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「何もなくて豊かな島」カオハガンを訪れて

セブ島語学学校の滞在時に訪れたカオハガン島。人口600人ほどの小さな島。私がここを訪れたのは2019年6月のこと。今、改めてnoteで書いてみようと思ったのは、「#一度は行きたいあの場所」を募集していたから。もう1つの理由は、書籍『何もなくて豊かな島-南海の小島カオハガンに暮らす』を読んだから。この本には、島での暮らしやその中で出会った1歳半の女の子の死が描かれています。生と死、本当の意味での豊かさとは何か。何もない島で、どう暮らすのか。「生きる」ことについて改めて考えるキッカケになりました。カオハガンの魅力、フィリピンの人たちについて、深く知るキッカケになる一冊だと思います。

学びも遊びも全力投球

語学留学のためセブ島を訪れているとき、1日だけ何もしない、遊びだけの日がありました。訪れたのは、セブ島のすぐよこにある小さな島、カオハガン。島を案内してくれたのは、QQ English代表の藤岡頼光さん。「一生懸命勉強したら、そのあとは遊ぶ時間もしっかり取る。このバランスが大切ですよ」。みっちり学習したあとは思いっきり遊ぶ。大事ですね!

カオハガンについて何も知らなかったのですが、東京ドーム1個分ほどの島に600人ほどの島民が暮らしています。

「カオハガン島は、北緯十一度。フィリピン共和国のセブ島とボホール島の間に位置する、周囲が百キロ以上もあるオランゴ環礁の輪の上にできた七つの島のひとつです。フィリピン、インドネシア、ソロモン郡島を結んだ三角形に囲まれた熱帯の珊瑚礁は、世界で最も生物の種類の多いところなのです」(カオハガンHPより)

生き物は750種類くらいいるそうです。私も海の中に潜ってみましたが、真っ青な魚や亀、いろんな色の生き物が泳いでいるのが見えました。よく水族館の水槽の中で南海の海の生き物を展示していますが、まさにそれを目の前で見ているような感じでした。もちろん、狭い場所にたくさんの魚がいるわけではないので、海の中を潜るたびに、ところどころで色とりどりの生き物を見る程度でしたが。やっぱり直接見られるのは嬉しい!

「島を買う」ということを改めて考えてみる

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著者の崎山さんがカオハガン島と出合ったのは、1987年。会社員時代は年2回くらい、世界一周をするほどアクティブだったといいますが、会社を退社。同じ年にフィリピン・セブ島沖のカオハガン島に出会い、ちょうど売りに出されいてた島を買ってしまったそうです。

島が売りに出されるのもびっくりですが、それを買えるのもすごいですね! 当時1000万円くらいだったそうです。島を買ったはいいけど、無人島ではないので当然そこに人は住んでいるわけです。

4年ほどの間、日本とカオハガンを行き来しながら、現地の信頼できる友人にお願いして、島の整備をしてもらっていたといいます。しかし、3人いたうちの1人に裏切られてしまう。

フィリピンで土地を買う時、会社を作る時、現地の人が1人いないと外国の人だけではできないようになっていると聞きます。そのため信頼できる人にお願いして共同経営者という形で行うそうですが、途中で相手にお金を持ち逃げされたり、騙されたりという話は、私も聞いたことがあります。

崎山さんの場合も、相手のことを信頼して連絡を密に取りながら、現地を訪れながらやっていたにもかかわらず、ちょっとずついろんなことをごまかし、お金を着服し、その都度十分なお金も払い、最後には権利の半分を主張してきたと書かれていました。その後も子供じみた脅しをかけられたりと、いやなことが続いたそうです。

フィリピンの国の人たちはとてもいい人が多いと思いますが、どんなにいい国に行っても騙す人はいます。かなりの人がこの手の被害に遭っているというのは、問題だとは思いますが。

島を買うというと、まったく想像できないのですが、島での暮らしは大丈夫だったのでしょうか。現地の人とはどうやって折り合いをつけたのでしょうか? いきなり自分が住んでいた島が人手に渡り「私がこの島のオーナーだ」と言われても、「ちょっとまってくれ」となるんじゃないでしょうか?

『多くの人、とくにフィリピン人の意見は「ほかに土地を与えてそこに移転させろ」ということだった。島民たちは現在は土地不法占有者として島に権利なく生活しているのだ(略)。自然も大切だが、住んでいる人も大切だ。人の住んでいない大自然もすばらしいが、そこに生活している人々との関係は、私にとって大切に思え、興味があった。そして、思い切って、まわりの人たちの親切なアドバイスを押し切り、島民たちと一緒に生活する道を選んだのだ。これは大きな選択だったと思う』(本文より)

当時のフィリピンでは、土地登記簿制度が完全ではなかったため、このように土地の所有者があいまいなところがあったといいます。もしこの島を買ったのが崎山さんではなくほかの人だったら、カオハガンは今頃まったく違った島になっていたかもしれなかったんですね。

子どもたちがその日食べる魚や貝を獲りにいくことはかわいそうなこと?

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島の人たちは「貧乏でかわいそう」というのが口癖だと、崎山さんは書きます。これは島で暮らす子どもたちもそういっているそうですが、その言葉を言っていたのは平日だけカオハガンで教師として暮らし、週末は別の土地に帰る「外から来た学校の先生」だったのかもしれません。相手に悪気がなくても、子どもたちだって「あなたたちはかわいそうね」といわれたら「自分はかわいそうな子」だと思ってしまうでしょう。

この本が書かれたのはずいぶん前なので、今はそんなふうに思う人たちはいないと思います。でも、もし、そんなふうにいわれていたら「自分はかわいそうな子なんだ」と思っていたかもしれません。

今、自分は日本に住んでいて、仕事もあって、行きたいところに行けるし、やりたいこともできる。そのうえで、何も持たない島の生活はすごく豊かだと思う。私は「何も持たないことも選択できるし、持つことも選択できる」。でも、島の人たちは「持っていないこと」しか選択できない、のかもしれない。だから「魚を(買うのではなく)獲らなければいけない生活」は「かわいそう」となるのかもしれない。

「彼らはゆとりをもって生活している。あくせく働くこともないし、焦ることもない。島のみんなが知り合いだし、どんな人も島の社会で役割を持っている。島には何人かの知能の遅れた人がいる。生活自体がシンプルあから、彼らも一人前に自活できる誰も差別をしない」(本文より)

‟人”に興味を持つことが文化を知るキッカケになる

以前、留学先の英会話学校の先生と話しているときに、彼の出身のボホール島のことについて話してくれたことがありました。

『何もなくて豊かな島』の本を読みながら、先生も、ボホール島でこんな暮らしをしていたのかなと、想像してみたり。オンライン英会話で知り合った「英語を教えてくれる先生」だったのが、その人自身に興味を持って、会話や考えなどをもとに、これまでの育ってきた環境を見ていくと、その人の全体像が見えてくる。そしてそれがまたフィリピンという国を知るきっかけになる。これはとてもおもしろいことだなと、改めて感じました。

「自分探し」の旅に出る人

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セブ島に留学していたとき、20代、30代の人たちで「自分探しの旅」に出るために語学を学ぼうとしている日本人の人何人かに会いました。彼らが言っていたのは「自分が本当にやりたいことがわからない。だから、もっといろんな世界をみて、いろんなことを経験することで、その中から自分のやりたいこと、生き方をみつけたい」ということ。

アルバイトや仕事で生活するお金は稼げるけど、「モノだけを持っていても満たされない」という気持ちだったんだろうと思います。

「今の、お金や物がすべてだという世の中は間違っていると思う。それに巻き込まれず、何か自分の生き方を見つけたいと思い焦るが、何をしていいかよくわからない(略)。今、優秀な若い人たちが自分のためにお金を稼ぐだけではない、何かの行動を求めている。若い純粋なエネルギーを、自分が意義あると信じられるものに使いたいと思っている」(書籍より)

セブ島留学で会った人たちが、その後、どんな生活をしているかわかりません。新しい世界に飛び込むのはとっても勇気がいるし、ときには日本に戻ってくることもあるでしょう。そのとき何も進歩していないかのように思うかもしれないけれど、短期間とはいえ海外に出て留学や海外での生活に挑戦したことは大きなチャレンジだったんじゃないかなと思います。なんらかのものが見つかって、歩んでいてくれたらいいなと思います。

「幸福度」はどのように測ることができるか

「島に暮らす」というと、とても豊かなことのように思えます。島に移住できるだけのお金があって、それほどあくせくしながらでも働ける。そんな生活を望む人も多いと思います。この本の中でも「豊かさ」「幸福度」について、たびたび語られています。

人間の「幸福」の尺度を測るとき、次のような方程式があるといいます。

幸福=財産÷欲望

つまり、欲望よりも財産があれば、やりたいことの多くはできるから欲望が満たされ幸福である、ということになります。

「人は幸せをつかもうとして金を貯め、物を、財産を増やそうとする。しかし、財産が貯まりはじめると、それにつれて欲望もそれ以上に膨れてくる。そして、さらにその欲望を満たすために努力をしてお金を稼ぐ。しかしまた欲望が膨れ上がる。いつまでたっても心の幸せはつかめない」

物がたくさんあっても心は満たされない。どうしたらいいのか。もっとさくさんお金を稼いで欲望を満たすか、欲望を小さくするか。正直、どちらも難しい選択かもしれません。お金を稼ごう、貯めようと思っても、目の前に魅力的なモノがあったり、旅行に行きたい、挑戦してみたいものがあり、お金がかかったら、お金は貯まらない。欲望を小さくしてしまうと、毎日刺激のない自宅と仕事だけの生活になってしまう。

SNSで世界中のいろんな情報を見られる今は、とくに「欲望」を抑えるのは難しいかもしれない。カオハガンに行ったらなにか変わるのかな?

フィリピンの現地語は100以上。話すのはフィリピノ語?タガログ語?セブアノ語?

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移住したときに、もう1つの問題となるのが言語。フィリピンでは、約1000の現地語があり、それぞれの地方によって話す言葉が違います。フィリピンの公用語として用いられているのがフィリピノ語とタガログ語と英語。私が留学の時に訪れるセブ島では、現地の人たちはセブアノ語を話します。セブ島そばにあるカオハガンもセブアノ語を話すようです。

セブ島一帯をビサヤ地方というため、ビサヤ語ともいうようですが、セブアノ語とビサヤ語は一緒なのか違うのか、いまいちよくわかりません。たぶん、方言的な差はあるものの基本的には同じ言語なんじゃないかと思います。

以前、タガログ語についてオンライン英会話の先生に聞いてみたところ、「セブアノ語とは違う言語」だといっていました。私がみたところ、同じ単語で語尾が違うものなどがあることから、基本的な文法は同じだけど単語が違う、そんな感じじゃないかと思います。

ちなみに、私は青森と沖縄の方言はまったくわかりません。同じ日本語ですが、何一つ単語が聞き取れないので、もう違う言語なんじゃないかというくらいに感じています。セブアノ語とタガログ語もそんな感じなのでしょうか。

島を訪れる際に覚えておきたいビサヤ語100選

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本の中で私がとくに気になったのが「百の単語を覚えて、島の人たちと話をしよう」という章。カオハガンでは主に使うセブアノ語・ビサヤ語がつかわれています。そのなかで100個の単語を覚えたら、島の人たちと現地の言葉でだいたいのことは通じると書いてありました。ちょっとだけ紹介します。

・マーヨンブンタン(maayong Buntag)=おはようございます
・マアヨン ハポン(Maayong hapon)=こんにちは
・クムスタカ(kumusta ka?)=ごきげんいかが?
・サラマ(ット)(salamat)=ありがとう(ございます)
・ワイ サパヤン(way sapayan)=どういたしまして
・(読み方略)ganahan ko sa akong maestro=私は先生が好きです(like)
・アガイ(agai)=痛い

アガイとlikeについては、私が直接オンライン英会話の先生から聞いたものです。本の中には本当に単語100個が書いてあったので、びっくりしました。

ここだけの話、実はオンライン英会話の途中でセブアノ語も教えてもらってます。現地の言葉を話せるようになると、ちょっとだけ先生が優しくなるみたい(笑)。いつも優しいんですけどね、みんな。

それにセブアノ語はアルファベット読みすればたいていは読めるので、私にとってはとても楽なんです。文法はよくわからないけど、組み合わせ方を教えてもらって、ちょっとずつ2語を使えるときも出てきました。

だから、この本にセブアノ語100選が出てきたときは、びっくりするとともに、ちょっと嬉しくなりました。もし、カオハガンやセブ島の人と話す機会があったらこの本に書かれているセブアノ語を使って、会話してみると楽しいかも。

何もしない土曜日の午後

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私がカオハガンに行った日、運悪く現地SIMの使用期限が来て、海の上でスマホがつながらなくなりました。ついでにバッテリーも少なく、昼間停電していたために充電することもできず、カオガハンにいた半日はほぼスマホを触ることがありませんでした。そのため写真もかなり少なくなりました。

一緒にいったみんなと、用意してもらった食事を食べ、写真撮影をして、船に乗ってシュノーケリングに出かけました。時間にしたら3、4時間くらいだったかもしれません。なにもしないで、ただひたすらに目の前のことに夢中になって遊ぶ時間。東京にいても、セブにいても、なにかに熱中して遊ぶ時間はありました。でも、カオハガンにいたとき、まわりが海や土や木ばかりで、何もなかったからか、まったく時間の流れが違いました。遊びながらも、過去を思い出す時間。そんな感じでした。

私のオンライン英会話のメインティーチャーもどこかの島出身で「何もなくて暮らしは貧しかったけれど、とても豊かな時間を過ごした」と話していましたが、彼がいっていたのはこの時間の過ごし方だったのかもしれません

はじめはフィリピンに対して何の思い入れもなかった

こんなことを書いたら怒られるかもしれないけど、私はフィリピン大好き!という感じでもなかったし、フィリピン人の人に対してとくにすごく思いれがあるわでスタートしたわけでもありません。フィリピンの人は、子どもたちの保育園のママを通じて何人か知っていたり、仲のいいママがフィリピンと日本のハーフだったという、それくらいの関係です。

フィリピンの話をすると、周りの人から「治安が悪い」「チャラいイメージがある」ということを聞きますが、そういうイメージもまったくなかったです。私の中でのフィリピンは子どもの頃、祖父から戦争でレイテ島沖で叔父が亡くなったという話を聞いていたから自分からは積極的に訪れようとは思わなかったというくらい。良くもなく悪くもなく、という感じでした。

過去の歴史に関しては、フィリピンの人たちも同じように感じている人は一定数いるんじゃないかなと思います。過去の歴史のことについてどう思っているのかを直接彼らから聞いたことはありませんが、口には出さないけどいろいろ考えるころはあるでしょう。

だから、フィリピン大好きな人たちみたいにワーという盛り上がる気持ちもなく、かといって別に悪くもなく、淡々と過ごしていました。SNSでアップしている写真を見て「とても楽しそう!」と言ってくれる人もたくさんいました。実際すごく楽しいけど、でもみんなが思うほどフィリピンフィーバーしているわけでもなく、楽しみながらも「本当はこの人、どう考えているんだろう」とか、いろいろ分析しているという感じで過ごしてました。

フィリピンも日本も、基本はみんな同じ

オンライン英会話を通して、そこで出会う先生たち、現地の人たちを見てきて、今思うことは、フィリピンの人たちも日本の人たちも、みんな同じだということ。とてもいい人たちが多い。そして大らか。親切。中には観光客だからといって料金を高くふっかけてくる人もいますが、その人たちもいいところがあり、悪いところがあり、という感じだろうし。

一つ違うのは、フィリピン(セブ島周辺だけ?)の人たちは、よく歌って踊る。本当によく踊ってます。そして街中の音が大きい! 爆音です!

カオハガンでも爆音習慣があるのか気になりますが、あまり音を出すようなノリノリの島ではなく、どちらかというと静かなイメージでしたが、実際はどうだろう? 

1歳半の女の子、アヤン。彼女の死をどう受け入れるのか

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『何もなくて豊かな島ー南海の小島カオハガンに暮らすー』の本を読んでいると、ついいろんなことを考えてしまいます。崎山さんが書かれている島での暮らしに思いを馳せながら読んでいくと、気になる1つのエピソードがありました。それは1歳半くらいの女の子、アヤンの話。

ある日、熱が出て体温を測ってみたら42度もあったそうです。慌てて島外の病院に連れていこうというものの、家族の反応が悪い。理由を聞くと医者に見せるお金がない、と。崎山さんが「お金のことは心配するな」と言い、やっと島を出たものの、病院につくまでの2時間半の間に、小さなアヤンはどんどん弱っていき――。

カオハガンには墓地がないからと、近くのオランゴ島に埋葬したそうです。母親は娘の死を受け入れられない。当然のことだと思います。そんななかお葬式がとりおこなわれ、時間だけが過ぎていく。

その時の様子を崎山さんはこのように綴っています。

「飾り気のない、簡素な埋葬だった。なにかホットするような、自由で自然な土地への回帰だった。島に戻ってから、ビーフン、ご飯、鶏の丸焼きと心を込めたご馳走があり、ラムコークを飲みながら、夜遅くまで皆で語り合った。窓からのぞいた、放心したような母親の顔が外のテーブルの笑いにつられ、時折穏やかな表情に変えるのがうれしく思えた。こんなふうにして人は島で死に、穏やかに土に返り、また新しい生命が生まれてくるのだなと思った」

これまでのnoteにも書きましたが、フィリピンの人たちと話していると、「誰かが亡くなった」という話を時々聞くことがあります。私はまだそれほどフィリピン人の知り合いは多くないのに、です。日本人に比べて、フィリピンの人たちはずっと死を身近なものかもしれません。

フィリピン人の平均年齢が23~24歳と聞くけど、それは若くして亡くなっていく人が多いからかもと思います。今、島には医療や学校もあります。奨学金制度もでき、優秀な生徒は大学まで進学できます。アヤンのように、いろんな問題を目の当たりにして、島の生活は変わってきたのだと思います。

実は20万部超えのベストセラー本。人を惹きつける理由は?

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崎山さんがこの本を書かれたのは、1995年。今から25年ほど前。元講談社、講談社インターナショナルと、編集畑を歩まれてただけあって、とても情景描写が豊かです。何回か本文中の崎山さんの言葉を引用させていただきましたが、まるで自分がカオハガンの島にいて、目の前で起きている出来事をみているかのように感じ、どんどんページをめくってしまいます。

この本が20万部超えのベストセラー本である理由は、それだけじゃありません。きっと誰もが一度や二度は思ったことがある「本当の豊かさとはなにか」ということを、この本を通して考えることになるからじゃないかと、私は思います。

崎山さんがカオガハンの島を買われたときは、53歳。当時は1000万円ほどだったといいます。300人ほどだった島民も、現在では600人。今、島では観光のほかに、カオハガンキルトや宿泊体験、2050年に向けたコミュニティーづくりなど、いろんなことをやっています。

私が訪れた時は、島の入り口付近で観光客を相手に、お土産や食事を提供している場所が一部あって、その奥にある崎山さんたちの自宅以外は、ほとんどなにもないところかと思っていました。そのため、この本を読み、そしてカオハガンのことをネットで調べて、HPに掲載されている写真を見て、この30年あまりの歴史を見て、そんなに活動的だったのかと、今更ながら驚きました。

始まりは「相手に興味を持つこと」

たった一度、土曜日の午後という数時間を過ごしたという島でしたが、興味を持って調べてみるとどんどん世界は広がってきました。

私がオンライン英会話を始めて3カ月たったころ、行き詰っていろんな人に相談しました。そのなかで大学の先生に相談したところ、その先生からこんなことを言われました。

まずは話者に興味を持つこと。そこから世界が広がります」と。まさにその通りだなと思います。たった1つのことに興味をもっただけで、その背景や歴史、文化、今を知るキッカケになる。

カオハガン、崎山さんの本を読んだらもう一度行ってみたくなりました。もし、セブ島からカオハガンに行く場合は、一度崎山さんの本を読んでから出かけることをお勧めします。崎山さんはこの本以外にも本を出されていて、合計9冊あります。全部読んでみると、島の歴史がより詳しくわかっていいんじゃないかと思います。














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一度は行きたいあの場所

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