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5つの物語

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少しずつ書いて載せていきます。完結しました。
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【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #1

【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #1

「ねえ僕たち何のお話する?」

気がつくと目の前に男の子が立っていた。6、7歳くらいだろうか。空港から市街へ向かう電車に乗って窓の外を眺めていたゆりに、その子は笑って話しかけた。

「そうね、じゃあまずお名前を教えてくれる?私はゆり。日本から来たの。日本って知ってる?」

「知らない。中国人かと思った。僕はジョシュ。」

「ここに住んでるの?」

「ううん。住んでないよ。」

「そう。じゃあ私と同

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【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #2

【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #2

その電車は乗客もまばらで会話もほとんど聞こえて来ない。窓の外は秋が深まって空は低く薄く、鮮やかに塗られた家々やホームを行き交う人々の装いと対照をなしていた。ジョシュと名乗るその少年はいつの間にかゆりの隣に腰掛けて、床に届かない両足をぶらぶらさせながら話を続けていた。

「僕はピアノを習ってるんだ。この前幼稚園で先生に大人になったら何になりたいかって聞かれたから、最初はピアニストって答えたの。そした

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【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #3

【5つの物語】1. ゆりとジョシュ #3

「ジョシュはピアノが好きなの?」

「うん、好き。ピアノ教室にはシャム猫がいるんだよ。僕たちがお稽古してると部屋に入って来たり、別の部屋に行きたい時はニャアって鳴いて、そしたら僕はドアを開けたりするんだ。先生はもうおじいちゃんとおばあちゃんで、優しくて楽しいよ。教室の歌もあるんだよ。クリスマス会もしたよ。」

「そう。すごく楽しそうね。やっぱりピアニストになりたいって幼稚園で先生に言ってみる?それ

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【5つの物語】2. みかとマリー #1

【5つの物語】2. みかとマリー #1

みかがホテルに着いた時にはもう真夜中を過ぎていた。ヘルシンキからブリュッセルまでのフライトにセキュリティ上の問題が発生したとかで、出発が遅れに遅れたのだ。部屋に入ってドアを閉めるとベッドに身を投げ出した。ああ、疲れた。こんなことならブリュッセルには寄らずにヘルシンキから成田に帰国する予定を組んでおけば良かった。数年前にはテロもあったし遅延は止むなしか、今日飛んだだけましと思おう。そう思い直している

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【5つの物語】2. みかとマリー #2

【5つの物語】2. みかとマリー #2

「こんにちは。そうね、さっき電車で会ったわね。あなたもここに来たのね。パパとママは何処かしら?そうだ、名前を教えてくれる?私はみか。」

「私マリー。みかは韓国人?それとも中国人?」

「日本人よ。東京から来たの。東京って知ってる?あなたは何処に住んでるの?英語がとても上手ね。」

「東京は知ってる。何処にあるかは知らないけど。パパやみんなとはいつも英語で話してる。ママとはフランス語だけどあんまり

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【5つの物語】2. みかとマリー #3

【5つの物語】2. みかとマリー #3

「あの時も周りが真っ白でよく見えなかったの。」マリーが呟いた。

そう。あの時もモヤが掛かって視界が悪かったのだ。父はそう言った。学校の遠足でちょっとした山歩きをしていた。父は小学校の教師だった。もともと山間部の小学校だったから生徒は山歩きにも慣れていた。少し険しい岩場に差し掛かった時急に辺りにもやがかかり始め、あっという間に前がよく見えないくらい白くなり、父の前を歩いていた生徒の足が止まった。こ

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【5つの物語】2. みかとマリー #4

【5つの物語】2. みかとマリー #4

「白くてよく見えなかったの。」

マリーはもう一度呟いた。みかは思わずマリーを抱きしめて、そして何度も同じ言葉を繰り返していた。

「ごめんね。ごめんね。痛かったね。ごめんね。」

みかは気がつくと号泣していた。涙でマリーの顔が滲んで見えた。マリーはどこか遠くを見ているようだった。

「タンタンって先生に似てるよね。先生も冒険してるのかなあ。」

父はあの時から冒険も心から笑うことも無くなったと思

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【5つの物語】3. えりとヨウ #1

【5つの物語】3. えりとヨウ #1

飛行機が成田から飛び立ってベルト着用サインが消えた時、えりはようやく心からほっとした。これでやっと休める、やっと逃れられる。そんな気持ちだった。逃れるって何から?波のように次々と押し寄せて来る仕事から?やればやるほど強くなる風当たりと陰湿な妬みから?それともそんな風に感じてしまう自分自身から?消化出来ない思いをもう一度抱えそうになって、えりは思わず頭を左右に小刻みに振った。そうやって思考を振りほど

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【5つの物語】3. えりとヨウ #2

【5つの物語】3. えりとヨウ #2

市内のホテルにチェックインする頃にはもう日が暮れていた。部屋はフロントの好意でジュニアスイートにアップグレードされていた。これから何か良いことが起こるんじゃないか、そんな気がした。台北初日の夜はホテルの向かいにある地元の人達で賑わう小籠包の店に出かけて夕食を取り、自分の住んでいる東京の部屋より大きいバスルームでシャワーを浴びバスタブに浸かり、キングサイズのベッドでシーツに埋もれて眠りに落ちた。目が

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【5つの物語】3. えりとヨウ #3

【5つの物語】3. えりとヨウ #3

龍山寺を出る頃には身体が冷え切っていた。今日はとても寒くて雨も降り出しそうな雲行きだった。えりはこれから次の行き先に向かおうと、道の向かいにある駅から地下鉄に乗った。台北駅に着いて特急列車に乗り込んだ時は夕方近かった。これから九份に向かうのだ。山の中に広がる路地をそぞろ歩いて夜の老街の賑わいを楽しむつもりだが、あいにく車窓から見える景色は雨に濡れていた。まあいいか、雨の街並みも趣があるだろうし。そ

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【5つの物語】3. えりとヨウ #4

【5つの物語】3. えりとヨウ #4

あれは幾つの時だったか。はっきりと思い出せないのは思い出したくないからだろう。たしか小学校3年生の頃だったと思う。地方の小さな市の町はずれに住んでいたえりは、路線バスで街中に習い事に通っていた。いつもは家が近い友達と一緒に通っているのだが、その日はその子が休んだので、えりは一人で帰りのバス停にやって来た。夜の8時は回っている。バス停は商店街のアーケードに面していて灯りに照らされていたが、田舎町の夜

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【5つの物語】3. えりとヨウ #5

【5つの物語】3. えりとヨウ #5

家に帰ろう。えりは茫然としながら歩き出した。すると向こうから母が歩いて来るのが見える。バス停から帰る時に家に電話していたのだ。心配して迎えに来たのだろう。しばらく2人で黙って歩いていたが、勇気を出して先程あったことを話し出した。気がつくと泣きじゃくっていた。母の反応は意外なものだった。えりを叱ったのだ。だから1人で歩いて帰るなんて危ないと思ったのだと激しく叱った。そしてこの事は誰にも言うなと強く言

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【5つの物語】4. あいとダニエル #1

【5つの物語】4. あいとダニエル #1

土曜日の早朝だからだろうか、羽田に向かう電車は乗客もまばらだった。あいは眠気に襲われながらつらつらと考えに浸っていた。この前羽田から飛んだのはいつ何処に行った時だったろうか。そうだ、初めてワシントンD.C.に行ったあの時だ。ワシントンでの忘れられない経験があいの脳裏に蘇ってきた。

出張の目的だった会議を無事に終えた翌朝、あいは早朝にホテルを出て歩き出した。空は晴れ渡りその時期にしては強すぎるほど

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【5つの物語】4. あいとダニエル #2

【5つの物語】4. あいとダニエル #2

あいはしばらくそこから動けなかった。心の底から熱いものが込み上げて来る。それはそれまでの人生で最も感動した瞬間だった。そして本当の感動は静かに訪れるものなのだと思った。

「何を見てるの。」声が聞こえて我に返ったあいが振り向くと、男の子がこちらを不思議そうに見ている。

「ここにね、書いてあるのよ。」

「何て書いてあるの。」

「私には夢があるって書いてあるの。キング牧師って知ってるかしら。その

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