『天才を殺す凡人』(北野唯我)を読んで
北野唯我・著『天才を殺す凡人』を読みました。
世の中には、
「天才=創造性」
「秀才=再現性」
「凡人=共感性」
3つのタイプがある。
で、本書はこれら三者の間にはコミュニケーションの断絶があるという前提に立ち、どうやったら天才を(日本の)会社から守れるかという視点で書かれています。小説仕立てのストーリーの後に解説もあります。
すべてを理解できうる“共感の神”は凡人にあり!という凡人への期待と使命、ここが肝です。
そしてシンプルに分類された才能3タイプの存在自体を理解・把握すること(構造化)によって、職場の人間関係をより滑らかにすような効能がたしかにあると思います。
「天才タイプといったらあの人だなあ」
社会人の経験があれば、どなたでもひとりくらいは頭に浮かぶのではないでしょうか。かく言う自分でも思い当たる節があります。本書の通り、天才ゆえの苦労も目の当たりにしました。
そういう意味でもこの本については一通り、凡人として共感をしております。読み進めるなかで、とくに“考えた”箇所をクリップします。
コミュニケーションはなぜ断絶するか?
天才と凡人はわかり合えない状況があるとして、そこにはコミュニケーションの断絶があると考えることができます。ではその断絶はどこからくるのか?
コミュニケーションの断絶は『軸と評価』の二つで起こりうる。
軸…その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的。
評価…軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的。
軸とは、価値判断の前提とあるように、価値観そのものだというふうにとらえています。結果から逆算して行動→考え→価値観と考えていまして、この価値観のズレはもはや個性だなと。
みるもの・きくことで人格が形成されているとして、それらの集積によって形成された価値観を“正す”ようなことは、到底ムリゲーなんですね。
「ここがちがうよね」っていうふうに、ちがっているところをわかり合うこと。そのうえで、どうするのかが大事なのでしょう。相互理解の本質は、ちがうという前提に立つこととと思っています。
アートとテクノロジーの役割
アートとテクノロジーの役割は、人の認識を揺さぶることだ。アートは、その時代、なにが美しいのかを提示し、テクノロジーはこれまで人体ではできなかった境界線をなくす。つまり、アートもテクノロジーも、すっと引かれた1本の線を消す消しゴムのようなものだ。
小説仕立てのストーリーのなかで、いわば天才役として出演するある女性のセリフです。本線とはちょっとズレはしますが、素敵な言葉だなあと。
テクノロジーは人の五感の機能拡大をこれまでずっと目指しており、そこに直結するようなビジネスは強い。たしかこのようなことが葉村真樹さんの『破壊』で言及されています。
余談ですが『2000年間で最大の発明は何か』という本である学者は、その最大の発明を“消しゴム”と答えました。
ただ消すだけじゃん!ってところですが、そのこころは、文字の修正や、パソコンのデリートキー、合衆国憲法の修正箇条など、人類の「誤りを訂正できるしくみ」全般をとりあげています。
イノベーションは、飽きからはじまる
「(中略)つまり革新的なイノベーションとは、天才の「飽きに近い感情」から生まれる。「天才からすると、古いやり方や、非効率な社会というのは『飽きすぎてヤバい』存在や。だからこそな、天才は怒られるんやな。『先生そこ、間違っていますよ!』って言っちゃうから。でもこの瞬間こそ、イノベーションが起きているときなんや。わははは」
たしか本書に登場する関西弁の犬のセリフです。『夢をかなえるゾウ』のガネーシャのような存在で、凡人の主人公のおしりをたたき、背中を押してくれるワンちゃん。
飽きるっていう考え方がおもしろいですね。アイデアにせよ、事業にせよ、すべてのものは、天才→秀才→凡人の構造と同じく、創造性→再現性→共感性のフローで世の中に広がり、その順番で「飽き」られていくと。
つまり、誰かが新しくつくったもの(=創造性)は、工場などで大量生産され(=再現性)、最後は人々の生活の一部(=共感性)となっていく。
そういう順番となるため、第一次情報的な意味で、起点は創造性の天才。物理的な時間の経過もふくめ、彼らは最初に飽きていく。
でもその飽きがあるからこそ、イノベーションは生まれていく。感覚的なのだけど、ちょっとわかる気もします。
こういう天才・秀才・凡人のような3タイプには、円と円の重なるところが出てくる。
たとえば本書では、天才と秀才の重なりが“スーパーエリート”のように名称や特徴も書かれていましたが、誰の心にも凡人・秀才にも天才的な要素はあるんですね。
課題だったり大きな発見でなくとも、日々ちょっとした飽きってどこにも転がっていて、大多数が言われれば気付くけれど見逃していることってあると思います。
川村元気さんにこんな言葉があります。
人通りの多いところにある郵便ポストの上にくまのぬいぐるみがあったとして、みんなは知らんぷりで通りすぎていく。
僕の仕事とは、そのぬいぐるみを持ち上げ、「これ気になりませんか?」と叫ぶことなのではないかと
「なぜ」や「変だ」という自分の想いを大切にすることが、「飽き」からイノベーションを起こすことにつながるんだというふうに理解をした次第です。
というわけで以上です!
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