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十数年前のことになる。師事していた方から「好きにしてよい」と、かなりの分量の原稿を託さ…
死とどう向きあうか 虚弱児がまさかこうした超高齢になろうとは考えてもいなかった。その…
死は恐ろしいから論じたくなる 六百里(2400キロ)、百五十日の「おくのほそ道」の旅を…
勇者は死を懼れない 「姨捨山(うばすてやま)伝説」は、農耕社会では欠かせない長寿者尊重の…
人間の生命は地球より重い 石川啄木が十七歳の時に綴った日記『秋韷笛語(しゅうらくてき…
死者は無限の時間を生きる 中国統一を果たし、勢いに乗っていた秦の始皇帝は、徐福(じょ…
人生は川の流れのごとく 始めがあるから終わりがあり、出会いにはいつか必ず別れの時が訪れる。 十六人いた絵描き仲間が先ごろついに私を含めて二人となった。残った一人もかねてより不調を訴えていた。昨日この友人から深刻な電話を受けた。 当たり前のことだが、改めてその感慨に打たれた次第だ。取り残されてしまうことになりそうだ。 傘寿ともなると七十代とは自ずから違う重さを覚える。古い手紙や手帳を始末していて、若き日のことを思い出したり、字体がまるで違うのを見て違和感に驚かされた
「種」としての地上の孤児 私は河原の土手を散歩していて、あちこちで目につくモグラ塚を…
「尊厳死」私論 知人を見舞った時のことである。 冷静でしかも豪快な性格で、人品が評…
西郷南洲の死生観 私は当時勤めていた東亜新報社天津支社の編集局長には無断で、北京兵站…
銀河鉄道の車窓から 「遺言書」はいつも正月に書き換えているが、今年はそれとは別に「死亡…
人生邂逅のご縁 人生途上にあって、人と人との邂逅から得がたいご縁に恵まれるというのは…
知らない人に救われている 先日眼科で診てもらったところ、白内障と宣告を受けた。 白…
好意は時に悪意に転ず 長く患っていた叔父に元気をつけてあげたくて、青木繁の代表作である筋肉隆々とした漁師たちが巨大な鮫を担いで帰る油絵『海の幸』の複写をお見舞いに持って行った。 当時私は二十歳だったが、かつての虚弱体質から見違えるほどの健康体になってスポーツに打ち興じていた。 叔父はどんなに喜ぶかと、一人合点していたのは若気の至りだった。 「見るだけで疲れるし、この鉄砲ユリも匂いが烈(はげ)しいから持ち帰ってくれ」 と、ビシャリと言われた。 後年私自らが病気にな