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環境の変化や真逆の人の存在は、自分への理解を深めてくれる

「キミは内向的?それとも外向的?」

出会った頃、パートナーは私に訊いてきた。
面白いこと訊くなぁ、と思いつつ、少し考えてから、
「70%くらい外向的で、30%くらい内向的かな?」と答えた。
なぜなら、20代の頃は毎晩のように異業種交流などのイベントに参加し、色んな人たちと出会うことを楽しんでいたから。
そして、一人で海外を旅するのが好きで、旅先では積極的に旅人や地元の人と交流し、世界中に友達ができることを喜びと感じるから。
だから、どちらかと言ったら外向的の割合が多いと自覚していた。

ただ、静かに本を読んだり、一人で思索に耽る時間も大好き。
心許せる大親友たちと少人数(基本的にマンツーマンが好き。最大でも3人までが心地よい)で、「生きるとは?」「幸せとは?」「愛とは?」「自分とは?」などの哲学的なことを語り合うのも、私にとって必要不可欠な時間でもある。
だから、30%くらい内向的かな?と捉えていた。

しかしアメリカに来て数ヶ月がたった今、「実は私はめちゃくちゃ内向的なのではないか?割合としては、90%内向的で10%外向的というくらいなのではないか?」と感じ始めている。
もっとも、「外向的、内向的」というのも絶対的なものではなく、比較や環境によって変わる、相対的なモノかもしれないけれど。
つまり、日本社会の中にいたときの私は外向的度合いが強く、アメリカ社会の中にいる時の私は、内向的度合いの方が強い、というふうに。
その理由は例えば、日本では気が合ったり、興味深いと感じる人たちとたくさん出会えていたから外向的になっていて、アメリカに来てからは言語バリアもあるし、今の身の回りにいる人たち(主にパートナーの友人たち)はまったく気が合わないから、彼らと時間を過ごしたいと思わないので、一人でいる方が楽しいと感じるのかもしれない。
(ちなみにヨーロッパにいたときは、今よりはずっと外向的だったと思う。それは、日本のケースと同じで、ヨーロッパでは私の英語力で問題なく人々と会話できたこと、つまり言語バリアがアメリカより低いこと、それから、なぜかヨーロッパで出会う人たちは、私にとって興味深いと感じる人たちが多かったから)
だから、「外向的か?内向的か?」というのは、居る環境によっても変化するものなのかもしれない。

と、ここで改めて「内向的」「外向的」の定義を調べてみた。

【内向的】興味や関心が自分の内部にばかり向かうさま。
【外向的】興味や関心が外部の物事に向かうさま。

goo辞典より

シンプルかつ簡潔な説明である。
この定義で改めて考えると、やはり私の本質は、かなり内向的かもしれない。
というのは、これも最近感じていることなのだが、「結局私は、私のことが一番好きで、自分に一番興味があるのではないか?」と思うから。
自分に対する興味及び好奇心が、ものすごく強いと、これも(なぜか)アメリカに来てから気づいた。
(もっとも、自覚しているか否かは別として、人間は大体、自分に一番興味がある生き物だと思うけど。集合写真を手にした時、真っ先に自分を探すことからも分かるように)

ただ、私は、自分が興味深いと感じる他者については、ものすごい好奇心と興味、関心を持つ。
おそらく、私の中で自分に対する強い興味関心と、自分にとって面白いと感じる人への強い興味関心は、同じ部分から発生している気がする。
「人間とはなんぞや?」という、人間存在に対する好奇心。探究心。

私は大学で文系の学部を卒業しているのだけど、つい最近まで、「本当は理系に進みたかったけれど、数学が苦手だったから、仕方なく文系に行った」と認識していた。
しかし、超理系で自然科学のバックグラウンドを持つパートナーと会話を重ねる中で、私は消去法で文系に行ったのではなく、人文科学により強い関心があったのだ、と気づいた。
確かに子供の頃、生物学は好きで、「自然は不思議だ・・・」と興味を持っていたし、今でも「この宇宙はどんな仕組みになっているんだろう?」ということに興味はある。
けれど、「今度、火星から●●の分子が発見されるかもしれない。もしそれが発見されたら、宇宙の▲▲の理解が少し進む可能性がある」と言われても、正直「へー」なのだ。そんなことより、この間友達から勧められたポール・オースターの小説か、池田晶子さんの哲学エッセイ読みたいなぁ、と思ってしまう。

彼から自然科学の小難しい話を聞いているとき、だんだん退屈になるように、パートナーにとって、私がする哲学的な話や心理学の話は、眠くしかならないのかも知れない。
そしてこれは、哲学トークが大好物な私にとっては不満であり、「この人との会話、全然楽しくないわ〜」と思ってしまう原因なのかも知れない。

たぶん一番理想的なのは、私は彼から自然科学のことを学び、知見を広め、彼は私から人文科学のことを学び、視野を広げることなのだろう。
実際、彼の自然科学の話は時々、面白いと感じるものもある。
しかしやっぱり本質的には、自然科学より人文科学に、より興味がある。
自分を含めた人間存在に、強い興味があるから。

大きな意味において、人間が外を観察対象とする自然科学は“外向的”で、人間自体を理解しようとする人文科学は“内向的”と言えるのかも?

なんというか、改めて、私とパートナーは、思っている以上に、あらゆる面で全く異なる、真逆の人間なのかもなぁ。

ちなみに、そんなパートナー氏は、自分のことを「とても内向的な人間。たぶん80%内向的で20%外向的かな?」と言っていた。
しかし、どう少なく見積もっても、私より社交的で外向的に見える。
人間というのは、自分のことが一番分からないものである。
そんな、”よく分からない自分”を知る上で、真逆の性質を持つ人の存在は、貴重なのかも知れない。

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