この世界はいつでも僕を
僕は物心ついたときから「空」が大好きだった。
正確に言えば、”気づけばいつも空を眺めていた”という感じだ。
理由はわからない。
雲は流れているのに、風は吹いているのに、空を眺めているその瞬間は、全てが止まっているように感じ、何も聞かず、疑いもせずに僕を包み込んでくれている、そんな感覚がしたのを覚えている。
抱えすぎた多くのもの
誰しもが経験する”大人になる”ということ。
そして僕もまた大人になっていった。
たくさんのモノを手に入れることが大人だと思っていたあの頃、一般企業に就職し、転職も経験する中で、責任、お金、経験、成果、評価、、、と手にしたものがいくつもあった。
しかし、その一つ一つを手に入れるたびに、目の前には感情や思考を揺り動かしてくる”現実”が現れてきた。
大人になるにつれて、僕はその一つ一つを守りながら、というよりも壊わさないようにしながら歩んできたように思う。
だからこそ、何かを変えることや、何かにチャレンジすることがものすごく不安だったし、ひとつの失敗が”僕”を壊していくようで怖かった。
出来ない「何か」に言い訳をし、「今じゃない」と正当化をしながら、いつしか自分の心を隠し、社会に自分を合わせていくようになっていた。
それでも僕の奥深くにある感覚は、いつも感情という”記憶”を通して心の中から訴えかけてくる。
その気持ちを感じれば感じるほどに苦しく、どれだけ言い訳をしても、どれだけ正当化しても、そこには苦しみが湧き上がり、引きずり落とされないように必死に何かに掴まっていた。
なぜこれほどまでに苦しいのか?
なぜ苦しまなくてはならないのか?
そんなことを自問自答しても、結局、手に入れることばかりで、壊さないように守るだけの僕には答えが見えてくるはずもなかった。
感情が大きく揺さぶられ、前に進むことも、何かをすることも出来ない状態で、息切れしそうな僕が、縋るようにパソコンの中に”生き方”を探していた時、アメリカのコメディアン、ジョージ・カーリンが、最愛の妻を亡くした時に友人に宛てたメール」という内容の記事を目にした。
以下がその文章である。
この言葉に衝撃を受け、明るい光が射すように視界が開けていくのを感じた。
僕はどう生きていくのか?
それからというもの、これまでの自分自身を振り返る中で見えてきたものがあった。
何かを手に入れるたびに僕の前に現れていた”現実”や、僕を苦しめていた感情という”記憶”は、実は僕自身そのものだったということに。
今この瞬間に見えている現実も、湧き上がる感情も、全ては僕の体験や経験というフィルターを通して見えている世界だった。
その世界を通して、僕が僕自身を必死に守ろうとしてきたのだ。
それが分かったとき、その世界で出逢ってくれたすべての人たち、そしてすべての出来事に”ありがとう”という言葉が溢れ出てきた。
「もう必要ない」。
そこから僕の新たな旅が始まった。
遠い昔の楽しかった思い出も、引き裂かれるような苦しい体験も、大人になるにつれて自分を押し殺してきたやり場の無い気持ちも、そしてこれまでの人生でそんな僕を受け入れてくれたこの世界のすべてに感謝して。
これからの旅
幼かった僕も、そして大人になった今も、空にはありのままの僕が存在する。
雲のように流れ、どこに向かうでもなく、その時々で姿・形を変えながら。
これからはそんな人生の旅を歩んでいこうと思う。
そして、そこはきっと、僕たち家族や大切な人たちをそっと包み込むこの”空”のような余白いっぱいのやさしい空間があるんだと思う。
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