幼き日の市電の思い出
ふとした時に、何の前触れもなく、昔のことが思い出される。とりわけ、幼かった日を。
今日も晩ご飯の準備で玉ねぎを切っているときに、突然、記憶がよみがえってきた。
あれは、私が3歳か4歳のころ。
母に手をつながれて、私は市電を待っていた。多分、どこかへ連れて行ってもらうんだと思う。当時、市電は京都市内を走り「市民の足」だった。
やってきた市電に乗り込み、母と並んで座る。
ガタゴトン、ガタゴトン・・・
文字にするとちょっと違う気もするけれど、そのとき聞こえた音だ。
それに、市電に乗るからこそわかる適度な揺れや、窓から入る風が頬をなでる気持ちよさ。足をぶらぶらさせながら、母とおしゃべりしたり、車窓から移りゆく景色を見るのも大好きだった。
でも、そんな楽しく幸せなひとときは、永遠になくなってしまった。市電が廃止されたからだ。そのとき小学生だった私も、そこで思い出はジ・エンド。
もう今後の人生で、市電に乗るなんてないだろうなあ・・・と思っていたら、なんと、先月旅行した函館市で乗る機会が巡ってきた。
喜々として乗り込む私。そうそう、この揺れ。この音。この感覚。もちろん市電のデザインや、車体の大きさは違うけれど、当時のあの幸せなひとときが、はっきりよみがえってきた。
そして市電に揺られながら目をつぶると、幼い自分がすぐ前にいるではないか!
ニコニコ笑いながら、なにやら母と楽しそうに話している。ただ残念なことに音が聞こえない。
何を話しているんかな?
・・・市電は私にとって、ドラえもんのタイムマシーンと同じなのかもしれない。瞬時に時間旅行ができるから。
私は市電から降りてからも、しばらく温かくほっこりする思いでいっぱいだった。
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