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雑感記録(227)

【生命の荘厳さ】


人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

谷川俊太郎「生きる」『うつむく青年』
(サンリオ 1989年)P.120

金曜日、テレワーク後に僕は実家に戻った。個人的な所用があった訳だが、その流れで姪っ子に会うことになっていた。テレワーク後、身支度を整え東京駅へ向かう。金曜日ということもあり、東京駅は混雑を極めた。僕は早め早めに行動する質なので、僕が乗車する時間の20分前にはホームに居た。しかし、少し早すぎたのか、人の波に呑まれてしまう。今か今かと電車が来るのが待ち遠しかった。

何とか混雑を耐え抜き、到着した電車にそそくさと乗り込む。特急だと不思議なもので、自身の隣に人が座られることに抵抗感を感じる。普通電車であれば全く以て気にならないのだが、特急は物凄く気になってしまうのである。「隣に誰も乗るな」と祈った訳だが、そんな祈りも虚しく新宿駅でビールを片手に持った若めのサラリーマンが座った。「うわ、最悪だな…」と思ったが仕方がない。我慢だ。我慢。

そうして揺られること1時間と50分。無事に甲府に辿り着く。電車を降りるのだが、どう表現すればいいのか分からないが、どことなく空気感が違う。東京都と比べて人が居ないとか、空気が綺麗とか、明るくないとかそんな単純な話ではない。自分の身の周りを覆う何かが変わる感覚。ねっとりとした粘着質のある液体に浸されている感じだ。でも、嫌な感じは一切しない。寧ろその生ぬるさみたいなものに快楽さえ感じる。自分でもよく分からない。

父親が近くまで迎えに来てくれた。車に乗り込み実家へと向かう。移動で疲れてしまったのか、すぐに風呂に入り猫と戯れ眠りにつく。


土曜日。いよいよこの日、姪っ子との初対面だ。13:00からとの予定だったので午前中は時間があった。どうしようかなと思いながら朝飯を食べていた。1本の電話。中学の時の友人からだ。実は最近、僕の周りは出産ラッシュである。非常にめでたいことだ。それで地元に居る時にいつも遊んでいた友人が出産した。その友人と会いに行くからもし時間があれば一緒に行くかという誘いだった。

電話をくれた友人にお願いして連れて行って貰うことにした。急いで支度をして指定した待ち合わせ場所のコンビニに向かう。自分の姪っ子にはプレゼント…といっても本だが、それを持って来ていた。急な誘いだったので僕は手土産も何も持たずに行くのは非常によろしくない!と思い友人には本当に申し訳なかったがお菓子を見繕った。そして家に置いてあった僕の好きな詩集を渡すことにした。

僕はこの詩集が大好きだ。それは『生きる』という詩が掲載されていることが1番大きい訳だ。この『生きる』という詩の良さについては過去の記録で書いた。それを参照して貰えるといいのだが、これは正しく僕から贈るべき言葉だと思い手に取った。詩の全文についてもこちらの記録にあるのでぜひ読んで頂きたい。

車で揺られること30分、友人宅に着いた。凄く自然が豊かな場所で静かな所だ。僕も将来的に隠居するならここが良いなと思った訳だが、今回は関係ないので書くことはしない。僕は本当に急に来てしまったものだから、何だか申し訳ないとも思いつつも温かく迎え入れてくれたことに安堵したし、何より嬉しかった。

それで部屋に入って、友人の赤ちゃんを見た。

何だか不思議な感情だった。何というか、そこには小さくて、だけれども非常に大きな力を感じた。何か圧倒される感じだ。僕はその波にやられた。そして同時に「生命の美しさ」みたいなものを感じた。いや、これは何も大袈裟に言っている訳ではなくて、本気で言っている。そこに寝ている赤ちゃんは大人しく寝ている。時々、寝息や身体が動くのだけれども、それが小さいようでいて大きい。僕が小さい人間のような感覚だった。

何だか自分が凄く極小な人間で見下ろしていることに僕は違和感を感じる。そこに居るということだけで尊い何か。これもどう表現したらいいのか分からない。言葉に出来ないのがもどかしい訳だが、エネルギーの流れを感じた。ということをふと頭の中で言語化した時に坂本龍一のenergy flowが頭の中をぐるぐると流れ始める。

僕は「これだ!」と思った。言葉で表現するのが難しくモヤモヤしている頭の中で延々と流れ続ける。こういう時に音楽があって良かったと思った。僕の言葉では表現し得ない感動がここにはあった。

「最初ね、「母性」ってなんだそれって思ってたけど、今は何か凄く分かる気がするの。こう…ぶぅわぁっ!とね…。」

歓談する中で友人が放った言葉だ。僕はこの言葉が凄く響いたし、重いなと思った。それと同時にちょっとした嬉しさも感じた。はたまたちょっとした寂しさも感じた。あらゆる感情が僕の中で渦巻いていた。中学生の時に仲良くしていた友人が1人の女性から、結婚して奥さんになって、そしてめでたく「親」になったのだ。学生時代の頃を知っているからこそ何だか感慨深いし、その時間の流れに感動した。純粋に嬉しかった。だけれども、それと同時に僕は随分と置いて行かれてしまったなと少し寂しくもなる。

これは過去の記録でも書いたが、僕の時間から零れ落ちた時間。それが眼の前でこうして突き付けられている感じがした。僕はまだ学生時代の、愉しかったあの頃に僕は未だに固執しているのだ。それが良いことか悪いことかは僕には分からない。でも確実に1つ言えることは、僕はそこで零れ落ちた時間を看取できたからこそ、何となくだけど前に進める力を貰った気がするのである。これも何度も書いているが「後ろに進むことで前に進もうとしている」ということである。

その後、しばらく歓談し、友人の自宅を後にした。再び当初の待ち合わせのコンビニに降ろしてもらい自宅へ戻った。


自宅へ戻り、姪っ子が来るまで自身の部屋に戻る。坂本龍一のenergy flowを大音量で流しながら天井を見つめる。やっぱりあの時に感じた感動はこれだと思いながら自身の中で納得しながら聞く。あの漲る力。居るだけで発せられる力。そしてそれは塊ではなくて流動的で、あらゆる力がその空間を充満する。正しくこの曲だ。

太陽の光が僕を温める。心地が良い。こういう幸せな日もあって良いものなのかと思いながら天井を眺め続ける。しかし、気が付けば寝ていた。母親が部屋に入ってきて「来たよ!降りてきて!」と言われボーっとした状態で階下へ向かう。兄と兄嫁にそそくさと挨拶してプレゼントを渡す。彼らはすぐに姪っ子を両親に預けて出掛けて行った。自宅に残されたのは僕と両親と姪っ子だ。何だか不思議な空間だった。

眼の前に寝ている姪っ子を見て不思議だった。可愛いことには可愛い。確かに可愛いのだが、同時に恐怖を感じてしまった。いや、むしろ恐怖の方が大きかった気がする。それは生に対する恐怖。特に血が繋がっているともなると更にそれが増す。

僕は別に真っ当な人間じゃない。こうしてnoteに毎日変なことばかり書いているし、タバコも吸うし、何と言うか汚辱にまみれた人間である訳だ。そんな僕が今こうして無責任に自分の姪っ子に対峙して良いのかと不安になる。その清廉潔白さとでも言うのか、純粋さに僕はただ押し黙ることしか出来なかった。その安らかに眠っている顔を見ると何だか本当に今こうして存在している自分自身の何も出来なさに圧倒されるばかりである。

突然手が動く。僕は触れたいと思った。少し触れた。

温かいと思った。生の温かさ。命の温み。何だかよく分からない感情がブワッと一気に押し寄せる。僕の人差し指を握る。その力はか弱い。だが僕には何トンもの力で握られているかのように痛かった。人は圧倒的な美しさを前にした時、本当にどうして良いか分からなくなる。頭の中は大混乱である。様々な感情がぐるぐる目まぐるしくとっかえひっかえに押寄せる。そして最終的に行きつく先は恐怖と裏腹の幸福であった。

「抱っこしていいよ」と言われたけれども僕にはそれが出来なかった。正直に言えば僕には抱っこする程の人間ではない。そこまで立派な人間ではない。圧倒的な生の力、圧倒的な生の美しさ。これを僕の手では受け止めきれない。しかし、そんなことを言っても「は?」となる訳だから「いや、首がまだ据わってないから…」と何とも卑怯な理由で僕は退けた。ただの言い訳にしか過ぎないが、僕には手に負えないその生の重みに耐えうる程の力はなかった。

その後、僕は所用で外出した。所用から帰宅すると姪っ子は自宅へ戻っていた。僕は少し安堵した。あれ以上、あの美しさを目の前にしていたら多分、僕はもう発狂していたに違いない。


日曜日、今日はゆっくりしようと思ったのだが兄からお願いされた大仕事をこなす。それは「命名書」を書くというものだった。

僕は幼稚園から中学まで一応それなりに書道をやって来た人間なので、それなりに心得はある訳だ。そもそも僕が書いていいものなのかよく分からないが、「書いてくれ」と頼まれたら書かない訳にはいかない。叔父さんになって初の大仕事である。朝から文房具屋に行き、墨と筆、命名書を購入する。自宅に戻り早速取り掛かる。

前職に居る時から香典袋などに名前を沢山書いてきた人間なのでこういうものは慣れっこだった訳だが、これについては物凄く緊張した。半紙にただひたすら練習をする。「いい名前だな」と思いながら字を書き続ける。バランスが上手く取れなくて個人的には中々納得いくものが出来なくてウンウン唸りながら書いていた。両親はそれを見て一言。「字のうまさも大事かもしれないけれど1番は気持ちでしょ。」と。

何だか余計にプレッシャーを掛けられてしまった訳だ。集中して練習を続ける。そしていよいよ本番。不思議なもんで書き上げる時にはさらさらッと書く方が意外と上手く書けるものである。力を抜いて流れるように書けると大概、自分も含め他の人も納得のいくような文字が書ける。再びenergy flowが僕の頭の中を流れる。「あ、これいけるな」と思いイッキに書き上げる。

自分でも納得できる字を書けた。渾身の字だったと思う。というよりも、名前を書くだけなのにここまで緊張した瞬間は多分これまでに経験したことは無かった。そして何よりも安堵した。これで叔父さんの初仕事は無事に達成できた。

そうして仕事を終え、午後東京に戻った。


充実した2日間だった。

よしなに。



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