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愛されるメディアってなんだろう

仕事をしていて、少しもやもやと思ったことがある。

「愛されるメディアってなんだろう?」ということだ。

この記事は、読んでいて面白い、こんなことができるんだ、知らなかったことを教えてくれる、とても価値のあるものだから、誰かに教えたい。

そんないろいろな気持ちを、あえてひとまとめに「共感」と表現するのならば、「共感を呼ぶ記事」でなければならない。

「共感」を呼ぶ記事を作るにはどうしたらいいだろう?

自分の気持ちがそこにあること

ひとつは、「自分の気持ち」がそこにあることだ。気持ちのこもっていない記事に「共感」はできない。自分の考え、意見、経験から得た気づき、日々のこと。自分の中にある「自分ごと」のものがなければ、自分の気持ちが込められた記事は書けない。

たとえ、共感されなくても、ちょっと違和感のあるものだとしても、自分の言葉で、なにかを伝えようとしている記事は、人の温かさを感じる。だれかの存在を感じることができる。

わくわくする、面白いものであること

面白いこと、わくわくすること、は誰かに話したくなる。話した相手が「そうなんだ!」「すごいね!」と言って笑顔を見せてくれたら、とても嬉しい。だから、シェアしたくなるし、ほかの人にも読んでもらいたい、と思う。

だとしたら、記事の「つまらなさ」はどこから来るのだろう?

「書くこと」も、最低限のスキルは求められる。文章の構成、リズム、話の進むスピード、言葉の選び方。それらをクリアすることで、「読みやすさ」が全く変わってくる。

ウィキペディアを読んで、知識を得ることはあってもシェアしたい、と思うことは少ない。そこには事実しかなくて、わくわくするものはないからだ。かといって、考えだけが並べられた記事もまた、少し不安にさせるかもしれない。特に、健康や時事問題など、その根拠を知りたい場合においては。

「事実」と「考え」のバランス。これも最低限求められるものだ。

あとのところは、結局のところ、どれだけその記事に「熱量」が込められているか、ということだと思う。「好きなこと」について書いている記事なら自然と熱が込められる。それもまた、自分の気持ちが大事になってくる。

メッセージがはっきりしていること

結局、なにがいいたいのかよくわからない、結論があいまいで、伝えたいことが伝わらない記事は、ちょっともったいない。

だれかの日記だったら、そういう文章のほうが好きだ(個人的には)。もやもやすることは、生きていたらいっぱいあるし、そういうのは簡単に結論は出ないし、そのまま吐き出してもいい。

でも、企業が出すメッセージなら、少し話は違ってくる。その会社が社会に対してどんな価値を提供するか、どんな価値を創造するか、という使命がまずあって、それに沿ったかたちでサービスが作られる。

メディアもその価値に沿ったものでなければならないし、ひとつひとつの記事に込められたメッセージも統一されたものでなければならない。

その価値観が、書く人にきちんと共有されていて、伝えたいメッセージがはっきりと分かる記事は、読んでいて気持ちがいい。またここに来れば、この価値観にあった記事が読めるんだな、と思える。

社会にある面倒ごとを無くしたい、この仕事を面白くしたい、ある場所での笑顔を増やしたい、なにかで困っている人を助けたい。
メッセージは共感されやすい、分かりやすいものでいい。そして、自分のサービスやメディアで達成可能なものだと、より良いメッセージになる。

そのメッセージ・価値観に共感してもらえたら、ずっと記事を読んでもらえるファンができる。
その裾野をどんどん広げていって、ようやく「愛されるメディア」になるのではないか、と思っている。

愛されるメディアの条件

・自分の気持ちがこもった「自分ごと」であること

・誰かに話したくなる「わくわく感」があること

・価値観が統一された強い「メッセージ」があること

なにもメディアに限ったことではないし、この枠組み自体は「エンゲージメント」と言われる、流行りの(だけどたぶん理解されづらい)考え方を援用したものだ。メディアの部分は、サービスでも、事業でも、人でも、なんでも言えると思う。

社員からも、読む人からも、愛されるメディアを作りたい。だれかが作ったものじゃなく、自分ごとに思えるもの。形式的じゃなく、気持ちのこもったもの。義理じゃなく、心からシェアしたくなる、そんなメディアじゃないと本当の意味でオウンドメディアとは言えないのではないか。

そういうものを作っていきたいんです、と(現サービスの批判も込めつつ)今週社長にメールした次第です。

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