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繰り返す日々

起きているから思考が頭の中を騒々しく駆け巡るのに、それでも寝たくない夜がある。明日が来てほしくないから、寝るのを先延ばしにして夜を引き延ばして、今日に居座ろうとする。寝ても起きても朝日は昇って明日はやってくるのに、わたしは今晩も“寝ない”という無意味な抵抗をしてしまう、このまま夜の闇にとけて消えてしまえたらいいのに、とかばかなことを思いながら。


明日が来てほしくない。明日もまた同じような日々を繰り返すだけなのだと思うと、一体なんのために生きているのだろうと漠然とした虚無感に苛まれる。
なにか頑張れているわけでもない、日常に散りばめられた苦しみの中でただ耐え抜くだけの毎日。ただ時間が過ぎ去るのを待つだけの毎日。そうしているうちに気づけば一日の終わりが迫ってきていて、やっとここまで辿り着いたのに寝てしまえばまた一日が始まってしまうことに嫌気がさすのだ。
なにより、そんな日々を繰り返すだけの自分にもううんざりだった。

なにもしないこと、それが今の自分にとって大事なことだと周りの人たちは声をかけてくれる。ありがたいことに、なにもしないことを許される環境に身を置かせてもらっている。ただ生きているだけでいい、そのことを誰も責めやしない。つまるところ、生きてるだけの自分を許し認めてやれないのは自分自身だけなのだ。

いつになれば自分のことを許してあげられるだろう、どうなれば自分のことを認めてあげられるだろう。なにかを頑張れている自覚を持てれば、心に抱える空虚感は消えるのだろうか。もしそうだとしたら、どれだけ頑張れば頑張りだと認めてあげられるのだろう。なにをしても否定から入るのはいつも自分だ。頑張ったところで、もっともっとと自分自身を追い詰めるのは今までの経験から想像できる。それにもう、今の自分はもう昔のような頑張り方ができない。つまり、自分の頑張りを肯定してあげられることは、ない。

そのような、過去の自分が思い描いていた想定とはほど遠いところにいる自分。好きになるどころか嫌なところばかりが目につく自分。こんな自分をどう受け入れろというのだろう。こんなはずじゃなかった、どうしてこうなってしまったんだろう、どれだけ経っても自分のことを認められず嘆いてばかりいる。嘆くだけで、なにもできずにいる。そんなだめな自分が嫌いになっていく一方で、きっと受け入れられる日なんて一生やってこない。来るとしたらそのときは、受け入れざるを得ないときだ。

こうして日々を積み重ねることに一体なんの意味があるのだろう。生きる意味なんて分からない人の方が多いと言うけれど、意味がないのならやめたっていいじゃないかと思ってしまうのは捻くれているだろうか。自分でどうこうしない限り、明日も明後日も、この先何年何十年も繰り返してしまうことに途方もない気持ちになる。それでもいつか、と思うのにも限界がある。
だってとっくのとうに、生きるのに疲れきっているのだから。

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