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「世界一美しい」と称賛される美術館を訪れてみて

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」

 このセリフは長く語り継がれ、使い古され、パロディ化さえしているが、その返答もまた様々であろう。
 
 もし仮に私が誰かに「このパーティーで誰が一番美人/イケメンだと思う?」、と質問されたら、「貴方の理解するところの美人の定義を述べて下さい。判断基準は何ですか?」、と問い返させて頂くであろう。

 身長が一番高い、体重が一番重い、一番金持ち、足が一番速い、等は数値で計測することが可能であるため、ある程度比較が出来る。

 しかし、「美」は果してどのように計測したら良いものか。

 英語にはこのような表現がある。

 Beauty Is in the Eye of the Beholder

 紀元前三世紀頃のギリシャにおいては、既に存在していたコンセプトであるようである。

 「美とはそれを鑑賞する人の目の中にある」、あるいは「何を美と評するかは各々の主観による」、多少わかりやすい比喩は、「たで食う虫も好きずき」となる。

 その他にも似たような言い回しは多くある。

“Beauty is bought by judgement of the eye, Not uttered by base sale of chapmen's tongues”
Shakespeare
美しさは目で判断して買うものであり、口先だけの言葉で発するものではない

“Beauty, like supreme dominion Is but supported by opinion”
Father Benjamin Franklin
美しさとは、最高の支配者のように意見に支えられている

"Beauty in things exists merely in the mind which contemplates them."
David Hume
物事の美しさは、物事を熟考する心の中にのみ存在する

California State University Emeritus & Retired Faculty & Staff Association

 とまあ、長々と細かいことを論じてはみても、「世界一美しい」、と謳われるものに対しては好奇心が生じることは否めない。

 結局は理性よりも煩悩が勝つというということであろうか。

 
 ということで、今回は、「世界一美しい」との誉の高い美術館に関して、少しだけ綴らせて頂くことにした。



 デンマークの郊外に佇むルイジアナ近代美術館のことである。今年五月末のコペンハーゲン滞在の最終日に訪れることにした。
 

 ここを初めて訪れた人には、入り口であるルイジアナ・ハウスのこじんまりとした様相に驚く人もあるそうである。

 この小さい屋敷は、長蛇の列と、ほぼ満車の駐車場から吐き出された人々をどこに吸い込んでいるのか、と私も疑問に感じた。


 
 ところが、そのような疑問は、狭い玄関を抜けたら即座に払拭される。陽光の注ぐ土産コーナーを抜け、そのまま建物から出ると、そこには広大な庭園が広がっている。そしてその庭園をさらに進むと、カテガット海峡が視界に飛び込んでくる。

 この近くの町から、対岸の国、スウェーデンのヘルシンボリ市へ向かうカーフェリーが出ているが、今回は、行きと同じルート、すなわち橋を通ってスウェーデンへ戻ることにした。

  デンマークとスウェーデン、同じ北欧ではあるが、仲が良いのか悪いのかは、甚だ把握出来ない。言語は、文語にした場合は相似しているのであるが、デンマーク語の発音は非常に難解である(私にとっては)。デンマーク人とスウェーデン人は、それぞれお互いの言語を用いて辛うじて会話が出来ているようである。


このふかふかの緑の絨毯の上で、裸足になって転がり落ちたいほどの勾配である。


カテガット海峡


説明は見つからなかったがこちらもアートである。自分が立つ位置に依って映り方が変わり面白い


こちらも庭園の中にあった不思議なオブジェ


こちらはジェコメッティのギャラリー。池から歩いてくる男性、前進を示唆しているということであるが、この部屋と窓からの景観、彫刻、それ自体が一体となっているアートということである


展望室に設置してあった飛び込み台、ここから窓下のカテガット海峡に飛び込めると思いきや、


着水するにはかなり距離がある。さらに、海は遠浅に見える。よほど勢いを付けて飛び込まなければ無理であろう、と真剣に考えながら注意書きを読んでみる。「触るな」、と書かれている。すなわち、飛び込み台自体がアートであった


CESÁR, FRANCE 1921-1998, LE GRAND POUSE (The Big Thumb) 1968。

 
 セザール・バルダッチーニ(通称セザール)先生は、20世紀後半に活躍したフランスの彫刻家、および現代美術家。人体の一部を型にとり拡大した彫刻、さらに、自動車をプレス機で圧縮した彫刻作品で著名。

  人体の一部を表現したアートとしては、他にも、様々な色形をした多くの人の腿の模型を天井を吊るしたアートも展示されていた(Mother's legs by Kaari Upson)。


自らが体験出来るアートとしては、見つけた限りでは、こちらの部屋と草間弥生先生のインスタレーションが設置されていた。この部屋に入ると自分の姿が、下へ下へと何重にも連なり続く。一体何体になったのであろうか。高所が苦手な人は少し緊張するかもしれない。


 草間弥生先生のインスタレーションに関する説明と写真。


自然と一体になった窓自体がアートであると表現される廊下、眩しかったためかブラインドが下ろされていた


SONIA DELAUNAY

 
 アバンギャルド、コンテンポラリーアート、モダニズムと形容されるソニア・ドローネ先生の作品コーナー、衣装デザイン、抽象絵画のコーナーも非常に人気があった。



 「この美術館内は撮影禁止」と記しているブログ等を多く見掛けたが、当該美術館の案内に依ると、基本的に撮影は許可されている。但し、「展示室に依っては撮影が禁止されている室もある」、と断り書きがあった。

  私が訪問した時は、撮影禁止のサインは見つけられなかったが、念の為、私が鑑賞した一部に関しては関連サイトを貼らせて頂くのみとする。

 
 ドイツのゲルハルト・リヒター先生。現在、「ドイツ最高峰の画家」と呼ばれている。

   展示されていたものは、廊下の壁一面を覆う何本もの横線のものであり、圧巻であった。


 
 ドロシー・イアンノーネ先生、アメリカのビジュアル・アーティスト。女性のセクシュアリティと「恍惚の団結」を描いていると言う。館内を通して一番、目に付いた絵画であった。この方の展示室では、どちらの方向を向いても、裸体、性器をあからさまに描いた絵画が並んでいた。


 個人的に一番趣向に合ったものは、日本の森万里子先生の、ほぼ等身大のプラズマ・ストーンである。館内で様々な色に照らされたプラズマ・ストーンはその都度、異なる色彩を表現し、多くの人を魅了していた。



 「で、結局、その美術館は世界一美しかったの?」

 と問われたら、

 やはり、「私にはわからない」、と返答する。

 世界中の美術館を訪問したわけでもなく、冒頭に長々と論じさせて頂いたように、「美しい」の定義と基準が不明瞭であるからである。

 有名なルーブル美術館もオルセー美術館も訪れてみた。人並みにモナリザ像の前でセルフィーを撮ったりもした。

 仮に、「ルーブル美術館には無く、ルイジアナ近代美術館にあるものは何か」、と訊ねられた場合は、このように返答が可能である。

 「ふかふかの芝生の上に腰掛けながら、真っ蒼な海を背景にして寛ぐ人たちの笑顔だ」


 この空間では、館外で起きている諸々の憂慮から、しばしの間解放されることが出来た。

 



 昼食を隣の町でとろうと予定していたため、昼頃には美術館を出ようと出口近くまで行った。その時に気が付いた、まだ鑑賞していない展示室がいくつも残っていたことに。

 こじんまりとした屋敷の玄関に騙されがちであるが、展示物の数と種類は実に豊富である。芸術鑑賞に疲れたら外に出て休む、あるいは風光明媚なカフェにて腹ごしらえをして、再び鑑賞を続けても良い。


As Long as the Sun Lasts, Alex Da Corte

 
 最後は、10月までの展示物「太陽が続く限り」の鳥さんに投げキスをして、美術館に別れを告げる。

 10月が過ぎ去ったら鳥さんは居なくなっているであろうが、その頃には秋の紅葉がこの美術館の装いを変化させていることと想像される。


ご訪問を下さり有難う御座いました。

 この美術館のルイジアナという名前の由来は、最初の持ち主が結婚した三名の奥方の名前がいずれもルイーズであった、だということです。

 私は、ルイジアナの名前を耳にすると、ニュー・オーリンズのジャズの夕べを追憶致します。ハリケーン・カタリーナ号に破壊される前に訪れたニュー・オーリンズです。

 Tom Waitsの名曲、「I wish I was in New Orleans」はカタリーナ号上陸以前に書かれたものですが、この動画には、洪水による甚大な被害が写真にて語られています。

 
 
 日本からも、最近は水に関連する被害のニュースが頻繁に飛び込んできます。皆様、行楽にお出掛けの時には、気象情報をマメに確認し、お気を付けになられて下さい。

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