「 「怖い」を読書で乗り越える 」

知らない世界は怖い。沢山の人々が怖いと言っているから、きっと怖いんだろう。
そんなふうに、自分の信じて疑うことのない「思考」や「感情」を、生み出してしまっていたかもしれない。
未知だから、多数派だから。ただそれだけなのに、どうして思考や感情は傾いてしまうのだろう。

根強い「当たり前」を信じ切ることなく、なるべくフラットで、偏見なく物事をとらえられる人でありたいと、いつもいつも思っているのに。難しい。そんな自分にうんざりしてしまう。

認知症。なるべく避けたい。なんだか怖い。なりたくない。
「もし私自身が認知症になったとき、認知症の私は、自分の人生にどのような価値を見出すのだろうか。
価値を判断する主体である「私」自身が、明晰さを失って、崩れかけているときに、世界はどのような相貌をもって私の前に現れるのあろうか。」
 
生命倫理学の先生の書籍にあった文。
認知症という病を、こんなふうな思考を有した上で、こんな心構えで迎えることができたらどんなにいいだろう。素直に素敵だと思った。羨ましいと思った。
そのためには、ひとつ知識を持つこと。そして、心からそう思えるようになること。

「それは怖いのだ」と当たり前に受け取っていること、未知がゆえに漠然と恐怖を抱いていること。一つ一つ自分の見方、捉え方を有していきたい。
どうして怖いのか、本当に怖いのか、よくよく考えたい。
 
 
年を重ねること、病にとすること、逆境に身を置くこと、、、
一般的にない方が良いこと、ネガティブに捉えがちなことを、本を読むことで、ひとつ俯瞰して眺めることができるようになった。
素敵な何かへと向かう過程なのかもしれない。
美しい何かになるための材料なのかもしれない。
綺麗な何かを目にするために視野を広げさせてるのかもしれない。
 
自分の人生も、何か物語の一部だととらえることができる。
また、その思考の材料を、まさに本が私に与えてくれる。
なんでも見方しだいだ、捉え方しだいだ。
 
未知なる世界は怖くて当たり前だ。
本がなんと伝えようと怖いものは怖い。この気持ちも確かだし、その気持ちを無理に変えてしまうことは難しいかもしれない。
でもこんなふうに面白がっている人もいるんだ、楽しんでいいんだ、そう思うと、ふと一つ気が楽になる。

「感情にふたをしてしまうひとへ。
あなたの感情は間違っていません。
閉じこめないで、ふたを少しずらしておいてください。
面と向かいあうことが怖くても、ないことにしないでください。
感情には人格があります。
なかったことにされるのはとても悲しいことです。
いつか、それを抱きしめてあげてください。」
 
「たとえ、ほとんどおなじように見える「経験」をしていたとしても、その経験から生まれる感情には百万通り以上の種類がある」
 
感情はたった一人私だけのものだ。
表現化することがなくても、同じものは一つとしてないとても尊いものだ。

そう思いたいとどんなに願ってもコントロールは難しい。



それでも、生まれた自分の気持ちと違う気持ち。それを沢山持って入れたらいい。
もちろん私の気持ちは、まぎれもない私の気持ちとして、たったひとつかけがえのないものとして大切にしたい。それが嘘ではない。
でもそれに拘らなくてもいいということ。
手持ちの他者の思考を借りてもいい。素敵なものを欲張ってかけ合わせてブレンドしちゃってもいい。
どこか納得できなかったら、どちらが良いとか悪いとかではなく、どこでどんな差が生じているのか比べてみたらいい。
ほんのちょっと借りてもいい。素敵な思考を頑張って背伸びして演じみてもいい。
手持ちを増やす。選択肢を増やす。
同じ事柄に出会った時、一番素敵な思考を選べたら。

だから、私は本を読む。

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