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闇が開ける、夜が明ける、そして広大な間が空ける

「あ、五十嵐君。停電」福本真由美は大学時代のゼミで知り合った、五十嵐翔太と初めてのお泊りデート。ここは実業家の御曹司でもある翔太の別荘である。「あちゃ。なんだよ急に」非常灯は廊下にあるが、部屋の中には何もなく、真っ暗だ。
「こういうとき、電気のありがたみがわかるわね」暗闇を楽しんでいるように真由美は嬉しそう。対照的に翔太は焦っていた。
「ちょっと待ってろよ」「いいよ。これがあるから」と真由美はスマホの電気をつける。「へえ、マジで。ねえ。五十嵐君、今日3月25日って電気記念日だって。そんな日に停電って、これはウケるわね」

「ええ、何かいった? あった。とりあえず」将太は緊急用の明かりを灯すと部屋に持ってきた。「それにしても気楽だなお前は」「だって非日常な雰囲気が楽しい。ワクワクする」と笑顔の真由美。翔太は「可愛い」と真由美をその場で抱きしめたくなる。

「ねえ、外見ない」それを知ったか真由美は、マイペースに話題を変える。  
 立ち上がって大きな窓を開けると外に出られた。そのまま翔太もついていく。しかしここは山の中にある別荘。周辺に明かりがない。だが幸いにも大きな月が浮かんでいて、月の光が差し込んだ。
「電気は大事だけど、無いからこそこういう月とか星空が見られるのね」真由美は体をそらせながら両手を開けて満天の星空を眺めた。
「うん、でも真由美ちゃん本当にキレイだね」真由美は顔を赤らめた。「それは星よね」「うん?いや星もだけど」ついに翔太は、真由美を後ろから抱き着いた。

「そうだ、暗闇といえばアンコールワット。五十嵐君と初めて海外旅行したの」「そうそう、市川先生お元気かなあ」ふたりは3年前に、教授の市川とゼミの仲間で行った早朝のアンコールワットを思い出す。

ーーーーー

 現地時刻は、朝5時前だろうか、真っ暗な道を、ワゴン車が走り続ける。ここはカンボジアのシェムリアップ。
 大学教授の市川晃は数名の学生を引き連れて、アンコールワットの観光に来ていた。
「先生、まだ眠いです。アンコールワット昼からでもよかったのに、ファアアアー」
学生のひとり五十嵐翔太がが不満そうにあくびをしている。
「そうよ、昨夜遅かったから3時間も寝られなかったわ」五十嵐に同調するもうひとりの学生・福本真由美も憮然とした表情をしていた。

 他の学生たちも黙ってはいたが、目も開いていなくて眠そうな表情をしながら、あからさまに不満そう。
「君たち、朝早くからすまないね。でもこの時間に遺跡を見ないと、アンコールワットの本当の凄さが解らないぞ」
 学生とは対象的に、完全に目覚め、すっきりした表情の教授・市川は、自慢げに語る。

 気が付けば、何もないはずの道が渋滞になっていた。同じように遺跡見学をする車やトゥクトゥク(オート三輪タクシー)のテールライト赤い光が、イルミネーションの様にいくつも続いて見える。
「ほう、意外に近いな。もうすぐ遺跡公園につくぞ」
 声からして元気の良い中高年の市川。それに対して、眠そうに頷く若い学生たちの対象的な姿は、まるで実年齢が逆転しているようである。

 遺跡の入口にあるゲートで一旦、車を降りた。すぐ目の前にある受付で、遺跡公園に入る手続きを行う。市川と不満そうに歩く学生たちが諸手続きを行った。入域料は事前に徴収していたので人数分をまとめて市川が払う。この後、再度車に乗り込みもう少しだけ移動した。
 駐車場らしき真っ暗なところで停車した車。ここで再び降りる。

「ここから少しだけ歩く、真っ暗なのでみんな離れないように」市川はそういいながら、同行している現地ガイドが持っている懐中電灯を指差して注意を促す。
「先生、本当にこの先にアンコールワットがあるのですか? 真っ暗で何も見えません」
学生のひとり成瀬が、歩きながらつぶやく。その通りまだ暗くて何も見えない。手慣れたガイドは暗闇が見えているかのように淡々と前に進む。一行は置いていかれないように歩調を速めた。やがて突然暗闇の一部に変化が起る。

 暗闇で何もなく空いていた空間。そこに突然、こげ茶色の何かが視界に浮き出てきたのがわかる。
 しばらくしてその何かが鮮明になり、どうやら遺跡のようなものが見えてきた。
「ここに門があるから気を付けて!」
 暗闇なのではっきりわからないが、確かにそれは門のようである。

 実はこの日を迎える前、大学で市川から何度もアンコールワットのクメール文化に関する講義を受けていた学生たち。
 ここで暗闇から出てきた『本物』を見たために、それまでの睡魔が吹っ飛んで行く。
 一斉に目覚めのときを迎えた。

 一行がもう少し歩くと、多くの人が黒山の様に集まっているのが見える。
「目の前がアンコールワットです。では、ここで日の出までゆっくり見学していてください」
 日本語がうまい現地ガイドがそういうと、市川は我先にと歩き出す。見学者の間をかき分けながらどんどん前に進んだ。
「先生! この前に遺跡があるのですね」先ほどとは明らかに声のトーンが変わった翔太。
「五十嵐その通り。君たちは初めてだと思うが、これを見たら恐らくわかると思う。フランス人たちがジャングルからアンコール遺跡を発見したときに、最初は宇宙人か超古代文明の遺跡と勘違いしたことがね」

 こうして市川と学生たちは、しばらく前を見つめていた。時間は静かにそして確実に流れていく。数分ほど経つと徐々に日が明けてきたらしく暗闇の色が黒から紺色に変わってきた。
 すると目の前に何か壮大な建物が空間の中から浮き出てきているようである。

「ああ見えてきた!」真由美は嬉しそうにスマホを取り出して撮影を始めた。
「まるで魔界のようだ」成瀬が唸るように、暗闇から見える遺跡のシルエットは、物語の世界の魔界そのものに見える。
「恐らく、魔界をイメージして物語を作る参考になったかもしれんな。しかし何度来てもこの瞬間は感動ものだよ」
 市川も自らの立場を忘れて徐々に鮮明に映し出されていく遺跡を見つめた。

 そんな感慨にふけりながらも、日はさらに明けてくる。シルエットから、はっきりとアンコールワットの形が見えた。
「おお!」学生たちは思わずうなる。
周りでは他の観光客が写すフラッシュの量が増えていた。当然市川と学生たちもその仲間に加わっている。
 さらに時間が経つと、フラッシュが不要になるまでに遺跡の姿がはっきり見えた。

 日がほぼ明けてきたところで、観光客は順番に遺跡の中の見学に向かう。市川と学生たちも、「そろそろ行きましょう」と戻ってきたガイドに案内されながら遺跡に近づく。
 ドアがなく、入口が開いたままになっている遺跡に入ろうとしたとき、東の空から完全に明けた太陽の光が差し込んだ。

ーーーー

「あ、電気がついたわ!」途端に部屋の明かりが戻る。
「中に入ろうか」「うん」ふたりは思い出の余韻に浸りながら部屋に戻った。
「アンコールワットのときと違って、急に明るくなるって微妙」真由美はつまらなそう。それを見た翔太は声を出して笑いだす。
「ハハッハハ!まあな。明るくなるのにあんなに時間がかかってたら、何にもできないよ」
「そうだ成瀬君は元気かしら」「おい! あいつの名前出すなよ。もう」
「そっか。ごめん」翔太にとって成瀬とは恋敵。真由美の取り合いになった。最終的に翔太が勝利して真由美と付き合うことになったが、友情関係が壊れてしまう。あれから音信不通だ。

「ねえ、また行きたいね」「ああ、いつか真由美ちゃんとふたりでゆっくりとな」翔太は真由美の耳元でささやく。その声と息遣いを聞くと少し赤くなる真由美。そして小さく頷いた。


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