チューリングについて、思い出のようなもの

アラン・チューリングについて、僕は思い入れというか感慨のようなものがある。

どういうことかというと、

それは僕が中学二年生、少年の頃にさかのぼる...。

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僕は、GAGAの「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」という映画をみた。アラン・チューリングを主人公にした、ドイツの暗号機エニグマ解読にまつわる映画だ。主演、ベネディクト・カンバーバッチ。

この映画を見たとき僕は、「イミテーションゲーム」にはまった。正確にいうならば、僕は、この映画の予告編をみたときにはまった。

予告編をみたときに、とくに根拠もなく「この映画は面白いに違いない」と確信し、映画をみてもいないのにYouTubeでサウンドトラックを探してそれを聴きながら学校の勉強をした。

学校に通うとき「イミテーションゲーム」のBGMを聴きながら登校した。「イミテーションゲーム」の予告編の英語を暗唱できるようになった。

映画をみてもいないのに。

とにかくそんな状態に仕上がってから僕は、映画館に実際に映画をみにいった。やはり面白かったので、帰宅して再びサウンドトラックを聴きながら学校の勉強をすることになる。

つまり僕は、「イミテーションゲーム」というアラン・チューリングについての映画に、軽く没頭した時期があったのである。

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そして4年の月日が経ち、中学二年生の少年は青年となる。

なにか学問をしたい。人間として生きるのであれば、なにかしら学問という軸を自分の中に持っていたい。

数学はどうだろう?

僕は自分が数学が得意なのかどうかはよくわからないけれど、苦手だと思ったことはない。ためしにやってみたら、案外おもしろいかも知れない。


そう思うようになった。そして、イミテーションゲームのことを思い出す。

数学について、とりわけ数学者について僕が思い当たることといえば、チューリングくらいのものだったのである。

そう思って、チューリングの論文を一つ用意して、読解に取り組むことにした。

それがチューリング論文読解なのである。



僕の理解力で、チューリングの書いたことの内容が理解できることを祈る。

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