毎日が同じことの繰り返しだと悩んでいるなら・・・マリア・コニコヴァ『シャーロック・ホームズの思考術』


突然ですが、あなたは自宅に上がるまでの階段の段数を覚えていますか?
自宅ではなく職場までの道のりでもいいです。

何十、何百と登っている階段の段数を思い出せるでしょうか?


この問いは探偵シャーロック・ホームズが小説の中で相棒であるワトスンに行った言葉です。

 「きみの説明を聞くと」と私[ワトスン]は言った。「いつも呆れるほど簡単なので、ぼくにだってできそうな気がするんだが、実際には、推理の過程を説明されるまでは、きみの引き出す結論がどうにもわからないんだから情けないよ。僕の目だって、きみの目と同じくらい、いいはずなんだがね」
 「それはそうだろう」ホームズは煙草に火をつけて、肘掛け椅子に腰をおろしながら答えた。「きみの場合は、見るだけで、観察しないんだ見るのと観察するのとでは、まるっきりちがう例えば、きみは、玄関からこの部屋へあがる階段は何度も見ているだろう?
 「何度も見ているよ」
 「何回ぐらい見ているかね?」
 「そうだね、何百回となく見ているだろう」
 「ではたずねるが、何段あるか知っているかね?
 「階段の数か? それは知らないな
 「そうだろうと思った。つまり観察をしないからだ、見ることは見ているんだがね。僕が指摘したいのは、そこなんだ。僕は一七だと知っている。それは見るだけでなく、観察しているからだ

私たちは、つい物事を受動的に捉えがちです。
毎日見ているはずの階段すら思い出せないくらい、「わかっている」と思い込んでいても、私たちは思っている以上に「わかっていません」

今回はホームズの思考を追いながら、いかに物事を能動的に捉えるのか、という考え方をみていきましょう。

「マインドフルネス」に生きることがどう人生に効くのか。そんな視点でぜひ読んでみてください。

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1. 日常のどれだけのことを覚えている?

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「昨日の晩ごはん、何食べましたか?」

この質問は定番ではありますが、ついつい日常の忙しさにかまけて、何を食べたのかすら無意識になりがち。

子どもの頃は何もかもが新しく、物事に対して注意力を持って見ていたはずです。
いつしか慣れていくにしたがって、だんだんと意識を向けることがなくなってきているのではないでしょうか。

だが成長していくにつれ、慣れて無関心になる要素が急激に増える
そこへ行ったことがある、あれはもうやった、これには注意しなくてもいい、いったい、いつそんなことを知ったり活用したりしなくてはならないときがやってくるというのか
知る前にもう、受動的で〈マインドレス〉な数々の習慣について、生来の注意深さ、積極的関与、好奇心を捨ててしまっている
そして、何かに関わりたいと思うときですら、子供時代のようなあの満足感はもうない。
学ぶこと、吸収すること、やりとりすることが仕事だった日々は、過ぎ去ったのだ。
今の私たちにはほかの差し迫った(あるいは私たちがそう思っている)専念すべき責務や、頭を使って取り組むべき仕事がある。
そして、〈注意力〉を要することが増えるにつれ(アルチタスクのプレッシャーによるリアルな心配事が、一日二四時間・週七日のデジタル時代になってつのってく)、実際の〈注意力〉は減少してしまう
すると、私たちはますます自分自身の思考習慣を知ることも気づくこともできなくなっていき、反対に、判断や決断を、ほかにとるべき道があるにもかかわらず、心のおもむくままにするようになっていく。

ただ「仕事に行き、帰って、酒を飲んで寝る」のように同じルーティンの中で生きていては、自分が真に何をやりたいのかを考えることもないでしょう。

こうして、ただ「なんとなく過ごしていく日々が続いてしまう」のではないでしょうか。


それでは、一体何のために生きているのかなど考えることも無縁になってしまいます。


ホームズの思考法はこれと全く逆のこと。
どんな物事も「そういうもの」として捉えるのではなく、好奇心を持って世界を捉えているのです。

それは感情のまま動くのではなく、理性を働かせること



2. ホームズが最も重視する〈理性〉とは?

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では、ホームズの指す〈理性〉とは何のことでしょう。

それは単に論理的であったり、科学的思考のことだけではありません

本能のままに、なんとなく小腹が空いたから食べものをつまみ、
なんとなくネットを見てしまい、
なんとなくテレビを見る。

そういうような、自分が判断したわけでもない情報を取り入れる時間を減らすこと、能動的に考えることを〈理性〉というのです。


自分が何をしたいのか考えずに、なんとなくやってしまうことを減らすこと。
それが〈マインドフル〉に生きることの重要な点なのです。


マインドフルでなければ、「自分が今何をしたいのか」も「何をしたくないのか」にも気がつくことがなく過ごしてしまうのです。

では実際にマインドフルネスに生きようとすると、瞑想だったり神秘性がどうこうといったり、少しだけ宗教色のある本ばかり。

そうではなく、物事を一つひとつ「それってどういうこと?」と立ち止まって考えてみる。

それだけで、流されることなく自分の人生を生きることができるのではないでしょうか。




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