葬儀の場で涅槃という言葉を知り、興味を持った。 涅槃とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」、「仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこ…
一日の終わり頃、突然不安がやってくる。きっかけは些細なことであったり、特に何もなく急に怖くなったり。小さな不安がどんどん肥大していって、現状の嫌なことだったり…
父が亡くなってからそれほど経っていない時に、父と同じ病院で知人が出産した。わたしは母と一緒に面会へ行った。もちろん緩和ケアのような病室と、妊婦さんの病室は、フ…
走れメロスを読んだ。 以下本文メモ。 「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」 「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」 ここに全て詰まっているなと思…
本を読んでいる時に、自分の人生を振り返ってみて、何か覚えのあるような、ハッとする文章を見つけるのが好きだ。 言葉をメモしたのでまとめます。 読んだ本📚 『仮…
ペルソナは、心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱した概念で、人間の「外的側面」「内側に潜む自分」がペルソナだと定義されています。 結構前々から、暗い物語…
ちょうどこういう何でもない日みたいに、いつもと同じようにバイトから退勤して携帯を見ると、母から連絡が来ていた。何て書いてあったのか忘れてしまったけど、父が亡くな…
大きな喪失と直面して、自分の気持ちをどう処理して良いか何も分からずにいた時に、中原中也の『春日狂想』という詩に出会った。 「愛するものが死んだ時には、自殺し…
葬儀の場で涅槃という言葉を知り、興味を持った。 涅槃とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」、「仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと」である。 仏教の世界では「生きることは苦しむこと」とされている。生き死にを繰り返す輪廻から解放された涅槃の世界は、生の苦しみの全くない、極楽浄土の世界なのかもしれない。 涅槃を感じたことについて、まとめます。 太宰治著『人間失格』の中に、「自分には幸福も不幸もありません。ただ、一切は過ぎて行きます。自分
一日の終わり頃、突然不安がやってくる。きっかけは些細なことであったり、特に何もなく急に怖くなったり。小さな不安がどんどん肥大していって、現状の嫌なことだったり、将来の不安だったり、自己嫌悪、何も報われない、認められない、過去の悲しいこと、寂しさ、孤独感、不安で不安で仕方がない。不安な時をどうやり過ごせば良いのか分からない。苦しくて、涙が出てくる。薄ぼんやりと「死にたい」が浮かんでくる。でもきっとわたしは死なない。それだけははっきりしている。無念の中死んだ父の記憶があるから、
父が亡くなってからそれほど経っていない時に、父と同じ病院で知人が出産した。わたしは母と一緒に面会へ行った。もちろん緩和ケアのような病室と、妊婦さんの病室は、フロアも部屋も異なる。 何事もなく訪問し、お祝いを伝えた帰り、沸々と思い出していた父のことが一気に頭に浮かび、耐えきれずに泣いてしまった。 大丈夫だと思ったけれど、いくら明るいことのためとはいえ、まだ病院に来るのには早かったんだ、と自分の心の機微に気付いた。 それから幾分か経ち、何度か別のお別れも経験し、心は
走れメロスを読んだ。 以下本文メモ。 「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。」 「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」 ここに全て詰まっているなと思った。 子どもの頃は、無邪気に何でも信じて、友達もたくさん居たように思う。 ある時期を境に、それが私の場合は身内との死別だったのだけれど、他人も世界も私の悲しみなんて知らずにいることを実感した時に、信用することを諦めてしまった。 けれど、大人になってからも、時折誰かに優しくして貰うことがあり、「人って
本を読んでいる時に、自分の人生を振り返ってみて、何か覚えのあるような、ハッとする文章を見つけるのが好きだ。 言葉をメモしたのでまとめます。 読んだ本📚 『仮面の告白』三島由紀夫 「罪に先立つ悔恨」 犯した罪に後悔の念が生じることより、後悔の中に生まれる罪というのは、より人を追い詰めていきそうだなと感じた。 これは物語の中で重要なワードとなっていると思うのだが、なかなかしっかりと捉えて理解することが難しいなと思った。 「愛の目のなかに置かれたときにいかほど孤独
ペルソナは、心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱した概念で、人間の「外的側面」「内側に潜む自分」がペルソナだと定義されています。 結構前々から、暗い物語に心を惹かれることが多くある。好き好んで暗い映画はないか調べたり、暗い本を探して読んだりしていた。 わたしの好む「暗い」というのは、人生に苦しみや悲しみを抱えて、もがいたり葛藤したりしている人の物語だ。暗いものを、自分の人生と重ねてみたり、心に刺さったものを生きる糧にしたりと、楽しみ方は色々だ。 それほど多く
ちょうどこういう何でもない日みたいに、いつもと同じようにバイトから退勤して携帯を見ると、母から連絡が来ていた。何て書いてあったのか忘れてしまったけど、父が亡くなったのですぐに家族と合流して病院へ向かった。到着した時にはもう息を引き取っていたので、わたしが日常をしている間に静かに逝ってしまったのかなと思った。入院中、苦しむ姿を見ることも多く、また家族の生活が一変したこともあり、これはいつまで続くんだろう、とずっと思っていた。これが終わる先に死があることを考える余裕が全くなかった
大きな喪失と直面して、自分の気持ちをどう処理して良いか何も分からずにいた時に、中原中也の『春日狂想』という詩に出会った。 「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」から始まる詩。 それでもなお生き続けなければいけないのならば、「奉仕の気持に、なることなんです。」 何もかもが憂鬱で現実が苦しい喪失の中で、他人のために何かをするという考え方はとても良い生き方のように思えた。 「奉仕の気持に、なることなんです。」 中也が詩の中で繰り返し言っているように