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安定と便利が奏でるブルース

暑い•••暑すぎる•••💦

 夏真っ盛りですね•••💦
 毎日歩いているのですが、30分歩くだけで汗だくまみれになってしまい、制汗剤と洗顔シートが離せない季節となりました笑笑
 運動不足気味のため、できるだけ歩くように心がけていますが、何せこの暑さです。ひと汗かいた後に飲むビールが美味しすぎて、健康のために歩いているのか、ビールのおいしくいただくために歩いているのか、よくわからなくなってきています笑笑

夏といえば「ビール」ですよね〜🍺

 さて前回のnoteで紹介しました「かんさい情報ネットten .」で取り上げていただいたつむぎやですが、公式YouTubeサイトでアップされていましたので、お知らせします。

 ところで、夏を言えば、私が学生の頃、結構バンドブームの真っ只中ということもあり、野外フェスティバルなどが盛んに行われていましたね〜
 最近ではコロナ禍の影響で、ここ数年、中止などで開催数も少なくなってきました😭
 ちょっと若かりし頃のノスタルジアを浸りながら、今回のnoteは音楽つながりで「ブルース」と題し、最近感じている憂いをテーマに書かせていただきます。

▼躍動していた頃の日本

 第二次世界大戦直後の日本は、焼け野原で何もない「0」からのスタートでしたが、約40年後には世界と肩を並べる経済大国となりました。
 いわゆるバブル経済期の少し前あたりです。日本は「世界に追いつけ追い越せ」を合言葉に一気に経済大国となったわけですが、世界各国の有名な不動産を買い占め、世界から「●●国の魂を買った」と言われるほど、各国のシンボリックな不動産を買い占めた時期がありました。
 それほど、日本は裕福な(見かけ上ですが)時期がありました。
 そこから30年が経過しましたが、30年前まで空前の好景気でもあったため、年々賃金は右肩上がりに上がる一方でしたが、バブル経済崩壊後30年経っても賃金はほぼ横ばいで、お隣「韓国」に6年前に平均賃金が抜かされていたそうです。

 その昔、自公政権になる前の政権が事業仕分けした時に、世界一になる理由は何があるんでしょうか?」という迷言(?)を残し、物議を醸し出しましたが、日本は戦後から経済大国に成り上がる時に、その時のNo.1の背中を見ながら、日本としてNo.1を追い越すにはどうしたらいいのかと考えていた時代だったように思います。
 それが、TOYOTA社の自動車であったり、SONY社のウォークマンであったり、日本製品の海外の牽引役になっていたわけですが、TOYOTA社はまだまだ世界でも有数の地位にいますが、SONY社のウォークマンは、Apple社が発売したiPodなどに地位を奪われ、今やそれほどの勢いがないのが現状です。
 戦後のキャッチフレーズだった「世界に追いつけ追い越せ」が現実になってしまった時点で日本の成長が止まったようにも感じます。

▼平準化された社会

 成長時期の日本には、それまでモノがなかった時代に育った人たちには「物を粗末にしない」という教えを守ってきた挙句、貯金をする慣習が根付いたと言われており、現実、「投資は悪、貯金は善」と貯金を推奨されてきた時代もありました。
 それまでは人口ボーナス期でもあり、数を作れば必ず売れる時代でしたので、日用品だけでなく、住む家もあちこちの山などを開発して住宅地にしてきたわけです。

山などを切り開いて開発した住宅街(イメージ)

 そして、他の人と同じ物を持ち、同じような暮らしをするといった、平準化された暮らしを求めてきたわけです。どこの家にも同じような色だけが違う日用品があり、新製品をいち早く購入した家庭を羨み、ボーナスなどの一時金が手に入ると同じような製品を購入したりして、同じような暮らしをするのが当たり前な時代だったわけです。

 昭和の終わりから平成にかけて生まれた子どもたちは、既に身の回りにはモノであふれかえり、必要なモノは何かと逆に考えなければならない時代になってきたわけです。
 高齢者が「今どきの若い者は辛抱もない」とかいまだに言う人が、こういう高齢者の育った時代には、今ほどモノに溢れかえっておらず、欲しいものを買うために少々嫌なことがあっても頑張って働こうと思い、働いて稼いだお金で欲しいものを買う夢を見ることで我慢できたわけですが、その夢すらも持てなければ諦めてしまうのは致し方がないと思いますし、それより生まれ育った環境がそうしていると思います。

辛抱ができない時代?

▼安定と便利がもたらした結果

 生まれた時には既にモノが溢れていた時代だけでなく、お金が手元になくてもモノが買える時代になってきたわけで、「我慢」する必要もなくなったわけです。
 戦後の時代から到底考えられない時代になってきて、我慢する必要がなければ、そもそも働く意味すら薄れてきてもおかしくはないのです。
 社会に出て働いて一定の稼ぎがあれば「安定」した生活が保障されますが、安定がもたらした結果、現状に満足しているわけではないのに、今ある現状以上の価値を見つけることができず、今の現状にいることに妥協してしまっている人がいます。
 また、共働きが当たり前になった今日、「こういうモノがあれば便利だな」と思っていると、どこかのメーカーがそういう製品を作ってくれて、また一つ便利になった暮らしができる一方、誰かが作ってくれることが当たり前になり、そんな製品を作ってもらえないと不満を周囲にぶちまけたりする人もいます。

よく考えてみてください。

 これって、自分の中の常識の殻の中でしか物事を見ていないと言うことではないですか?
 例えば、「安定」は状況が変われば「安定」ではなくなるのでしょうか?
 例えば、「こういうモノがあれば便利だな」と言ってても作ってもらえないからって、他の人の責任でしょうか?

それは違うと思います。

 発想を変えるだけで、このことは解決できます。
 「安定」の定義はなんですか?
 それは自分の気持ち次第ではないでしょうか?
 自分が欲しい便利なモノがなければ、暮らしていけないのでしょうか?
 それは、やり方を変えたり、やらないことを決めればいけるのではないでしょうか?
 それぞれ人の考え方や今の環境が異なりますので、その人にあったやり方を、高度経済成長期からバブル期までのような暮らしのように平準化する必要もないし、それぞれの時間や価値観で暮らしているわけですから、他の人が勝手にズカズカと踏み込んでくることもおかしいと思います。

人の時間と価値観に踏み込むのはやめましょう!

▼常識は価値観の押し付け

 「常識をわきまえろ」と言わたことはありませんか?
 でも「常識」ってなんでしょうか?

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力

「weblio」より引用

 ここで紹介されている「一般の社会人が共通にもつ」という言葉がまた抽象的な表現ですよね。加えて「普通の」という言葉の定義も曖昧ですよね。
 これは私見ですが、常識というのは、地域やその属性に通用する価値観であると思います。
 国や暮らす地域が異なれば価値観も違うわけですから、統一の常識というのは存在しないはずですが、なんか常識の押し付けって普段の生活の中で多いですよね〜

 年代も違えば、育った環境も違うわけですから、それぞれ違った常識(=価値観)があってもいいと思います。
 一般社団法人バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)では、「目の前の常識を疑い、変化を楽しむ」をCredo(志)として掲げています。

VRSのCredo

 常識は特定の個人に通用する価値観なのです。その常識を押し付けることは個人が持つ価値観を押し付けることに他ならないわけです。

▼安定と便利が奏でるブルース

 常識を全面的に否定しているわけではなく、社会生活を営む上でルールは必要だと考えています。ただし最低限のルールでなければそれぞれの行動制限につながり、可能性の広がりを無くしてしまいます。 
 安定を望みすぎると、チャレンジすれば広がる可能性も潰してしまいます。
 便利さを追求しすぎると、自分の頭で考える機会を奪い、目の前の常識を疑わずに、今の現状を受け入れてしまいがちになってしまいます。
 安定と便利の産物は、チャレンジも可能性も失わせ、新たな人の進化を阻害してしまいます。また、常識という、特定の人たちが作った価値観に縛られ、その常識の殻を破れずに、また今おかれている状況を不満を持ちながらもその枠組みから出ようとしなくなってしまいます。

それが、ブルース(=憂い)なのです。

 本田直之さんの「何を捨て 何を残すかで 人生は決まる」という本の中でこんなフレーズがありました。

物を買うために、たくさん稼ぐ。
やりたくない仕事もする。
稼いだら、ご褒美として使ってしまう。
欲しかったら物が手元に残る。
でも、どこか満たされない。
そこで、次の欲しい物をみつけ、また稼ぐ。

「何を捨て 何を残すかで 人生は決まる」本田直之著

 モノで満たそうとしたした気持ちが満たされない、そんなことってありますよね。
 モノで溢れた時代に生まれ育った人たちにとって、気持ちを満たすには「やりがい」が必要なのかもしれません。
 これからの時代、「働く」という概念が変わっていくと思います。その場所にいかなければ働けないということも既に無くなっている企業もありますし、もしかすると、企業が人材の募集という採用形態も変化し、「こんな事業をこの会社でしたいので働かせてもらいたいです」的な求職者からの提案型の採用形態になることもあれば面白いかもしれませんね。

求職者が提案する採用形態になる時代が来るかも?

▼目の前の常識を疑う

 地方都市だけでなく全国で問題となっている空き家。使わずに放置していると倒壊の危険性が高まるだけでなく、地域の景観を損ね、資産価値を下げて「負」動産になってしまいます。
 しかし、うまく活用すると、毎年払い続けている固定資産税などの税金対策になるだけでなく、毎年空き家を状況を確認するために出向いていた行動が借主にしてもらえ、地域の資産価値も上げていく、「富」動産にすることができます。
 今回、8月17日(水)18時から、リノベーションまちづくりの聖地とも呼ばれている北九州市の小倉魚町などで不動産を所有し、20件以上の遊休不動産を再生し、通行量30%アップ、400人以上の新規起業者を育成した、かけはし 輝元てるもとさん(魚町商店街振興組合理事長・魚町サンロード商店街協同組合理事長)をお招きして、北九州市での遊休不動産を活用した効果などをお話していただき、嶋田代表理事からはリノベーションまちづくりで必要となる重要なお話をしていただく予定です。
 ここでしか聞けないお話もありますので、ぜひご参加くださいますよう、よろしくお願いします。

※チラシをクリックしていただきますと申込サイトへ移動します

 遊休不動産を活用することで、「有給富」動産に変えていきましょう。


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