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中国語学習者であり日本語教師である私が「中国語を学んで中国と仲良くなろう」という意見に同意できない理由

中国と仲良くなるために中国語を学びましょうなんて言う人がいます。

そんなことを言う人は、とっても楽観的であるか、もしくは友好関係を築くというステップを3ステップくらいだと考えているのだろうと思います。

中国語だけではなく、相手の言語を学ぶことによって間違いなく達成できるのは「相手が話していることをだいたい理解できる」ことと「相手に自分の伝えたいことをだいたい伝える」ことです。

大事なのは「だいたい」というところです。完璧な理解などはあり得ません。わたしは最も親しい友人であり、最も長い時間を一緒に過ごしている妻様の考えていることや感じていることの50%ほどしか理解できてないと思ってます。

妻殿もわたしのことを意味わからないと思うことがあるそうです。

つまり、言語を学ぶことで達成できることは、情報の伝達であって、深い感情や感性を理解するところまでは及ばないのです。

ですから、相手と情報が伝達できる以上の関係を築こうと思うのに、言語は必要なツールではありますが、言語を学べば相手を理解できて友好関係を築けると思うのは短絡的だと思います。

相手と友好関係を築くための戦略を考えるために、まずツールとして相手側の言語を学ぶというのは良い方法です。でも言語というツールを入手したあと、ただ相手を理解するだけに終始しても友好関係は築けません。

知れば知るほど嫌な奴だっているでしょう?中国語がわからないときの方が幸せだったと中国で暮らす日本人たちは少なくありません。

そんなわけで、戦略の目的が相手との友好関係という壮大な目標なのにも関わらず、相手の言語を学べば仲良くなれるなんて言い切れる人たちに驚きを感じます。

そういえば、一緒に酒飲んで腹を割って話せば問題を解決できると言うような人もいます。親しい間柄でも言ってはいけないこともあるし、酒がないと誠実な話し合いができないような関係に夢みすぎだろうと思います。

さて、わたしは中国語学習者です。中国語で中国人とコミュニケーションを取る必要があったので、中国語を学びはじめました。友好関係を作りたいとか、文化の架け橋になりたいとか思ったことはありません。

そもそも、日本語母語者同士が日本語でコミュニケーションをとっていても、諍いが生じたりします。そもそも家族関係や、非常に親しい関係があったのに今では絶縁状態になっている人もいます。

そんなわけで、あんまり高尚な目標を立てたり、理想を言っているとしんどくなるよって思ってます。

外国語学習なんて、自動車の運転技術を学ぶ程度に考えたほうがよさそうです。

事故を起こさないように、お互いにルールを学び、そのルール内で行動する。そうすればお互いにある程度気持ちよく過ごせるように、言語というツールを使うことにより、不必要な摩擦を避け、同時にある程度の快適さを享受できるのではと感じます。

言語を学ぶことは、確かに新しい視野を開く手段となり、異文化間のコミュニケーションを促進するツールとしての役割を果たします。しかし、言葉がわかるだけでは友好関係が築けるわけではありません。

言語は単なるツールに過ぎないからです。

そして、日本語教師として日本語を教えることで、日本文化の理解を深めてもらおうと意気込むのではなく、学習者(学生)が、日本語というツールを使いこなして、自ら異文化である日本のことを判断することができるように助けようくらいの気持ちがちょうど良いんじゃないかなって思っております。

来週からとある中国の大学院で日本語入門&日本の文化紹介の講義が始まります。

それで自戒もこめて今日の note を書きました。
最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。