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ジャーナリスト牧野洋さん

 かつて属していた大手メディアは多士済々だった。そこで牧野洋(まきの・よう)さんという記者はとりわけ光っていた。英語で記事を書くセクションだったが、牧野さんは英語が堪能なのはもちろん、緻密な取材、巧みなストーリー展開では群を抜いていたように思う。
 私がその会社に入った時、牧野さんはコロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールに留学中だった。帰国後、教えを乞う場面が出てきた。
 牧野さんは同僚、特に若手に米国で学んできたことを伝えたい気持ちが強かったようだ。「記事全体を端的に表すようなアネクドート(逸話)を前文に書いて読者を惹きつけなさい」という助言を今も覚えている。確か「アネクドート、ナットグラフ、ボディー、キッカー」という構成の話だった。
 当時、週刊の英字紙のトップストーリーを牧野さんがたいていは書いていた。出来る記者だったので、外国メディアからも声がかかっていたようだ。そんな牧野さんは、のちに日本語のセクションに異動することになる。
 人事の後だったと思うが、時々牧野さんに呼ばれてお酒をつきあった。英語でそれまで書いてきた牧野さんは日本語で書くことへのとまどいがあったようだ。牧野さんが仕事を終えるころ、つまり深夜に電話がきて、池袋などに出かけた。牧野さんはカラオケで、トニー・ベネットの「I left my heart in San Francisco」やサザンオールスターズの「真夏の果実」を歌っていた。
 私は別の会社に移ることになった。その後、牧野さんには一回だけお会いした。その時に頂いたプライベートのアドバイスを私が守らなかったので、牧野さんは私のことを「見限った」のではないかと思っている。
 そうこうするうちに牧野さんがその大手メディアを辞められたと聞いた。経営の神様ピーター・ドラッカーの「私の履歴書」、投資の神様ウォーレン・バフェットやM&Aについて書いた本など、それまでにも何冊か本を書かれていたが、独立後、牧野さんなりのジャーナリズム論をまとめた「官報複合体」(現在、河出書房新社より文庫化されている)を上梓した。帯にはこうあったー「政・官・業そして「報道」で形成する裏支配者たちの全貌」。
 この本では、牧野さんご自身が大手メディアで実際に経験してきたことを、コロンビア大学大学院で学んできたジャーナリズムの基本的なルールに照らし合わせて論じており、大変面白く読んだのを覚えている。
 特に英語で記事を書く経験が長かった牧野さんは、英語と日本語の記事の違い、それは言語だけの問題ではなく思考形式などもあって、そこからジャーナリズムを論じているのが特徴といえよう。例えば、情報の出所の明示、描写などディテールを記事に書き加えてカラフルにするために、例えば「壁にかかっている絵」について質問しておくべき、など。


 さらに、そのころに牧野さんが出した本には、河野太郎・衆議院議員と共に書いた「共謀者たち」(講談社)もある。帯で一部抜粋されたー「記者クラブ報道は、権力側が発する情報を漏れなく報じること。「権力の動き=ニュース」であることから、記者が記者クラブにこもって権力側の情報を発信し続けていると、いつの間にか権力迎合型の報道になってしまうのです」。


 今こそ、牧野さんに日本のメディアを斬ってほしいと思う。マスコミが「マスごみ」などと揶揄されるように、昨今の政権の暴走を止め得なかった責任の一端はマスコミにあるだろう。防衛費の問題しかり、原発の問題しかり。少子高齢化の問題も今に始まった問題ではないのだ。
 では、マスコミはどのような役割を果たしてきたのか?そして現在、果たし得ているのか?一般市民の側に立って権力の暴走をとどめる「社会の木鐸」としての役割を果たしているのか?どうするべきなのか?
 現在、牧野さんは広島にお住まいだという。岸田文雄首相の地元ではないか。岸田さんのおひざ元から、牧野さんというジャーナリストが再び活発な情報発信をされることを願っている人は少なくないと思う。
 ここまで読んできて、牧野さんのことを眉間にしわを寄せて批判をする堅物ではないかと思う人も中にはいるかもしれない。必ずしもそんなことはない。どちらかといえば、飄々としたイメージだった。面白みもあった。
 人から聞いた話だ。ある時、牧野さんと一緒に電車に乗っていたそうだ。吊革につかまって並んで立っていると、牧野さんがおもむろに鞄からみかんを取り出して渡してきたー「食べる?」。その人は突っ込みを入れたかったー「電車の中ですよ、牧野さん」。

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