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雑感記録(215)

【掌で踊る】


僕は掌で踊らされていた。

これは紛れもない事実であり、その事実を知ったのはつい昨日。正直物凄く腹立たしかった訳だが、自分にも落ち度があるのではないかと考えることにした。しかし、何というか僕は図らずも「卑怯」という言葉が浮かんだ。それは僕に対してではなく相手に対して。後出しジャンケンみたいなもので、既に僕が負けていることは判明した状態で2,3日宙吊りになっていた。僕はそこまで心象的にマゾヒストではない。お断りしておこう。


事の経緯を話そう。

過去に僕は「マッチングアプリのヘビーユーザーです」みたいなことを記録として残した。

相も変わらず、アプリをスワイプ、スワイプしまくっていた訳だ。馬鹿の1つ覚えみたいに、アホ面しながら手だけ動かしてた訳だ。それでたまたま無事にマッチした。「数打てば当たる」とはよく言ったもんだが、しかしだとしてもやはり無暗矢鱈に「いいね」をするなぞ勿体ない上に、至極当然だが相手側に失礼な訳だ。自分が「いいね」するからには責任は持ちたい。そうだな、自分で先に書いたことを訂正しよう。「馬鹿の1つ覚えのようにスワイプするが、きちんとプロフィールを読み吟味してスワイプする」ということだ。

それでマッチした人とやり取りをした訳だ。

別に話の内容は至って普通だった。好きなことは…とか、趣味は…とか。もう履歴なぞ向うから消し去られたので定かではないが、まあそんなような話をしていた。それで、1つ気になったのが、相手もそれなりにマッチングアプリを使用していて、これはあるあるな訳だが、「アプリに疲弊してしまう」ということである。僕も経験したことあるし、というよりも日々何だかんだで悶々として利用している。本当なら僕だってこんなアプリなぞ使いたくない。そういった所でお互いの共通認識があった(と僕はこの段階では感じていた訳なのだが…)。

色々やり取りする中で、「まあ軽くお茶でもしばきましょう」みたいな話になった。僕は「じゃここで」と自身の好きな喫茶店を指定した。後で判明した話だが、かなりここまで来るのに距離があり、時間を掛けてそこまで来てもらったことにはどこか申し訳なさを感じていた。お互いに日程を調整し、集合場所と時間を設定して当日を迎えることになる。

雲1つない快晴とはこういう日を言うのだろう。

僕は、まあ、これも過去の記録で書いているが、大体待ち合わせ時間の20分ぐらい前には居るようにしている。当日もいつもの如く、早めに来て煙草を蒸かし、トイレに行き、準備万端で相手が来るのを待った。いつ何時でもそうだが、見知らぬ人と会うのは緊張する。特に今後にまで続く関係性を築ける可能性があるという場合は余計にプレッシャーを感じる。段々と腹が痛くなってくる。音楽を聞きながら気を紛らす。

集合時間になり、何とか無事に初対面。純粋に「ああ、可愛らしい人だな」と思った。やはり文面での会話と対面での会話というのは全然違う。それはそうだ。相手の声や身振り手振り、何より表情が直で見られるのはやはり大きい部分である。その人のことをより知りたければ、そういった言語以外の部分での要素も十分に重要になってくる。言葉は意匠である。

カフェに着いて、まあ色々な話をした。

僕はどう見えているか知ったことではないが、文面と対面だと相当人間性が乖離しているらしい。対面だとまあ、よく話してしまう。多分、止められなかったら延々と話している。しかも、緊張も相まってか、色々とベラベラベラと話してしまった。今振り返ってみると、些か相手に礼を欠いた行為だと反省するばかりである。自分だけが話して自分だけが悦に浸っているのは、ただの自己満足に過ぎない。こうして対話することで自分の弱点が鮮明になる。そういう点では良かったのかもしれない。

仕事の話したり、気になっていること聞いたり、まあ内容は色々である。お茶しながら1時間ぐらいだったか。時間もわりと早めの集合にしたもんで、結構時間があったのでお店を後にして、別の場所に繰り出すことにした。電車に乗り照り付ける太陽を背中に僕は微睡みの中で目的地に着くことを夢見ていた。

目的地に着いてとにかく歩いた。

僕が散歩が好きだという話は伝えてあった。お互いに話をしながら歩いていく。何を話したかは書かない。後に再び書くことになるだろうが、何について話をしたか書いたところで意味などないのだから。この関係性は既に雲散霧消していて、あのことは実は存在しなかった空白の1日に僕はしたいのである。忘れる為に書くのだから。

しかし、まあ、ここでも僕の悪い癖というか…。話し方は何かふざけているのに、話すことが雑感記録に書いてある馬鹿みたいなことばかり話す。それに色々と話したくてまたもやベラベラベラ話す。でも、何というか、これは身勝手な考え方かもしれないが、普段全く話していない僕は2週間分ぐらいの会話をした感じで悦に浸っていたのかもしれない。話せれば満足、という考えだったのかもしれない。今考えてみるとね。その時は純粋に愉しくて「この人良いな…」って思っていた訳だけど。

それで僕はね、個人的にだけれども「ああ、何か一緒にいると愉しいな」と思っていた訳だ。「次も会えたらいいな…」と思ったんだ。それで、そろそろ帰るとなった時に僕は意を決してね「LINE交換しましょ」って言った訳です。この「LINE交換しましょう」と言う言葉は文面で表現すると如何にもドライな印象がするが、実際こういう場面だと何というか躍動感を持った言葉となる。この短い言葉には勇気と覚悟がいる。そして、これが後のこの話のミソになる。

もし、「いやちょっとごめんなさい」みたいな感じで言われたら、それはつまり「もう貴方とは会いたくありません」ということを暗に示していることになる。逆に「良いですよ」という場合は様々な含みを持った許可となる。今後を見据えて…という人も居るだろうし、やり取りする中で再度評価する…という人も居るだろうし。ただ確実に言えることは、そこで何かやらかさなければ「良いですよ」と許可を貰えたらあまり落ちることは無い。

まあ、例えばね、何通かやり取りして、実際に会っていく中で「あ、やっぱり違うな」ということで所謂「自然消滅」だって当然にある訳だ。ちなみに僕はそれを何回も経験している訳だが。気が付いたらブロックされているパターンだ。ある意味で僕は清々しくて良いと思っている訳だが、やられた身としては少しは傷つくものがある。中には丁寧に「ごめんなさい」とか「これこれこういう理由で続けられません」って送って終わってくれる人も居る。そういう人には本当に頭が上がらない思いである。

それで、話を戻す訳だが。

僕が「LINE交換しましょ」と言ったら「良いですよ」と返答が来た訳だ。僕は安堵した。やはり僕も男なので、「いや、ごめんなさい」とか言われたらそれなりにショックな訳だ。だから僕は凄く嬉しかった。歩きながらLINEを交換して「おお、良かった…」と何だか一仕事終えたような、やっと1ステップをクリアした!と感慨深い訳だ。

その後、駅で別れ別々に帰った。


さて、ここまでが核心に迫るまでの前段階。ここからこの話のスタート地点に立つ。

帰りの電車の中で僕はお礼のLINEを早速送った。これは人間として大事なことである。一緒に時間を過ごしてくれたことに対する感謝。これを忘れてはならない。なぜならば時間は元には戻らない。その時間は過ぎた物としてカウントされる。そのお礼は当然にしてしかるべきものである。「今日は1日ありがとうございました」とメッセージを送る。返信あり。とにかく返信が来るだけでもまあ、こちらとしては有難い訳だが。

LINEを交換する時に僕は聞いた。「LINEとかの頻度ってどのくらいが良いですか?」と。実はこれ結構大事なことで、相手のペースもあるし当然自分のペースもある訳だ。僕は前職のお陰かあるいはせいであるかは分からないが、極端にレスポンスが速い。メッセージを見たらすぐ返す人間だ。前職では休日も普通にプライベートの携帯電話の番号も教えていたので普通に連絡が来る。それですぐに取る癖がついてしまったのである。だから僕が来たメッセージに対してすぐレスポンスするとして、相手があんまりLINEとか得意でないという場合、僕のせいでプレッシャーを掛けてしまう訳だ。それは相手の精神上悪い事である訳だから避けたい。

聞けば、「1日1回ぐらいが理想」という話だった。なるほど、じゃあすぐにメッセージを送るのは良くないかなと思った。

実は、会っている時に「今度、一緒に神保町へ行きましょうよ」という話をしていた。相手も本心の所は僕も知る由もない訳だが「行きましょう」と言っていた。今考えれば本心ではなかったと思うのだが、まあそんなことはどうでもいい。そういうことを話していたので、次の日程を組むかと思い「空いてる予定とかありますか?」とメッセージを送ろうと画策した。しかし、先にも書いた通り「1日1回」だと言っていたので、2日ぐらい明けてメッセージを送った。それが昨日の出来事である。

僕はめちゃくちゃ丁寧に、もうビジネス文書みたいな感じでお伺いを立てた。「一緒に行きたいので、日程調整させて頂きたく連絡してます…云々」「ご都合の良い日教えてください…云々」そういったような文言で送った。しばし返信を待つ。その間に家事を済ませ、「そうだ、アマプラで『タイタニック』見よう」と思い、見始めてしばらくして返信が来る。

僕は内心ドキドキだった訳だけど、何となく薄々「多分無理だろうな」っていうのは感じていた。大概、LINEでのやり取りが順調に進む時と言うのはお互いがお互いに交互にメッセージをやり取りしている場合が多い。しばしば「追いLINE」などが問題視される。特に男性側からの「追いLINE」らしいのだが、何故「男性側」と決めつけられているのか承服しかねるところではあるのだが。まあ、いいや。それをやってしまった訳だ。

それで、返って来た返信を見て、何だか腹立たしく感じた。

結論から言うと「お前は無理だ、すまん」ということだ。まあ、別にそれ自体は慣れっこだし、全然構わない。だが、その文章を見て何だか凄い腹立たしかった。少しその内容を僕の受け取った形で箇条書きにする。まあ、当然に僕が一応は受け取った文章だから、僕の受け取り方もある種の正解ではある訳だ。本来の文章はLINEブロックしたのでよく知らない。思い出したくもない訳だが。
・何か話してて友達みたい。別に友達はここでは必要ない。
・あんたはどうか知らないけれども、私は恋人を探すためにやってるんです!真剣なんです!
・時間無駄にしたくないんです!

とまあ、僕風の翻訳にすると大意はこんな感じである。確か丁寧に書いてあったと思うが、言いたいことは要するにこれだろというところを抽出した。


まず以て、僕は反駁したい。大いに反駁したい。

「話していて友達みたい」って何?たった1回でそう標定される意味が本当によく分からなくて。毎回毎回、この手のことを言われるんだけれども、僕は未だによく分からない。友達だと思ったから、「じゃあ、その1回限りでお前は友達だ。恋人として絶対見れないから。」って標定されるのは納得いかん。それに貴方は「自分のペースでゆっくりやる」みたいなことを話していたが、ゆっくりもクソもあったものではない。たった1回じゃないか。どこがゆっくりなんだ。

大前提としてね、こちとら真剣にやってる訳で、そもそも真剣にやってなかったらメッセージなんてしないし、ハッキリ言って会うなんてしない。何だかふざけてやってるみたいに思われているらしいが、そんな気持ちは1ミリもない。それなりに真剣にはやっている。僕個人のあれだが、真剣じゃなきゃ飯なんて奢らない。

それにだ、会って「あ、コイツ会わねえな」とそう思ったんなら「LINEを交換する」という思わせぶりな態度を取るんじゃない。あそこで「いや、ごめんなさい」とハッキリと言われた方が何千倍もマシ。何故、中途半端にそこで「良いですよ」と返事したんだ。あなたの方が本当に真剣なの?と聞きたいが、まあ別にいいや。もう聞けないし。そのせいで僕は悶々とした時間を過ごして貴方に対する想像力を働かせ続けた訳だがそれも徒労に終わってしまった訳だ。

あとね、1番腹立たしかったのは「時間の無駄」って言ったことね。多分、厳密には「時間を無駄にさせてしまってすみません」という文言だった訳だが、これほどまでに馬鹿にされたことは無いなと思った。「無駄にさせてしまってすみません」と僕に対して言うということは、それを言った本人はその時間を少なくとも「無駄な時間」と認識してこう言った訳でしょう?僕は一緒に居て僕は少なくとも真剣に向き合っていて、その時間を愉しいと思ったのは事実な訳で、それを「無駄」という言葉でバッサリ切られるのは腹が立つ。想い出にも浸らせてくれないのか。

まあ、もういいや。終わったことでぐちぐち言うのはこれでお終いにしよう。普段ならあんまりここまで腹立たしく思うことは無いんだけど、今回の場合は何だか悪意のある掌の上で転がされている感じがして後味が非常に悪い。というよりも、僕が馬鹿にされてコケにされて、最終的に「お前マジで無駄」と言われたのである。相手にそういうつもりが無くても、最後の文面はそれを顕著に示したものだと思う。


こんな書き方をすると、まあ当然の如く「いや、違う」と言う人間が少なくともいる訳だ。相手にも相手なりの事情があった。相手だって真剣だからこそとか。何か女性を擁護しようとする動きが働く。確かにそうである。女性も男性を選ぶ権利はある訳だし、あまりこういう話題を出したくないが子供を産み育てるともなると時間的な制約がある訳で、生半可な気持ちでやっていられないだろう。彼女にも恐らくそういった事情があったということは容易に推察できる。しかし、それにしてもやっぱり、マッチングアプリとそれに付随する環境って卑怯だなって思う。

大抵、こういうものに関して調べると「体験談」と称してクソ男のエピソードが語られることが多い。当然に、クソみたいな男はこういう僕も含めている訳だ。しかし、あまりにも女性目線で描かれていやしないか。あたかも男性全てが悪いですみたいな感じがする。そう考えると、マッチングアプリ市場に於いては、「男性」であることがすでにアドバンテージなのである。負け組である。

だから、本当にやる意味って何だろうと昨日ずっと考え、人と連絡を取るタイプのSNSから距離を置こうと決めた。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

本心で言えば、こんな事なぞ書きたくない。しかし、今回ばかりに限っては余りにも個人的に後味が悪すぎたので書かせてもらった。だが、ここでしっかりと断わりを入れておきたいのだが、僕にだって落ち度は確かにあった。問題はその切り方、去り際に僕は難を付けたいということ。それだけである。この記録で供養しよう。忘れるように努めよう。

書いたら幾分スッキリした。よしなに。






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