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日本人が「シャイ」という思い込み。

日本に住むまでは、お風呂が嫌いだった。え、と引かずにまず聞いてほしい。

アメリカではどの家にも、いわゆる「バスタブ」というものが一応ついているものの、バスタブとして機能していることは滅多にない。

アメリカの人は一般的に、日々の入浴をシャワーで済ませます。お風呂に浸かる、という習慣がありません。

それに加えて、私が育ったロサンゼルス、南カリフォルニアは雨が降らないため(一つ前の記事をどうぞ)、年がら年中、水不足なのです。わりと深刻な。

小学校の頃、授業で先生に教育されたことがあります。"Take five-minute showers. (シャワーは5分で済ませましょう)"と。

小学校から言われ続けた結果、わりと深刻な水不足は私の細胞に組み込まれてしまっていて、今でも東京で夫が水を流しっぱなしで歯を磨いていたりすると、あっちの部屋から飛んできて止めたくなるほどナーバスになる。

以前つきあっていた日本人の男性は、ふたりきりのアパートだというのに、トイレを何回も何回も「音消し」のために流していて、ドン引きを通り越して喧嘩になったことを覚えている。

そう、カリフォルニアの水不足は、深刻である。

そんな理由と、アメリカのバスタブの構造上、湯船にお湯を溜めて浸かるという行為がなんとも面倒なことから、私はお風呂が嫌いだった。

ホテルでもおなじみの、足は伸ばせるけれど肩まで浸かることができないあのバスタブだ。日本人からしたら、一体あんなバスタブになんの意味があるのだ、と激怒するかもしれない。

しかもシャワーが同じ空間の頭上にあるので、お風呂を楽しむ方法としては...体を洗わずに湯船に浸かった後にお湯を流してシャワーをするか。いや、それ。それしかないわけです。「か」も何もないのです。

アメリカで湯船につかろうとすると、余計なストレスが溜まる。だから私は、日本人のお風呂好きもなんとなく理解ができずにいた。

Humans are creatures of habit. 人間は習慣の動物である。

東京に暮らし、その手軽さと気持ち良さにすっかりお風呂ファンとなった今。我が家にアメリカから家族が泊まりに来ると、私はイキイキと伝えるわけです。

「あのね肩まで浸かれる湯船と、何も気にせず体を洗うスペースがある!しかも「チンチロリン、オフロガワキマシタ」とお姉さんが教えてくれるからお風呂が溢れる心配もない!どう?お風呂入る?」

すると父親も母親も、弟たちも、「いや、シャワーでいいよ」と言う。

もったいなーい、と思うのだが、無理やりお風呂に入れるほどの正義感を私は持たないので、ふーん、とお湯にしっかりと浸かる。

なぜこんな話をしているかというと、台風の今夜、旦那と温泉に来ているからである。日本人の旦那はまぁお風呂を愛する人間です。ふたりにとって久々の休暇は、風と雨が激しく窓ガラスを揺らす中、肩まで(それぞれ)熱いお湯に浸かるというものだ。それが、幸せ。わかるようになりましたよ、日本のみなさん!

そして温泉に来る度に確信するのだが、「日本人はシャイ」という世界の思い込みはどう考えても間違っている。だって。みなさん平気で裸になります。裸で歩き回ります。まわりに友達、家族、誰がいようが気にする様子がありません。

アメリカ人の友達と温泉に行ったら、多分私たちはひとりずつ時間をずらして、誰もいない時間帯を狙って恐る恐る入るだろう。

さぁ、どっちがシャイなのか。Japanese or Americans?

そんなことを考えながら選挙の結果を見る。私は日本にいるんだ、そんなことを実感する日曜日の夜です。

明日から一週間、また頑張りましょうね!

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