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雑感記録(250)

【定期的自己フィードバック「2」】


大概、どの映画もかどうかは分からないけれども、シリーズものの映画だと「2」を頂点としそこから没落するようなイメージがある。例えば『Back To The Future』なんか正しくそれだと思うし、『ターミネーター』もそうだと思う。『Star Wars』だって言ってしまえば、今ではエピソード456となっている訳だが、ファントムメナスが公開される以前は今で言うところの456が123だった訳だ。そう考えてみてもやはりシリーズものの「2」というのは何か特別感があるように思う。

大切なのでもう1度言うが、大概シリーズものの「2」が頂点であり、その後は没落していくに過ぎない。その速度に差異はあるけれども、段々と落ちて行ってしまうのは必然のことだと思う。

とハードルを上げておいてのスタートである。

さて、再び『定期的自己フィードバック』と称して自己の記録の振返りをしようと思う。過去に1度だけ書いている訳だが、随分と前に書いている。あの頃と言ってもそれ程の時間が経過している訳ではない。しかし、現にこうして250個程度の記録を残している。言ってしまえばストックが溜まった訳で、その中で自身の思考の変遷というか、興味関心も移ろいを見せている訳である。それを今1度振り返ってみようという、ただそれだけの話である。

ちなみに、過去の『定期的自己フィードバック』はこちら。

随分と遠くまで来てしまったなあ…。


環境が変わると人間、意外と考えることも変わってくるものである。これは友人に言われて気付かされたのだが、今まで僕は実家で生活していた。ところが、東京に来て1人暮らしを始め、尚且つ仕事が変わったこともあり、自分自身に考える余裕が出来たとは思う。それは何でもいい。例えば日常の些細なことや、取るに足らないこと、あるいは自分自身の好きなことに関してのべつ幕無しに語り散らかしている。

東京に来て1発目の記録がこれである。

今、自分自身でこの記録を読み返してみて、正直恥ずかしい。いや、まあ思っていることは事実なんだけれども…。入社して半年が経過する訳で、4月から新しい業務を任されることになった。実はヒイヒイ言いながら何とか食らい付いている状況である。来週からはもっとハードになるらしい。だが、不思議と「いや。銀行に居た時の方が多分何倍もしんどかったな。」と思いながら働いている。それが良いか悪いかは置いておくにしろ、とにかく僕は元気にやっています。

実際、東京に出てきてから1人時間を謳歌している。東京に来たての頃は「明日はどこ行こうかな」と期待に胸を膨らませて、ワクワクしていた。それに、何よりあの!神保町で!働ける日が来るなんて!!という嬉しさもあって、所謂「上京ハイ」みたいな感じだったのだと思う。大学生ならそれでもまだ全然良いと思うが、僕はもう社会人で働いて飯を食っていかなきゃならないのだ。甘い事ばかりは言っていられない。

だが、事実として文化的生活は向上の一途を辿っており、本にじっくり向き合う時間や映画や美術と言ったものに大幅な時間を割けるようになったのである。今まで考えられなかったことであり、大きく変わったことでもある。東京は本当に文化資本に溢れている。凄いことだと思う。都心に神保町という古本屋街があり、更には歩けば美術館や博物館に遭遇する。僕の今までの田舎生活は一変した。

そういった中で、僕は詩に傾倒することとなった。

今でも詩は継続的に読んでいて、特定の作家の1冊を読むというよりかは、何人かの作家の作品のうち何作か読んでまた別の作家の作品に移るということを繰り返している。単純に、詩は物理的な量が圧倒的に少ないので読みやすくて読んでいるという感じだ。それと吉増剛造の『怪物君』という詩集に衝撃を受けたということも大きいのかもしれない。今まで僕は普通の(というと変な言い方になるが)日本語で書かれている。僕等が親しみのある日本語で書かれている訳だが、吉増剛造は何かが違うのだ。

それで、僕はまず以て「僕らが話している日本語」あるいは「僕らが書いている日本語」というものに疑義を抱き始めたのである。日本語の可能性とまでは言わないが、しかし文学に触れる人間としては真剣に考えなければならない問題だろうと思えた。そういった中で、自分の中で様々な試みをしてみたりもした。

例えばこんなものだろうか。まず以て僕が思ったのは、「話すように書けないか」ということだった。僕等は仕事をしている中で、誰かと話す際の言葉と、誰かにメールを送る際の言葉を無意識に分けている。例えば、メールでは「何卒よろしくお願いいたします」と書く訳だが、しかしこれを実際に口に出している人はあまり見たことが無い。「拝啓」「前略」などの言葉も「書く」ということが前提とされた言葉であった。では、何故「話し言葉」というものは書かれないのだろうとも思った。話すことが前提だからなのか?いや、しかし、書くこと、つまりは文字化することは可能だ。だったら「話すように書ければ1番良いのではないか」そう思った。

実際これには、先の過去記録にも書いたが柄谷行人と中村雄二郎の対談集から影響を受けたものである。加えて、保坂和志がどこかで「話すように書く」というフレーズを使っていたような気が何となくしていたのを覚えてもいた。それが折り重なって色々と考えてしまった。

この記録がキッカケで僕は対談集を好んで読むようにもなった。

対談集というのは非常に面白くて、これは敢えて意図せずとも誰かが誰かと対話している様子が収められている。つまりは、話し言葉が文字化されているのである。その時の空気感や雰囲気などは文字からでは分かりにくいが、少なくともその言葉のニュアンスみたいなもの、例えば怒っているとか悲しんでいるとか…そういったものがダイレクトに伝わってくる。それが尚のこと僕には面白かった。

勿論、話している内容も面白いのだけれども、その言葉の形式というものが面白かった。対談という場が凄く良いなと思った。こういう場というのはまず以て1人では成立しない訳だ。誰かが居て初めて成立する。この2人あるいは3人、4人などの間で繰り広げられるその空間を僕の頭の中で作り上げていくことで、更に別の対話を構築するその試みが面白いのである。僕も一緒にその対話に参加しているような気になってくる。だが、それはどこまで行っても1人での行為である。

僕は毎日を充実して過ごしていた訳だけれども、結局のところそれは1人で愉しんでいて、それを共有できる人が居なかった。それが単純に辛かった。今までは実家で生活していたので、常に誰かが居て、他愛の無い話をして、くだらないことで盛り上がってというような生活が、自宅に戻って一言も話さない生活を過ごすようになったのである。向き合うのは本や映画だけ。でも、彼らは一方的に「こう思うんだよね」というだけでお終いだ。僕が「いや、こう思うんだけどね」と言ったところで無意味である。

やはり「対話」というのは重要だなと思う。ちょうどこの記録の1つ前の記録で「対話」が重要だみたいな話を書いた。それは単純に「寂しさ」を紛らす為という訳でなく、「対話」を重ねることでアウフヘーベンされる場というもの、今ここで物語が始まろうとしている瞬間に出会えるという機会は大切であると思うのだ。だが、1人でどう考えても、このnoteに書き殴ったところで、結局それは「いいね」というボタン1つで評価され、終わってしまう。まあ、仕方がないと言えば仕方がないけれどもね。


それで何を狂ったか、僕はマッチングアプリのユーザーなので、それのあること無いことを書き出してみることにした。ある種のネタ感は否めないが、しかし学ぶことは多かったように思う。これが僕の中でシリーズ化している『マッチングアプリ放浪日記シリーズ』である。

最近の様子を書こうと思ったが、これと言って別に何も起きていない。相も変わらず、馬鹿の1つ覚えのように右に左にスワイプしているだけだ。マッチングした人とはそれなりにメッセージのやり取りをしながら日々を過ごしている。大概、メッセージのやり取りは1日1通である。返信ペースもまちまちなので、気長にやるしかないのかなと思って向き合っている。

そういえば、僕の記録に何だかシリーズが色々出来た気がする。

今書いた『マッチングアプリ放浪日記シリーズ』にしてもそうだが、『駄文の円環シリーズ』『古本屋巡りはスポーツだ!シリーズ』とか…。こう考えるとわりと同じ内容で書いてしまっているんだなとも思う。元々は『駄文の円環』を書き始めたのがキッカケだ。「何か書きたいけれども、どうも書けない」という際にはこのタイトルを利用する。このタイトルを使用すると、何だか自由になれた気がして、書けないなあと思っていたものが、言葉に引っ張られて遠いところまで来てしまう。言葉とは不思議な存在である。

ちなみに、『駄文の円環シリーズ』で僕が好きな2作である。

『古本屋巡りはスポーツだ!シリーズ』だと以下に挙げるものがわりと個人的には好きなところだ。

東京に来てから既に4回も古本祭りに参加している。まだこれからも目白押しな古本祭りが僕を待っている。そういえば、新橋の古本祭りに行けなかったのは残念だったな…。またの機会にでも行くことにしよう。


さて、話は少し脱線してしまった感が否めないが、いずれにしろ僕は言葉についてただひたすら向き合う毎日を送っていた。それで本当にここ最近、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と東浩紀と石田英敬『新記号論』を読んでから僕の言語感覚というか、そういうのが大きく変化したように思う。

だが、厳密に言えばその萌芽的なのは既に存在していた。『フィネガンズ・ウェイク』を読んでまず感じたのが、「あ、吉増剛造だ!」だったのだから。それで再び吉増剛造の詩を読み始めるんだけれども、これがまた面白いんだな。それで、何よりも『新記号論』の所で、僕らの文字というものは自然を模して作られた、というようなことが最新の研究で分かっているということを読み、感銘を受けたのである。それで最近、矢鱈と文字と言葉と自然と世界という関連で色々に書かせてもらっている。

ここ最近の記録の中では実はこの2つが結構好きで。というのも割と力を入れて書いたということが大きいだろう。久々に頭の中がエキサイトしてしまった。ただ、これは僕といつも仲良くしている大学時代とのある種の共通認識なんだけれども、「芸術作品でも音楽でも、突き詰めれば言語学というか文字に辿り着くんだと思う」というのはある。だが、僕はこれをもっと敷衍して考えている。詳細については上記の記録を読んで貰うとして、簡単に言えば「文字は世界である」ということだ。文字や言葉というのは卑怯するに人間が自然と共存するために疑似的に作り出した「自然」であるということだ。

1人で黙々と言葉や文字について考えながら読んでみると、哲学者や小説家と呼ばれる人間は本当に凄いんだなと思う。彼らは文字、言葉によって「世界」を構築しているのだ。あの書物に対して、あらゆる言葉や文字を駆使し、形式的にかはたまた意味内容的にか、それは知ったことではないが、その世界には無限の広がりを持っている。単純にだが、文字や言葉で世界を構築する人には頭が上がらない。

それで僕は諦めた旨の内容の記録を書いた。事実そうなのだから仕方がない。

この対談集には本当に参った。確かに事実を言われているのでぐうの音も出ないのだが、それでも少しは悔しい気持ちもある訳だ。実際こうしてnoteを書き続けている訳で、内容としては僕が大嫌いな自己啓発的な要素も含んでしまっているのが、自分でも腹立たしい訳だ。それじゃあ、僕は一体何をここに書き連ねているのかという話に当然なってくる訳だ。

体裁よく、僕は「自分の感じたことをひたすら書いている日記」と言っている。確かにそうだ。僕のこのnoteは僕が僕の為に書いている。だが、よくよく読んでみると説教じみたようなことばかりを書いてしまっている訳だ。僕にはその気は一切ないのだけれども、書き方としてそうなってしまいがちなのだ。それは確かに文学や哲学を専門として学んで来た弊害の1つなのかもしれない。文体のお作法というか、それに寄せに行っている感じは自分の中でも確実にある訳だ。

だが、まず以て勘違いをしてはいけないのは、僕が書いていることなんかいい加減だ。決してあてになどしてはいけない。何度も何度も書くようだが「こいつ、また馬鹿言ってらぁ」ぐらいの感覚で愉しんでもらえると有難い。僕が書いていることはせいぜい「っぽい何か」でしかないのだ。それ以上でも以下でもない。僕はハッキリ断っておくが、ここに書いてあることは「っぽい何か」であって「文学」や「哲学」などをやっているつもりは全く以てない。これは声を大にして言っておく。

僕がやっていることは「っぽい何か」を「っぽく」語ることである。


例えば木村伊兵衛に関しての記録なんか、自分で言うのも恥ずかしいけど、それっぽく書けているでしょう。

実際書いてあることはよく読めば全く以て大したことは書いてない。だって「木村伊兵衛の写真好きだわ」以外には書いていないからだ。どこれも過去に書いたが、「言葉で全てそのものの良さが表現できると思ったら大間違いである」ということである。だから似たり寄ったりのことしか書けないのだと思う。それもそれで何だか哀しい気はするが、それでも何か感じた瞬間にそれが言語化出来た物からぽつぽつと書いていければ良いんじゃないのかなとも思う訳だ。

日々感じたことを少しずつでも言語化していくという作業は大切なことだと思う。なぜならば、そこで初めて言語化できない何かに出会うことが出来るからだ。実際こうして書いてしまうと「言語化できない何か」ということは分かってしまう訳だが、その中身というのは、どう頑張ってもその言葉以外で表現することが出来ないことは分かっている。それだけで十分なような気がしている。

それが特に現れているのが、僕の散歩日記シリーズなのかもしれない。見た物をとりあえず言語化して、それで心にある残滓がきっと僕にとっての宝物なのだろう。

散歩は好きで土日のどちらか一方は必ず行く。目的地だけ決めてそこへ電車で向かい、帰りはひたすら歩いていく。これが堪らなく愉しいのである。散歩のススメ。


さて、自己フィードバックはこれでお終いにしよう。単純に疲弊してきた。しかし、「定期的」とは言え、ここまで書くのは骨が折れる作業だ。いや、読む方も骨が折れるだろう。

御免なさい。

これからも、よしなに。

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