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飛び込み台の先に見えた不思議な世界

「あれ、こんなところに絵が! そんなのあったかなあ」高校1年の颯太は心の中でつぶやいた。彼は高飛び込みの選手である。トップクラスの選手たちとは成績がかけ離れているので、彼自身ほとんど注目はされていない。
 今日は予選の大会で何度も来たことのある高飛び込みが可能なプールのある会場。

 この日はいつもより5分早く着いてしまった。だからいつも気にならないものが目に入る。そして颯太が見つけたもの。それは青を基調にした抽象画だ。
「よくわからないけど不思議な絵。どこか吸い込まれそうな気がする。この世界は一体どんなところなのだろう」
 颯太はずっと絵を眺めていた。そのため早く来たのに「何してる? はじまるぞ!」と、同級生で同じ高飛び込みの選手・長瀬からの大声が聞こえて我に返る。

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「この瞬間は怖い。でもスリルがねぇ」いよいよ颯太の番が来た。10メートルの高さから飛び込む恐怖心。高飛び込みを始めた当初は、逃げ出したくなるほど怖かった。
 だけどやがて高速で水面に落下するわずかな時間。あのスリルのような感覚がたまらない。颯太が気が付けば、この競技の魅力に嵌まった。

 いつも予選敗退するが、今日こそという思いがある。ダメもとで回転の練習を何度もした。こうしてにコンクリート製の飛び込み台に来ると、まずはプールを眺める。毎回何も変わらない10メートル下に漂う水面。
 そして後ろを向く。そのまま後ろ向きからジャンプ。それから数回回転した。その後は手を伸ばして水面に落下。
 目の前には急速に近づくプールの水面が見える。あっという間に水の中。いつもなら小さな波しぶきを立て、そのまま水中に入っていく。もちろんプールには、十分な深さがあるから底にぶつかる心配はない。
 颯太はいつものように水中を落下。だがここでいつもとは違った。

「あれ?」颯太は目を見開いた。いつも見えるプールの底が見えない。いつもならここで浮上して終わるのだが、浮上せずどんどん沈んでいくように見える。何かに引っ張られているようだが息苦しくはない。
「な、なに?」心の中で叫ぶが誰も聞こえない。やがて特徴の無い青い水に変化が起きた。少し濃淡が見える。幾重にも続くいろんな青色の世界。不思議な光景が続いている。「プールの底が、え?」さらに驚いたのは、それまで落下していた体が、いつの間にか水平になっている。遥か広い水の中をさまよっていた。だけど底は見えない。上を見ても同じ。あたかもこの不思議な青の世界に閉じ込められたかのようだ。
「あれ、どこなにこれ? こんなに広いわけない」

 微妙に目の前の風景が変わるが、基本は同じだ。青を基調にしているが濃淡がある。そして大小の白い泡。
「あれ、この風景って」颯太は途中で気づいた。これは飛び込む前に、目が釘付けになった抽象画と同じなのだ。

「絵の中に吸い込まれた? まさか、でも何でプールの底に......」
 颯太は明らかに不思議な体験をしている。夢? そんなはずはない。水中に入った瞬間の衝撃は現実世界。
 だけどここに来てから、恐怖もなければ不安もない。なぜか居心地がいいのだ。明確な理由など解らない。颯太の五感がそうさせているのだろう。そして漠然と頭に浮かんだもの。それはたとえ全てを失ったとしても、この世界に居続けてもいい気がした。

 どのくらい彷徨っていたのかわからない。呼吸も苦しまないし、体も疲れない。空腹感も喉の渇きも感じないのだ。一体どのくらいの時間たったのか? それすらわからなくなる。体感としては数時間は経過しているのかもしれない。

 だがそんな不思議な体験は、間もなく終わりを告げようとした。

 颯太は突然頭が強力な何かに引っ張られる感覚。それは上の方向だ。上には光が見える。その光に引っ張られるように頭が上がっていく。周りの色がどんどん白っぽくなる。やがて何かの境界面が見えた。『水面?』
 境界面に頭がぶつかるが、衝撃はない。そのまま顔が引き上げられる。その瞬間、颯太は高飛び込み台のプールにいた。

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「結構長時間いたかもな。騒ぎになってるかも」
 我に戻った颯太は、恐る恐るプールを出る。だが周りは颯太のことをまったく気にしておらず、間もなく次の選手が飛び込もうとしていた。
「あれ、やっぱ俺は見込みないから気にかけられないのか」と思っていたら「おう、お前今日のは良かったぞ」颯太に声をかけてきたのは、先に終えていた長瀬。
「あ、長瀬、俺どのくらいプールの中にいた?」颯太の質問に長瀬は、不思議そうな表情をして首をかしげる。
「お、お前何言ってるんだ? いつものように飛び込んですぐ出て来たじゃないか」
「え、そんな。飛び込んだ後なぜかプールの底に吸い込まれて不思議な世界。そうだあれ、ここに飾っていた絵のような風景が広がったんだ」

「大丈夫か。見たところ何ともなかったが、まさかプールの底に頭ぶつけた?」 
 長瀬は心配そうに颯太を見る。「いや、あ、いいよ、ごめん。気のせい」颯太は自分の言っていること、今まで感じたことが周りでは無かったことに気づく。だからその場をごまかして長瀬から離れた。

 そして颯太はこの日の結果を見て驚く。何と予選を突破したのだ。
「初めて予選突破したよ!」驚きのあまり体が震える。
「あの絵を見て集中できたのかなあ」そう感じた颯太はもう一度、絵のある所に来た。だがそこにはあの絵はない。代わりにあったのはこのプール施設ができた当時の外観写真。

「え! どういうことだろう」このとき颯太は不思議に加え、徐々に不気味さを感じるのだった。


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