人の心の深い闇に自死の種があるのでしょうね

コラム380:人の心の深い闇に自死の種があるのでしょうね

 芸能人や著名人の自死のニュースの後に、必ず命の電話などの自殺相談の連絡先をテレビが出すようになって久しい。後追い的な自殺志願を予防するためだろうと察するが、電話相談はほとんどつながらないことはあまり知られていないのではないかと思う。死にたくなる夜中などには、電話はほとんどどこにもかからない。カナダに電話したことがあるくらいだ。また、小学生の悩みの相談先に「チャットボット」が紹介されていて、馬鹿にするにもほどがある、と怒りをおぼえたこともある。何が子ども家庭庁を作ろう、だ。笑わせる。

 あまりブランドに興味を示さない私だが、ケイト・スペードというニューヨークを中心に活躍していた女性デザイナーのバッグが好きだ。働く女性のニーズをよくわかっていて、ユーモアのあるデザインが気に入っていた。ブランドは好調で、娘さんもひとりいるとのことだったが、数年前に彼女は突然、首を吊って自殺してしまった。今でもバッグを見るたびに思い出すことになってしまう。ビジネス、キャリア、名声、家族、美貌、何もかも手に入れているように思えた彼女の自殺にはショックを受けた。人には、外からは計り知れない悩みや心の深いところの闇があるのだということを改めて思い出させる一件だった。

 うつ病の患者もそうだ。まじめで明るい人が罹患しやすいとさえ言われる。患者となっても、明るく振る舞い、外面を気にする。「病気に見えないね」と言われる。それゆえ、動けない日に仕事や学校を休むと、「サボり」とみなされてしまう。

 心の闇は、おでこに書いて貼り付けてあるわけではない。まったく外からは見えないのが通常だ。人の話を注意深く聴くことで、窺い知れるのかもしれないが、難しい。だから、身近で自殺などの事件が起きても、決して自分を責めない態度が大切だと思う。「あのとき、助けられたのでは」、と。人はお互いに分かり合えない、という前提で生きなければいけないのだなあ、と嘆息。

以上

クララ

2022年5月13日

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