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 年齢の高い芸能人や政治家の失言が話題になることがある。
  その具体的失言例をここに挙げると、このブログの記事自体が問題になりそうなので控えるが、なぜ彼らは失言するのだろう?
 私と同じくらいの年齢の人もいるのだ。
 同じ年代の私が、彼らの言動に「それはまずいだろう」と感じるのに、彼らは感じないのだ。
 だから失言するのだ。

 原因の1つは人権感覚がアップデートされていなからである。
 昭和の感覚のままなのだ。
 では私の感覚はどうなのかというと、少なくとも昭和のままではないと思っている。
 それは、学校現場にいるからというのが理由の1つだろう。
 学校現場にいると、教育委員会からいろいろな研修がおりてくる。
 人権研修もたくさんある。
 その研修を教職員に受けさせて、教職員の人権感覚を最新のものにアップデートさせるのが、教育委員会のねらうところだ。
 教育委員会の研修も、その点ではばかにできない。

 障害のある子
 ひとり親家庭の子
 貧しい家庭の子
 外国人の子
 病気の子

 公立学校にはいろいろな子が通ってくる。
 軽率な言動でそういった子どもたちを傷つけることのないように、教職員は最新の注意を払って接しなければならない。
 だから、今、人権的にどういった言動がOKで、どういった言動がNGなのか、教職員は最新の人権感覚を常に身に付けておかなければならない。

 他の職業で、そのあたりがどうなっているのか、私は知らない。
 同じ公務員である消防士や警察官や役所の職員などにも、そのあたりの研修はなされているのだろうか。
 役所の窓口にはいろいろな事情の人が訪れる。
 その人たちを相手に、役所の職員が言動を1つ間違えれば、たちまち大問題となるだろう。
 だからおそらく人権研修はされているのではないかとは思うが、正確なところは分からない。

 昭和時代なら、しょうがないと見過ごされていたことも、令和の今は違うのだ。
 昭和の感覚と大きく違ったもので、学校で1つ例を挙げれば体罰がそれにあたる。
 実は体罰は、学校教育法11条で禁止されている。
 そしてその学校教育法が制定されたのは1947年である。
 戦後直ぐの昭和22年から体罰は禁止されていたのだ。
 だが現実には体罰は昭和時代行われていた。
 私自身、小学生のときどころか、高校生になってからも、学校の先生からたたかれたのは1度や2度ではない。
 しかし、問題になることはなかった。
 世の中に、そういうものだと容認する空気があったからだ。
「一応、体罰禁止と法律には書かれているけど現実はねえ……。子どもなんてブン殴んなきゃ言うこと聞かないよ」
 誰も彼もそう考えていたからだ。
 まったく何ということだろうか。

 だが、世の中が平成になる頃からだんだん学校は変わった。
 子どもをたたくことは、法律違反であり、犯罪として認識されるようになった。
 今、子どもをたたこうものなら、教員は懲戒免職もありうる。
 令和の感覚から見たら、昭和時代の教員で懲戒免職になる者はいっぱいいただろう。

 先日、昭和の番組を見ていて驚いたことがある。
 正義のヒーローに変身する男性が、「ばかやろう!」と女性の頬をたたくシーンがあったのだ。
 いかなる理由があろうと、人をたたくなんて許されない。
 ましてや、正義の味方に変身する男性が女性をたたくなど、容認されるわけがない。
 令和の今ならぜったいそんな子ども番組は作られない。
 だが、昭和は、ヒーローでさえ体罰をしていた。
 そんな時代だったのだ。

 最初に挙げた、年齢の高い政治家や芸能人は、人を殴っていいと考えていた昭和体罰教員、昭和体罰ヒーローといっしょだ。
 人権感覚をアップデートする機会なく、齢を重ねてしまったのだ。

 性別についての認識も変わってきた。
 21世紀になる頃から、子どもたちのランドセルにはいろいろな色が増えてきた。
 20世紀までは、ランドセルの色は男子は黒、女子は赤となっていた。
 何かに明文化されていたわけではないが、ずっとそうなっていた。
 今から思えば、なんと硬直化した慣習だったのだろうと感じる。

 体操服も変わった。
 女子のブルマと男子の短パンは無くなった。
 女子のブルマは下着と同じである。
 女子は着るのいやだったことだろう。
 男子の短パンも短すぎた。
 はいていて、激しく動くと、はみ出してしまうこともあった。
 男子もまた短パン着用はいやだった。
 今では男女とも膝ぐらいまでのハーフパンツが一般的である。

 水着も、最近の暑すぎる夏を考慮した日焼け防止の意味から、男子にも全身を覆うタイプの水着が広がってきている。
 男子だって、上半身裸がいやな子はいる。
 理由の1つとしては、LGBTがある。
 体は男子だが、心が女子の子にとって、上半身裸にならなければならない水泳の時間は苦痛だろう。
 割合として、学級に1人くらいはLGBTの子がいることが分かっている。
 教員は、それらを常に念頭において日々の授業に臨まなければならない。

 最近の人権感覚アップデートの大きなものは、やはりLGBTへの理解だ。
 昭和のころ、LGBTの人たちをバカにするマンガやテレビ番組はたくさんあった。
 かく言う子ども時代の私の感覚もそうだった。
 今にして思えば、反省することしきりである。

 しかし、LGBTへの理解はここ20年ほどで急速に進んだ。
 今、LGBTの人たちを揶揄するマンガやテレビ番組は見かけない。
 だが、やはり感覚が昭和で止まっている人はいた。
 数年前だったか、昔からいる、年齢が私ぐらいのコメディアンが、LGBTの人を揶揄するようなコントをテレビで披露し、大バッシングを受けたのだ。
「ああ、この人も人権感覚が昭和のままの人なんだな」
と私は思ったものだった。
 昔からいる政治家や芸能人は、もう大物と言われる部類だ。
 周囲の人間でその人たちに意見できる人はいないだろう。
 裸の王様だ。
 そして、昭和感覚のままの言動をとり、バッシングされる。
 さらに問題なのは、バッシングされても、なぜ悪いのか彼らは分からないところである。
 たとえば昭和感覚の教員は、
「体罰? 子どもをたたいてどこが悪いんだ! 愛のムチだ」
と体罰の悪さを全く理解できない。
 昭和で容認されていたんだから、今だって問題無いだろうというわけだ。
 自ら学ぼうとしない限り、彼らの感覚はずっと昭和のまま。
 そして令和の今、問題を起こすのである。

 老害という言葉がある。
 「ろうがい」といえば、昔は「労咳」、結核のことだった。
 しかし、令和の今、「ろうがい」といえば「老害」、老人が及ぼす害悪な言動のことである。
「自分はまだ若い」
「まだまだ若い者には負けない」
「老いた? ほかの人間はともかく自分は違う」
 老害は、自身が老いたことを認めないところから始まる。

 私は2024年4月から役職定年となり一般教員になる。
 いやでも老いたことを自覚させられた。
 「まだまだ若い者には負けない」などとイタいことを言うつもりはない。
 もう還暦であることはしっかりと自覚した上で、人権感覚を常にアップデートさせ、令和の子どもたちを、令和の保護者、教職員たちを傷つけることの無いよう、最新の注意を払って仕事に臨んでいくつもりだ。
 ベテランとしての教員経験を、今の学校の若い人たちに教えてやろうなどという驕った思いはもっていないつもりだ。
 そんな古い経験で、これからの学校に役立つことはおそらくそんなに無い。
 私が一般教員だった若い頃は、インターネットもAIもなかった。
 それが今は、子どもが1人1台、端末を授業で使いこなす時代なのだ。
 新しいことを謙虚に学んでいくつもりである。

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