。
「うーん、いい味じゃ。こんなにうまいコーヒーなのに、もっと客が入ればなんじゃが」茂は店内を見渡す。時間が午後のためであろうか? 店内には茂以外に他の客がいない。

「でも、去年と違って今年は大樹君の演奏を、わざわざ聴きに来る人いるのよ」
「そ、そうか。それはよかった。1年前はわしらだけじゃったからのう」
 茂は口を緩めてコーヒーを再度口に含む。ちょうどそのとき入り口の鈴が鳴りドアが開くと、大樹が入ってきた。

「あ、大樹君。本当大変だったのね。元気になってよかった!」
「いえ、僕もどうなるかと本当に不安で。じいちゃんから聞いて、そんなにすごいことになってたんだ。でもこうやって演奏会ができるまで回復できました。もうご心配なく」
 大樹が経過を報告すると、女主人は満足げな表情で何度もうなづいた。

「では、じいちゃん。早速準備するよ」
「おう大樹。1年前を思い出すぞ。あのときもロールケーキを食べながら、おまえの演奏を楽しみにしておったのう。ハッハハハハ!」
 笑う茂をよそに、大樹は演奏のための準備を行っていく。

ーーーー
「準備できました。いつでも演奏できます。ちょっと練習するね」「おう、1年前と比べるとずいぶん早いな。それとな今日は新たにお客さんが何人じゃっけ」「えっと3人」「そう、3人来るって。大樹の演奏を楽しみにしてるそうじゃ」

「え!」大樹は一瞬固まった。今日は大けがを直してから初めて人前での演奏会。数か月もの間休んでいたブランクが気になる。もちろんこの日までに近くの河川敷で何度も練習をした。だが練習と本番は違う。

「皇帝貴族だったらじいちゃんと、お店の人だけだと思ってたのに......」
「大樹、どうした。顔が固いぞ」すぐに茂に見抜かれてしまう。大樹は茂のほうを見る。「心配するな。いつも通りやったらうまくいく。わしが前で見守っておる」

 茂が励ますが大樹は、気ばかり焦っていく。その焦りを和らげようとトランペットに口を近づける。そして音を出しながら練習を始めた。
「とりあえず演奏の練習をするしか」大樹はそう頭の中で自分自身に言い聞かせながら演奏を続ける。

「まあ、大樹君。1年前よりうまくなってない」「おお、そうじゃな。結構練習しておった。新しい曲もできるようになった言うておったぞ」
 必死に練習を続ける大樹とは違い、カウンター周りにいる高齢者たちは、楽しそうに見守っている。

ーーーーー

「さあ、10分前ね」女主人がつぶやくとちょうど大樹の演奏を聴きたいいう客が入ってきた。3人はいずれも男性で世代は茂や女主人に近い。「おお、なんじゃい。お前たちか」
「なんじゃいって、伊豆さん。一応客じゃよ」3人の中で最も威厳のある白いあごひげを蓄えた男が反論。
「ハハハハハ! 冗談じゃ。わしの孫の演奏聞きに来てくれて感謝しとるよ」茂は笑いながらフォロー。顔なじみということもあり、何のわだかまりもなく3人は空いているカウンター席に座った。

「げ、じいちゃんと同世代。なんか音楽にうるさそうな人たち」大樹は入ってきた客を見て再び緊張が走る。新たに来たメンバーは白いあごひげの他、スキンヘッドで作業服を着た小太りの男。あとは眼鏡をかけて鋭い視線を向けているオールバックの男がいた。
「うぁあオールバックの人、怖そう」大樹はオールバックの男性が特に気になり緊張する。「あの人の目は合わせないでおこう」心中でつぶやきながら大きく深呼吸して挨拶。
「伊豆茂の孫の大樹です。いつもじいちゃんがお世話になっています!」と大声を出して頭を下げた。
 どうやらその挨拶が3人にとって好印象だったのか、急ににこやかに。よく見ればオールバックの眼鏡男の目の表情も和らいだ。

「よかった」少し気が楽になった大樹。ふと茂を見ると、真剣なまなざしだが心配そうな表情をしている。
「そうか、爺ちゃんに恥かかせてはいけない。よし落ち着こう」大樹は目をつぶった。2月に突然襲った大事故。しばらく意識不明ながらも不思議な体験をしたこと。気づいてからのリハビリ。退院後の練習といった記憶が繰り返し大樹の脳裏をかすめていく。

「さ、伊豆大樹君の演奏が始まります」女主人が司会をする。
 大樹は目を開けると、再度一堂に黙って頭を下げた。そしてトランペットを口元に近づける。黄金の金管楽器が大樹の体と水平方向。そして口を震わせながら息を吐き量の指を動かすと、いよいよトランペットの先から音色が響き始めた。

 静まり返った店内に響くトランペットの音色。大樹はこの音色を聴きながら心地よくなっていく。そして一番最初に覚えた曲を演奏する。体で覚えているのか無意識に口も指も軽快に動く。こうして最初の曲が無事に演奏を終えた。この曲に関しては一切間違えもない。

 演奏が終わり、頭をゆっくりと下げる大樹。その瞬間店内に手をたたく音が響くのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 501/1000

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