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さらば、シングルマザー。

もうすぐ秋祭りというころ。長男9歳、次男が4歳のときに元夫と別居した。

「シングルマザー(仮)」生活のはじまり。同時に、次男の成人式をゴールに据えた。

長男が成人するまででも11年。次男が成人するまでは16年。

これから中学生になり、高校生になり、大学生になるなんて想像すらできない。 ポケモンパンのシールを集めて、スマブラのゲームをして、叩いた叩いてないで喧嘩してるヤツらが20歳になる日などくるのか。

それに、私の稼ぎだけで十数年も育てていけるのか。

早くも心が折れそうになる。

でも、走りはじめるしかなかった。これは、私が望んだこと。まわりの人たちには、「ふたりを育てるためなら、犯罪以外のことは何でもやるよ!」とふざけて言ったりもしたけれど、ほんとうのところは何の覚悟もないまま、シングルマザー(仮)となる。

***

正式に離婚をしたわけじゃなくても、もとに戻るという選択肢はない。後々、親兄弟からも、元夫からも、もとのさやに…という話はあったけれど、心が動くことはなかった。

心揺らいだのは、一度だけ。

キッチンで食事のしたくをしていたときのこと。子どもたちはふたりでこそこそと何か相談していて、意を決したようにこちらに駆け寄ってきて、声を揃えて言うのだ。

「またかぞくでくらしたい」。

意表を突かれた。

そうかぁ。そうやんね。でも。

「ごめん。ごめんな」

それしか言うことができなくて。子どもの前なのに、涙が止まらなかった。

あの日以来、ふたりとも二度と「かぞくでくらしたい」とは言わない。私が泣くからよね。

ふたりには、ほんとうに申しわけなかった。

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別居から5年後に離婚。

「カッコ仮」が取れて、正式にシングルマザー。

朝も昼も夜もなく、土日も祝日もなく、とにかく働いた。私の頭には、1円でも多くお金を稼ぐことしかなかった。

ふたりが大学を卒業するまでに、いったいいくらお金がかかるのか。暇さえあれば計算をした。できることなら、学費はどこからも借りたくない。必要な費用は、すべて現金で用意する。それは、「自分よりも下のダメな人間」として私を見ていた元夫への意地だった。

長男が「僕、高校行ってもええの?」なんて言ってくるから、「あたりまえやろ。こっちから行ってくださいってお願いするわ」と笑いながら答えたけど、「行ってもええの?」なんて心配させてしまうことが情けなくて。

高校に入学してからも、長男にはアルバイトばかりさせてしまった。「バイト代は全部自分で使ってるから全然ええねん」と言ってたけど、それでも助けてもらったよ。

そして、次男には「僕はめちゃくちゃ勉強して(学費の安い)国公立の大学に入るからな」と言わせてしまって。でも有言実行。寸暇を惜しんで勉強し、実現してくれた次男はすごいと思うし、お金の面では本当にありがたかった。

長男と次男、それぞれに違う方向だけど、無理ばっかりさせてきた。

***

ふたりが保育所や小学校に通っていたころ。創立記念日や行事の代休で平日が休みになったときには、何とか1日仕事を休んで、3人で遊園地に行ったり、日帰りツアーに行ったりしたことが思い出される。さみしい思いをさせたくない。必死だった。

土日は人が多いからね、と平日に出かけていたわけだけど。

平日って、家族連れが少ない。子どもたちのため、ではなく、私が家族連れを見たくなかったんだなぁ。今になって、そう気づく。

でも、楽しかった。

開園から閉園まで、平日でガラガラの「ひらかたパーク」で遊びまくった日。お金がそんなにないから、子どもたちふたり分の乗り物のフリーパスだけ買って、何度も乗り物に乗る子どもたちを見ていたら、「なんでお母さんは乗れへんの?」と。「笑ってるキミらを見てるだけで、お母さんは楽しいねん」と答えたものの、ちょっとさみしそうで、一緒に観覧車だけは乗ったよね。帰宅してからふたりがくれた手紙が懐かしい。

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テープの跡…。どこかに貼ってたな、私。笑

ふたりの笑顔。走りだす後ろ姿。長くのびる影。くっきり浮かぶ場面がいくつもある。もう帰ってこない時間。あの日々を、何とたとえればいいんだろう。

胸がぐぐーっとなるような、苦しいぐらいのしあわせな思い出。

***

そして今日。

次男は成人式を迎えた。

私も両手をあげてゴールテープを切る。


16年かけてたどりついたゴール。私の役目はもう終わり。がんばった。ダメなりにも、がんばった。私は自分のことが好きではないし、情けない人間だと思うし、誰かに誇れることなど何ひとつないけれど、今日だけは。

がんばった。がんばってきた。ひとりでえらかった。と思う。


だけど。

ふりかってみると違うんだな。


税金からいただくひとり親の手当て、医療費の補助に支えられてきたし、国や民間の返済不要の奨学金にも支えられてきた。途中から振り込まれなくなったとはいえ、元夫からの数年間の養育費も。

子どもが小さいころには保育園のお世話になり、仕事が忙しいときには友だちが子どもを預かってくれたり、遊びに連れて行ってくれたり。長男の同級生のお父さんは、塾に行くかわりにと、中学2年から高校受験が終わるまで、毎晩のように勉強を教えてくれた。

両親や姉は食べるものやおもちゃを送ってくれたし、弟はまるで父親のように、兄のように子どもたちに接してくれた。

以前住んでいたマンションの管理人さん、ご近所の人たちにもお世話になった。「ケーキ作ったから、ぼくちゃんたちにどうぞ」と下の階の人。「おせち、作りすぎてん。食べてくれる?」とお向かいの人。みなさん、やさしくて、あたたかくて。

そう、忘れてはならないのは、もう20年以上お付き合いしている出版社の方々。離婚するときに、「もう今の収入では生活ができないので、勤めに出たい。取り引きをやめさせてほしい」と言うと、夜遅い時間だったのにもかかわらず、そこから編集部内で話し合ってくださり、私が手掛けられる範囲を増やし、仕事量も増やし、収入が増えるように全面的にバックアップしてくださることになった。

また、パソコンが壊れたときには、社内で使っていないものを無償で貸してくださった。その後、何度か担当者の交替もあったけれど、その中で「前任者からくまのみさんを支援するように言われていますから」という声を聞いた。もう、なんというか、ね。言葉もありません。

ひとりでがんばってきたつもりが、めちゃくちゃみんなに支えられていた。

***

長男25歳。高校卒業後は音楽の専門学校に進み、今はレコーディングの仕事をしたり、ミュージックビデオなど映像の制作をしたり。母校の専門学校で講師も務めているという。勉強ができなくて高校卒業も危うかった長男が、講師とは。「好き」への情熱がすごいのだと感心する。一時期、私とは疎遠だったけれど、今はときどき電話がかかってくるし、自分が手掛けた映像作品を送ってくれるようにもなった。

次男20歳。もうすぐ大学の3回生。塾でのアルバイトも2年近くになる。小さいころに短冊に書いた夢は「芸人」。今は落語研究会で落語や漫才をし、今年はM-1にもチャレンジするらしい。中学時代は吹奏楽部でトランペット。高校ではバドミントン部だったけど、部活については常に悩みを抱えていたような感じ。今の落研が一番楽しそうだ。

長男は家を出てひとり暮らし。次男も外食代や衣類、交通費など自分のものは自分で払ってくれるので、私にも自分のために使えるお金や時間が、わずかながらも増えた。

「お笑いライブ行こかな」「バンクシー展行きたいな」なんて言うと、「ええやん」「行ってきーよ」「好きなことしいや」と言う次男。ふん。えらそーになっちゃって。

それに、ときどきコンビニでスイーツを買ってきては、「食べてな」「お金ええで」なんて言う。

形勢逆転。

終わりのないような気持ちでいた子育てにも、終わりはくるのだ。

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次男が大学を卒業するまで、まだ2年あるけれど。そして、これからも母ではあるのだけれど。とりあえずは「シングルマザー」にさようなら。ここからはただの「シングル」だ。なんだか、若々しいやね。

成人式はコロナの関係で、卒業した中学校別にわけての入れ替え制。それぞれ短時間で行われるらしい。このような状況の中でも中止にならなくてよかった。だらだらとお偉い人の話を聞くより、さっさと終わるほうがいいよね。式の後に予定されていた中学の同窓会は、このご時世で中止。またみんなで集まれる日がきっとくる。マスクなしでね。


今日はひとり、乾杯しよう。

ありがとう、長男。
おめでとう、次男。

私たちを支えてくれたすべての人に、心からの感謝を。

そして自分にも、「おつかれさま」の乾杯を。



🍺 🍺 🍺 🍺 🍺



長くなりました。母として、至らないことばかりでした。子どもたちへの懺悔と、周りの方々への感謝と、自分自身の気持ちの区切りのために書いた文章です。最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございました。
成人式が中止になった地域でも、どうかまた別の機会が設けられますように。切に願っています。

(2021.2.7  以下に掲載していた写真は削除しました)


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