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私がわたしである理由22

[ 前回の話… ]


第十二章 大森中将の憂い(2)


祖父の義太郎からの思いも寄らない質問に、誠司の表情が固まった…

聞き及んでいる限りでは、祖父の義太郎が潤治に面会したのは、この東京大空襲の傍受情報を軍令部に報告した時、その一度だけの筈だ。
その時に、義太郎は潤治から何を感じ取ったのだろうか…あまりにも鋭い祖父からの質問に、誠司は狼狽を隠し切れなかった。

「い、いえ…川出潤治さんは…その、最近知り合った神戸筋の遠縁の方で、本家の事情にも詳しかったし、人柄も良い方で…」
「彼が君の家を訪ねたのは、綾子の話では確か二月だったね。軍の翻訳官になったのもその直後のことだ。戸籍や身上書にも問題はないと聞いている。表立った問題がある訳ではないし、儂は何も誠司くんを非難しようというつもりはない」
「はあ…どういうことでしょうか?」
「いいかね、儂は日露、満州、日華、そしてこの戦争と、軍中枢の情報機関を預かってきた人間だ。様々な機密情報の分析にも携わってきた。その儂から見ても、今回の帝都空襲情報と推測は群を抜いて正確過ぎる。事前にこの情報の報告を受けた時に、一度だけ当の川出翻訳官に会わせて貰った。その時感じたのは、実は、大きな違和感だった」
「違和感…ですか?…」
「そうだ。この人物は何かが違う。多分、育った環境が我々日本人とは全く違う…かといって海外で育った様にも思えない。不思議と敵方の工作員の匂いは全くしない。情報は予測や推測でなく、事実なのではないかと…そして、結果それは、まさにその通りだった。これは儂が長年培ってきた勘の様なものなのだ。彼は間違いなく我々の知らない何か大きな事実を知っている。野瀬翻訳官は彼の知る事実を我々に伝えているに過ぎない。そして、誠司くんはその人物に深く関わっている…これは私にとっては確信の様なものだ。どうだね?これは単に儂の勘違いなのだろうか?」
「……」
誠司は義太郎の洞察力のあまりの鋭さに、一瞬言葉を失ってしまった。

「ふむ…その様子を見ると、どうやら儂の読みは当たっている様だな…」
「……」
誠司は言葉を返す事ができない…

「いいかね、誠司くん、もう一度言うが、儂は君や川出翻訳官やその周囲の人物をどうこうしようというつもりは全くない。むしろ、擁護しなければならないのではないかと感じている。彼がもし、敵方の今後の動向について、またこれからの日本の先行きについて、何か重大な事実を知っているのであれば、是非それを聞きたいのだ。今、軍部内は大きな岐路に立っている。南方を取られて以降、本土への空爆もますます激化するだろう。民間の被害がこれ以上大きくなれば、間違いなく陛下は終戦に舵を切られる。ただ、軍部内にはその反発も大きい。野瀬くんには伝えておいたが、既に一部軍部を通じて、憲兵隊の司令まで動き始めておる。今後の動向の如何によっては、内務省自体が分裂し、終戦と戦争継続の二手が水面下で激しく争うことになるだろう。そうなれば、彼らはもう手段を選ばん。軍人、軍属に対しては憲兵隊が、民間人に対しては特高警察が、非常手段に打って出るだろう。儂もどこでどう命を奪われるか分からん…まあ、それも覚悟の上ではあるのだが。無論、儂の周囲の軍部や川出翻訳官、野瀬くんにも身の危険が迫るに違いない。しかし…もしも我々が彼らの先手を取って、速やかにことを前に進めることができれば、誠司くん、終戦への道筋を見いだすことができるかも知れんのだ。その為にも川出潤治という人物が一体どんな事実を知っているのか、野瀬くんや君たちが一体何をしようとしているのか、それを是非聞いておきたいのだ。それに、綾子から頼まれている様に、儂は君の身も守らなければならんしな。どうだ?分かってくれるかな?…」

どう応えたらいいのか、誠司は必死で考えを巡らせていたが、やがて意を決して口を開き始めた。
「そういうことであれば…お祖父様には、いやお祖父様にだけは、事情をお話しなくてはならないのかも知れません。ただ…とは言え、お祖父様は軍の中枢を担っていらっしゃる方ですから、それは…僕1人だけの判断でお話していいのか、正直言って迷うところなんです。ですから、今のところは、どうかここだけの、この場だけの話に留めて頂くということで…」
「無論、今日のところはそのつもりだ。まだ年若い君の一存では判断出来ない事情も重々推察できる。しかし…もし儂の推測通りの事実があるのであれば、ことは急を要するのだ。公にするつもりはない。君たちがどんな事実を抱え、何を考え、何をしようとしているのか、それを是非聞かせてくれまいか…頼む…」
義太郎は神妙に頭を下げた。

「そ、そんな…お祖父様、やめてください。頭をどうぞお上げください。分かりました。今ここだけの話であれば、お話します。まず、私たちが何をしようとしているのかについてですが…反戦や反体制を唱え、それを広めようとしているわけでは決してありません。私たちは終戦までの間に、なるべく多くの民間人の方々の命を救おうとしているだけなんです」
「終戦?…君らは終戦を見据えているのか?…」
「ええ。はい。ここから先のお話は、荒唐無稽に思われるかも知れませんが、確固たる事実であると初めに言っておきますので、どうぞ最後までお聞きください」
「分かった。肝に銘じよう。話してみなさい」
「はい、順を追ってお話します。まず、川出潤治さんが突然我が家を訪ねたのは、お聞き及びの通り二月の中旬のことです。母は大叔父様のお見舞いに出向いておりましたので、僕が対応しました…」
誠司は、潤治との初めての出会い、そこで知った驚愕の事実と旅荘を世話したこと…さらに藤村正雄という協力者の存在とその親戚が野瀬甲一郎であったことの経緯を長い時間を掛けて順を追って詳細に話した。

義太郎は誠司の話を一切遮ることなく、ただ黙って聴いていた…
流石に、話の内容に反応して、驚きの表情を浮かべていたが、熟慮の後でゆっくりと話し始めた。

「…と、いうことは…あの川出潤治という人物は、君の未来の息子…儂の曽孫ひまごということなのか…とても信じられんが、もしもそれが本当なら、これまで儂が思い悩んできたこれからの我が国の姿が見えるというものだ…誠司くん、それで、その事実は証明できるのかね?」
「はい。でなければ、僕も野瀬さんも、こんな危ない思いをしてまで、人々の命を救おうなんてことは、考えません」
「それはそうだろう…その事実は、私も確認することができるのかね?」
「はい。もしも潤治さんや野瀬さんを納得させられればですが…」
「そうか…誠司くん…よくそこまで儂に打ち明けてくれた。これは、相談…いやお願いなのだが、儂とその川出潤治を会わせて貰うことは出来まいか?なるべく早い時期にだ」
「そんなことは、お祖父様なら簡単なことなんじゃないんですか?同じ海軍省にいらっしゃるんですから」
「いや…それはまずい。儂が1人の将校の立ち合いもなしに、直接軍務局勤務の軍属と面会することはあまりにも不自然だ。特に今は軍令部の一部や旧軍備局の対抗分子が軍部内で不穏な動きを見せている。ただ、幸い川出翻訳官は儂の縁戚ということになっている。かといって、儂が野瀬の家に出向くというのも不自然だ。全く…将官ともなると、1人で気楽に動くことも出来ん。そこでだ、君が彼をここに連れてくることは出来ないだろうか?あくまでも親戚への訪問という形でだ。幸いここは警備も万全で余計な官憲からの監視や盗聴の心配もない。どうだ?頼めんだろうか?」
「…はい…分かりました。早速連絡を取って、相談してみることにします…」
「くれぐれも、連絡には充分気をつけたまえよ。今朝も軍務局の方から報告が入った。これはまだ正式な傍受報告でないが、明日12日には名古屋方面、翌13日には大阪方面に大規模な空襲の動きがありそうだということらしい。野瀬君の班からの報告だそうだ。これが再び的中することになると、彼らへの警戒はますます厳しいものになるだろう」
「分かりました。それも伝えておきます…」


誠司が大森家を後にしたのは、既に午後3時を回るところだった。
誠司は出発を前に大森家の電話から『スワン』に連絡を入れ、これから訪ねる旨、出来れば至急甲一郎に連絡を取りたい旨、伝言を残した。


「おう、誠司君、また、今日は随分と大荷物だねえ」
百反の喫茶店スワンでは、正雄が誠司を笑顔で迎えた。
店内には正雄と店長の康夫以外、他の客はいなかった。

「ええ、我が家は空襲から避難してきた学生が2人増えましたんで、祖父のところで食料を調達してきたんです。それより、その後積子さんは少しはお元気になられましたか?うちから読みやすそうな小説をお見舞いに何冊か見繕って持ってきました」
「そうかい、気を遣わせて悪いねえ。いや、あいつはあれからすっかり意気消沈しちまいやがって…あの勝気のお転婆が、何だか肝を抜かれちまったみたいに元気が無くなって、部屋で毎日ただ呆っとしてるだけなんだよ」正雄は表情を曇らせる。
「そうですか…ちょっと、後で様子を見に伺っても大丈夫ですかね?」
「おう、そうしてやってくれよ。なんたって誠司君は積子のお気に入りだからな。少しは元気になるかも知れねえ。それより、甲兄さんには伝えておいたぜ。なんでも潤さんは今日は午後から夜勤で傍受作業だそうだ。誠司君が到着する時間を伝えておいたから、そろそろあっちから電話が来ると思うぜ。何か問題でもあったのかい?」
「いやあ、ええ…ちょっと急展開で…実は…」
誠司は祖父の義太郎との話の経緯を手短に説明した。

「大森中将さんっちゅうと、軍令部の大幹部だろ?大丈夫なのかい?」
「はい、取り敢えず今日のところは僕と祖父の間だけの密談に留めておきましたんで。それより、野瀬さんと祖父とは大分面識があるそうですので、野瀬さんには早速相談しないといけないと思いまして…」
「だな…まあ、もうすぐ掛かってくるだろうぜ。兎に角、荷物を降ろして一息ついたらどうだい?」
「あ、はい…そうですね…」

甲一郎からの電話がスワンに掛かってきたのは、10分程経ってからだった。
「ええ…はい、いらっしゃってますよ。はい、今代わります…あの、川出さん?甲さんから電話が入りましたよ」
カウンターから店長の康夫に呼ばれ、誠司は受話器を受け取る。
「あ、どうもすいません…もしもし、お電話代わりました。初めまして、川出誠司です。急にお騒がせして申し訳ありません」
『おお、君が潤さんの未来の父親の誠司君だね。正雄や潤さんから聞いているぜ。野瀬です』
「あ、ど、どうも…あの…いつもお世話になります。あの、色々と潤治さんに協力して頂いて…」
『まあまあ、堅苦しい挨拶は抜きにしましょうや。緊急の話ってのはなんだい?大丈夫かい?今、話せるかい?店に他の客がいるんじゃねえのかい?』
「あ、はい…大丈夫です。あの…実は、今朝、急に祖父の大森義太郎に呼ばれまして…」
『ほう、中将殿にかい?で、何かまずい事でもあったのかい?ここは外の電話所だから、何を話しても大丈夫だよ』
「ええ、あの…実は……」
誠司は正確に伝わるように慎重に言葉を選びながら、義太郎との会話の内容を説明した…

『流石に大森中将殿だ…そこまで見抜いていたとは…そうか、中将殿は俺たちを守らなきゃならんと仰ったか…』
「はい、すいません。兎に角今日の僕との話は自分の胸だけに留めておくということでしたので、勝手に話してしまいました…」
『まあ、そこまで言われちゃあ、仕方ないだろうな…こりゃあ、もしかすると大きな転機になるかも知れんぞ。誠司君、いいかい。潤さんは14日の朝まで軍内に缶詰めだ。14日作業明けで、相方の技術兵と一緒に俺の家に戻ってくることになっている。非番は16日の夕方までだ。もし可能なら、14日の夜には中将殿のお宅に向かわせることは出来ると思うぜ。いずれにしろ、今後軍部内の電話は一切使わん方がいいだろう。中将殿の身に危険が及ばんとも限らん。何かあったら、そこの電話で正雄に伝えるようにしておく。いいかね?』
「はい、分かりました。早速、今夜にでも祖父に伝えておきます」
『宜しく頼んだぜ。じゃあ、ちょいと正雄に代わってくれるかい?』
「はい…正雄さん、野瀬さんが代わってくれって仰ってますけど…」

電話を受け取った正雄は、今後の藤村家の動き方について甲一郎から細かく指示を受けている様子だった…


つづく…



この小説では、さる7月7日に急逝されたイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂いております。
本編掲載中は氏のイラストを使わせて頂くことと致します。





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