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個人主義は社会主義であり共産主義.我々は民主主義を許容しシステムに依存する.

今日,日本は1億2000万人を抱える巨大な民主主義国家だ.その国家の中では政治や裁判といったインフラ設備が民主主義の基に存在し複雑に絡み合って直接的に関わっている.

これは周知の事実であり,理解しているかのように思える.しかし全く理解できていないのが現代だと言うことが言えるのだ.

正に合成の誤謬と同じ現象が起こってしまっている.これは何とかして早く解決しなくてはいけない.

その民主主義で理解し受け入れる必要があるのが意思決定速度である.これを理解できていない人たちが政府に決定が遅いと駄々をこねる.何度か見たことがある光景だ.

これは民主主義的にいえば民主主義を否定する人たちと言えるだろう.

民主主義とは先ほども述べたように犯罪を犯せば即刻刑期が決まるわけではなく勾留され裁判を受ける権利が与えられる.

いくら嫌う人間でもこれは剥奪されることはない.剥奪されれば民主主義とは言えない.

しかしこのシステムでは即刻刑期を決めるよりも膨大な時間が必要となってしまう.

しかし誰もが容認しシステムに依存しているはずだ.裁判が1年かかろうが10年かかろうが,それがシステムとして容認している.

このシステムは政治的な意思決定にも同じように言える.政策を決定する際に多くの議論と賛成が必要になる.過半数の賛成を超えないと政策として施行できないくらいなのだから相当な準備が必要となる.

LGBTに関する法案決定も多くのシステムを稼働して施行されたものだ.もしシステムに依存せずに即刻の決定をしたならばそれこそ危険な信号だ.

逆に共産主義国家や社会主義国家は簡単だ.裁判が存在していても政府の一声や金銭的な契約によって即刻の意思決定が可能になる.

もし自分が嫌いな人がいれば直ぐに消すことのできるシステムだ.これと同じ事が民主国家でもできるか?と言われれば答えは必然的に「NO」が出てくるはずだ.

意思決定に関して異論があるのであれば非民主国家に依存すれば良い.無理に民主国家を演じる必要はない.ただし自分が最悪の状況でこの世を去っても異論は唱えられないが.

民主国家とは本来そう言うものであり,段階的なプロセスを踏むことによって確立される.

それを「政府は意思決定が遅い」と言うのは間違った解釈である.民主国家のシステムに依存する限りシステムに依存し意思決定速度を受け入れる必要がある.

それが私たちにとっての「幸福」になっている.

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