こじらせる誇らしさ。
私はだいぶこじらせていると思うけれども、全然まったく完全にこじらせが足りてない、何ひとつこじらせてないようにすら思うし、こじらせてるなんてそんな立派な言葉は私に相応しくない、こじらせとはもっと尊いものであるべきなのだ。
こじらせ女子の教祖、と私が想う人、雨宮まみさん。事実、『こじらせ女子』を新語、流行語にした作家である。命がけでこじらせ、こじらせを生業とし、官能の世界も見事に魅せるライターだった。こじらせればこじらせるほど、憎悪貯金が満期になって溢れ出す自伝的エッセイは文豪としか思えない。
この場を信頼して恐れずに言うと、彼女は40歳で今世を終えている。7年前の40歳。そして今、エッセイ集の発売となった。彼女に心寄り添う方々の特別寄稿を読んでみても、このクライマックスに向かって毎日を舞台劇のように生きていたんじゃないかと思う。
ずっと死について考えて、その前提で毎日をどう生きてきたのか。ここには赤裸々以上の生々しさに、R指定の映画を観ている感覚があった。描写は美しいし、特筆されたエログロも全くないけれど、こんなに人間の心理に悲鳴と残酷さがあることを知ってしまったら、表現できなかったことを見つけて強烈に安心したとしたら、その一歩を踏み出して救われたいと願う気持ちが生まれるだろう。
雨宮まみさんのクライマックスは、作品になったように思う。そしてまた何度も何度も書くためにこの世に戻ってくる気がする。ご冥福をお祈りするとともに、過去作品の旅に出ようとおもいます。
追伸
本書にある、意を決した撮影の話がとても好きでした。雨宮まみさんの想いも、感じたことや、終始のエピソードも。カメラマンはあの写真家さんでしょうか?
喜びます、ありがとうございます。