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【無料】先の戦争は「大東亜戦争」であるべきか、「太平洋戦争」であるべきか~イデオロギーに揺れる戦争の歴史~

先日、とあるポストに火柱があがった  

(https://x.com/32nd_inf_regt/status/1776171763183030547?s=46&t=8OBGksEMu57EHr6c6YFJEg)より引用

陸上自衛隊第32普通科連隊公式アカウントのポストである。

このポストは、硫黄島において開催された「日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」に、第32普通科連隊が旗衛隊として参加したことを報告し、英霊の冥福を祈る内容となっている。

なんら問題のないポストであるように思えるのだが、このなかで用いられた、とある単語が炎上したのだ。

大東亜戦争ーー。


先の戦争をこう呼称したことが、一部界隈の反感を買って炎上した。

"先の戦争" を名称として呼ぶ場合、「太平洋戦争」として教わった方が多いのだろうと思うが、現在の教科書では「太平洋戦争(大東亜戦争)」と記載されている場合が多いのだという。

ではなぜ、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称しただけで、烈火のごとく怒る界隈が現れるのだろうか。

本記事では、先の戦争の呼称について簡単にご説明した後、「では我々は先の戦争をどう呼ぶべきなのか」についてお話ししようと思う。


先の戦争の呼称

私は本記事で "先の戦争" 、"先の戦争" と連呼しているが、これは「真珠湾攻撃~ポツダム宣言の対米英蘭戦争を含む一連の有事」を指している。

ここで重要となるのが、「対米英蘭戦争を指している」ではないことだ。

日本の戦争史を追えば、日清戦争、義和団事件、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、支那事変日中戦争、そして対米英蘭戦争と、数々の戦争・事変が存在する。

このなかで、我が国は1942年12月12日、「今次ノ對米英戰爭及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戰爭ハ支那事變ヲモ含メ大東亞戰爭ト呼稱ス」と閣議決定し、支那事変日中戦争から対米英蘭戦争の終結まで』『大東亜戦争』と呼ぶことを正式に決定した。

さらに同日、内閣情報局は「今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず」と発表、あくまで「自存自衛の全うとアジア諸国の植民地解放(大東亜新秩序・大東亜共栄圏の建設)のための戦争」であることを指しており、「戦闘地域が大東亜にあること」を指しているわけではないとした。

これが「大東亜戦争」である。

その後、戦後にGHQが「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」「八紘一宇」「英霊」などの名称を禁止、公文書やメディアにおいてこれらの語句が使用できないようになった。

「大東亜戦争」や「大東亜共栄圏」、「八紘一宇」などの文言が広く使われていれば、国民の目は自然とアジア戦線へと向かい、「白人諸国がアジアを植民地化し、現地のアジア人を奴隷としていた」ことが語り継がれてしまう。

また、戦死者を「英霊」と呼称すれば「白人諸国からアジアを解放するために散っていった英雄」というイメージが定着することになり、これを戦勝国(白人諸国)が禁止するのは当然のことと言えるだろう。

このような経緯によって、「大東亜戦争」との呼び方は、言論空間から強引に抹殺されてしまったのである。

とはいえ、GHQによる占領はとうの昔に終わりを迎えているわけであって、1952年の「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」によって、大東亜戦争の呼称廃止覚書は失効している。

その後、公的機関においては先の戦争について呼称を定めることがなく、「今次戦争」「先の大戦」「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」などの呼称が混在したまま現在へと至った。

このような歴史のなかで、なぜか「『大東亜戦争』と呼ぶ者は軍国主義者・差別主義者であり、先の戦争については『太平洋戦争』と呼ばなければならない」といった風潮が定着してしまったのである。

用いるべき呼称

では今後、我々日本人は先の戦争について、どのように呼称するべきと言えるのだろうか。

私は「大東亜戦争」と呼ぶべきと考える。

これには理由が2点挙げられる。

1つは、「『太平洋戦争』との呼称はイデオロギーの塊であるから」だ。

「先の戦争は『太平洋戦争』と呼ぶべきであり『大東亜戦争』と呼ぶべきではない」とする者はなぜか、「『大東亜戦争』の呼称には戦争賛美や歴史修正主義のニュアンスがあり、イデオロギー色が強い」といった印象操作をしたがる。

たしかに、「日本は一切の悪いことをしなかった」だとか、そういった『極端に日本を肯定する歴史修正主義者』は、「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」との呼称を用いる場合が多い。

だが、「変な人が使っている呼び方だから、その呼び方はやめるべき」というのは果たして正しいのだろうか。

たとえば、日の丸を掲げたテロ組織が外国で大量殺戮を行ったとしよう。

これを理由に「テロ組織が使っていた日の丸を、国旗として使用するのはやめろ」と言われたとして、あなたは納得できるだろうか。

これではあまりに論理が破綻しているだろう。

それと同じことだ。

反対に、私は「太平洋戦争」の呼称こそ、イデオロギー色の塊であると考える。

なぜ対英米蘭戦争を「太平洋戦争」と呼ぶようになったか?

「日本を統治して国家として塗り替えよう、という意図のもとにやってきたGHQが、大東亜戦争と呼ぶことを禁止したから」だ。

「大東亜戦争」は、我が国が閣議決定を行って正式に定め、その後、我が国の主権のうちにおいて否定されたことのない呼称である。

しかし、一般に使われている「太平洋戦争」の由来は、イデオロギーの塊であるGHQが、我が国の主権が停止されている期間において生み出した、これぞ『イデオロギーの塊』としか言えないではないか。

そもそも政策・国策にはさまざまな思惑、イデオロギーが乗っかるものであって、それは「大東亜戦争」も「太平洋戦争」も同じこと。

だが、「我が国の主権のもとに閣議決定された正式名称」と「我が国を塗り替えようとやってきた外国勢力の干渉によって生まれた造語」、どちらがより歪んだイデオロギーを帯びているか、我が国で用いるべき呼称でないかは明白だろう。

そして、先の戦争について「大東亜戦争」と呼ぶべき2つ目の理由は、「後世の人間の都合によって過去を改変することは、歴史に対する冒涜でしかない」からだ。

「歴史」と聞くとまるで自身とは関係のない、なにかフィクションに似た性質を感じられる方も多いかと思うが、歴史はすべて、「その時その時を生きた生身の人々が証」なのである。

特に戦争ともなれば、当時の人々は、「大東亜戦争」との名の下、自存自衛と大東亜共栄圏建設のために戦い、血を流し、死んでいったのだ。

これを後世に生きる我々の都合によって、やれ「侵略の歴史がどうだ」だとか「加害の歴史がどうだ」だとか、勝手に名前を改変するのは先祖に対する冒涜以外の何だというのか。

個別に与えた苦痛や生んだ犠牲について反省することは、我が国や家族、愛する人を守るために死んでいた日本人を侮辱することとイコールではないはずだ。

私は「先の戦争は侵略戦争だったか」と問われれば『現代の価値観で過去を裁くことは歴史への冒涜であるから、当時の価値観で考え自衛の戦争だったとするのが妥当』と答え、先の戦争を『大東亜戦争』と呼称するが、『生んだ犠牲や与えた苦痛を正当化する』つもりは毛頭ない。

「現代の我々にとって都合が悪いから」といって歴史の改変を試みることこそ、まさに『歴史修正主義』と言えるのではないだろうか。

自衛隊・政府の対応

最後に、炎上した第32普通科連隊に関する対応について触れておこう。

まず、第32普通科連隊は当該ポストを削除し、新たにポストを投稿し直した。

これについて、防衛省は「大東亜戦争という用語を使う必要がなく、誤解を招いた」としている。

また、林芳正官房長官は会見において、「大東亜戦争という用語は現在一般に政府として公文書で使用しなくなっている。いかなる用語を使用するかは文脈にもよるもので、一概にお答えすることは困難」とした。

批判に値する点が1つ、称賛に値する点が1つ。

まず批判すべき点は、謂れなき非難に屈したことだ。

「自衛隊員が先の戦争を『大東亜戦争』と呼んではならない」という法や内規は存在しないにもかかわらず、投稿を撤回したことは「モンスタークレーマーに屈した」のと同じことである。

これにより、何ら悪いことをしたわけでもない自衛隊員が非難に晒され、また「大東亜戦争」と呼称することが何か悪いことであるかのような印象をつくってしまった。

まんまと歴史修正主義者にしてやられたわけだ。

そして称賛すべき点は、「いかなる用語を使用するかは文脈にもよるもので、一概にお答えすることは困難」とし、あくまで「『大東亜戦争』との呼称を禁止しているわけではない」と明確に示したことだろう。

先の戦争については「『大東亜戦争』の閣議決定」以外に呼称の正当性を定めるものがないので、当然と言えば当然なのだが、「大東亜戦争と呼称することは不適切だ」とか「大東亜戦争と呼称すべきでない」と答えることも  弱腰日本政府なので  想定されたが、さすが岸田政権と言うべきか、屈することなく正確に回答された。

ただ、ここまで岸田首相の歴史観というのが見えていないため、今後「先の戦争の呼称を『太平洋戦争』と改める」などの動きを起こさないかについては注意が必要であろうと思う。

P.S.私がどうしているか

ここで「私がどのようにしてそれぞれの戦争を呼称しているか」についてご紹介しておくと、以下のようになる。

まず、現代において「日中戦争」と呼ばれているものについては、『支那事変日中戦争』や『支那事変(日中戦争)』と併記するようにしている("支那事変"の呼び方は現代では馴染みが薄いため、どの事象を指しているかわかるように併記)。

※戦後、"支那" の呼称が「差別的・侮蔑的」であるとして中華民国政府が日本政府へ申し入れ、日本は「理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたい」として、「差別的・侮蔑的」とは認めないものの "支那" を用いないようになった。

そもそも、Chinaと語源が同じだとされ、中国において「sina.com」が人気サイトになるなど、「"支那" が差別的」というのは不自然な言い掛かりと言えるだろう。

彼らは中華思想に基づき、「蛮族たる日本人は、我が国を世界の"中"心の"国"として中国と呼ぶべきだ」と迫ったに過ぎない。

今後、「支那」との呼称を避けるとしても、「中国」はそもそも我が国の地方の名前であるため、別の略称を検討すべきではないだろうか。

そして、宣戦の御詔勅により始まり、玉音放送によって幕を閉じた連合国との戦争については「対米英蘭戦争」や「対米英戦争」、そして支那事変日中戦争と対米英蘭戦争をあわせて「大東亜戦争」とするようにしている。

後世に生きる人間の都合で、安易に歴史を捻じ曲げてはならない。

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